白い木蓮の花の下で  

    〜逝くときは白い木蓮の花の下で〜

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引越し先 白い木蓮の花の下で


2002年04月09日(火) 規格外でも、いいぢゃないか。

私は今「バンペイユ」という果物が食べたくてたまらない。
ドッジボールくらい大きい柑橘系果実で「ちょっと大味かも知れないよ」
……などと教えてもらったにも関わらず
その大きさを思うと心がトキメクのである。

「大きい」ってことは、それだけで素敵だ。
規格以上に大きいだけで、ある種の感動を感じずにはいられないのは
私だけでなく、人間の持つ本能ぢゃないかと思う。
そうでなければ、大きい果実を作るための品種改良なんて
汗水、たらしてまで行われないはずだ。

いっぽう「小さい」ってことも、それだけで素敵だ。
今でこそポヒュラーになった「モンキー・バナナ」や「ミニ・トマト」を
初めて目にした時は、誰もが衝撃を受けただろうと思う。
規格では考えられない小ささに
感動の声を上げた人は何人いたのだろう?

規格外であるというだけで、それは人に感動を与える。
だからこそ、人は規格外を求めて努力を重ねてきたのだ。
果物や、野菜といった農産物であったり、あるいはペットだったり……
規格より、大きかったり小さかったりする新品種の多い事といったら。

が……それと同時に、規格外であるがゆえに
人から忌み嫌われる物がある。
これは、考え方として、まったく対局に存在するのだけれども
現実として「ある」のだから仕方がない。
人が忌み嫌う規格外のものとは皮肉にも「人」そのものではなかろうか。
世知辛い話ではあるのだけれども
規格(平均値)から外れていると自覚のある人達は
多少なりとも「生きにくい」だの「冷たい視線」だのを感じていると思われる。

先日『君を見上げて』 山田太一 新潮文庫 を読んだ。
NHKでドラマ化されたこともある、この作品は
身長差が19センチもあるカップルの恋物語だった。
ただ、身長差といっても女性が高く、男性が低かったりするあたりが
ちよっとした「障害」となってしまったりなんかする。
背の高い女性と背の低い男性は
自分の中に大きなコンプレックスを抱いていた。

コンプレックスは人が成長していく上で重要な役目を持っていて
誰しも、多少なりともコンプレックスはあると思うのだけれども
「規格外」のコンプレックスというのは、端で見ていて
「あ痛ててててっ」ってな印象を受けてしまう。

見渡せば「規格」ってヤツは多すぎるほど多い。
ビジュアル面、メンタル面、性別、年齢eac……
誰が決めたか知らないが「普通」「標準」の枠組みが多すぎるように思う。
平均値を出すのに対してイチャモンを付けようとは思わないが
せめて……「規格外」でも、楽に息ができる世の中だったら
どんなに素敵なことだろう。

小さなトマトや、大きな林檎に目を輝かせてしまうように
規格外の動植物を珍しがりつつも、喜んで受け入れるように
規格外の人間だって、あるがままを受け入れるような、そんな世の中……

いいぢゃないか。規格外だったとしても。

少なくとも自分は「そういうもの」になりたいと思いつつ
今日の日記は、これにてオシマイ。


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