白い木蓮の花の下で  

    〜逝くときは白い木蓮の花の下で〜

目次過去未来

【検索からお越しの方へ】
日記内検索をご利用いただくか、読書関係のお探し物はHPへお越しくださいませ。
当日記は移転しました。下記で更新を続けています。
引越し先 白い木蓮の花の下で


2002年01月27日(日) 「好き」の反対は「嫌い」ぢゃなくて…

「好き」の反対は「嫌い」ではなく「無関心」である。
……ってな言葉がありますが
今まで私は「へぇ。上手いこと言うなぁ」なんて思っていただけで
自分自身で、それを体感することはありませんでした。
でも、昨日は初体験しちゃいました。
「好き」の反対の「無関心」ってヤツを。

昨日、まさに「ズバリ・そのもの」に遭遇しちゃいました。
その相手が恋人ではなく「友人」だった…ってあたりは
色気も味気もない話なのですが。

私が「無関心」を実感してしまった彼女は
小学校から高校までを共に過ごした旧友で
昨日の仕事帰り地元の駅で彼女から呼び止められたのでした。
1年以上ぶりの再会でした。
彼女は嬉しそうに私の方へ近寄ってきたのですが
私は、ひたすら困惑してしまいました。

ぢつは私、彼女を年賀状リストから外しちゃていて
今年も「年賀状ありがとう」などという
そっけない「お返事年賀」を出したところだったのです。

それでも彼女は、そんな私の気持ちに気付かないのか
それとも気付いていて知らぬふりをしていたのか
それは、それは嬉しそうに自らの近況を語り
共通の友人の近況を尋ね(彼女は外の友人とも疎遠になっているようでした)
私の近況を知りたがりました。

でも、私は彼女の近況なんて、まったく興味はありませんでしたし
私の近況を、わざわざ語って聞かせる気にもなれなくて
愚弟の事故の話もずに「相変わらず元気にやってる」
……などと、適当なことを話して、彼女と別れました。
彼女は愚弟を小さい頃から知っているので
愚弟の事故のことを言わないってのは仁義に反するよなぁ〜
……なんて、思ったのですが
それより、何より、私は彼女に対して
「懐かしさ」とか「喜び」といった感情をまったく抱けなかったのです。

私は彼女と喧嘩をした訳でもありませんし
彼女から不愉快な思いをさせられた訳でもありませんでしたが
彼女の存在は私にとって「遠い過去」であり「旧友」でしかありませんでした。

歳月は人を変え、人と人との距離までも変えてしまいますね。
私は彼女を嫌いになった訳ではないのだけれど
私には、大切な絆を結ぶ友人ができて
いつの間にか、彼女が「無関心」の対象になっていたのでした。
それなのに彼女はいまだに「変わらぬ関係」を信じていたようで
無邪気な笑顔でもって「懐かしさ」と「また逢おう」を連発していて
そんな彼女を見ていると
私は、ひどく哀しい気持ちになってしまいました。

「好き」の反対は「嫌い」ぢゃなくて「無関心」というのは
まったくもって本当だなぁ……と思いました。

昨日は私が「無関心」という気持ちを抱いてしまったのだけれど
いつか私も誰かから「無関心」の目でもって見られるかも知れません。

少しでも気に掛けてくれる人がいるというあわせを噛み締めつつ
今日の日記は、これにてオシマイ。

<追記>
『はてしない物語』に出てきた敵は「虚無」でしたね。
「無」というものは人間にとって、なんとなく恐い存在なのかも知れません。


目次過去未来


エンピツ投票ボタン(押していただけると励みになります)↑
My追加

yurarraをフォローしましょう

【同月同日の過去日記】

白蓮 |MAILHP