新潮文庫 宮本輝 著
業とかそういうものって、死んでみないと解らないんじゃないかと思うのだけど 確かに何度やっても同じ結果になったりとかそういう時って 自分の業とか、前世の業とかそんなんかも知れないと思いますよね。 モーツァルトを聴いてみようかと思います。 モーツァルトの世界がそう簡単に理解できるとはちらとも思わないのだけど。 シンフォニィあたりをゆっくりと、くつろいで聴きたいなァ。 これ、昭和57年に書かれているんですよ。つまり、1982年。 20年も前の作品なのに色褪せていないって凄いですよね。 名作だと思います。
宮本氏といえば「森の中の海」が読みたいのだけどまだ文庫化してないのですよ。 ただ、ハードカバーの表紙が凄く美しいので、どっちを買うべきか悩むところです。 古本屋に上下巻揃っていたらハードカバーを買おうかなァ。
夕餉の匂いがした。 会社から地下鉄の駅に向かって歩く。周りは住宅街であるから、18時前という時間帯、夕餉の匂いがするのは至極当然のことである。1つ1つの窓の中にそれぞれの生活があるのかと思うと、何か不思議な気分になった。ああ、あの窓は今日はカレーのようだ。香辛料の香りが鼻をついた。 学校帰りの学生とすれ違う。小学生、中学生、高校生、大学生、様々だ。住宅地の周りには自然、学校も多いのだ。彼らは兄弟であったり、友人であったり、大抵2人以上で歩いている。時には7、8人もの集団で歩いていることもある。 地下鉄への下り階段前に来たが、考え直してJRの駅まで歩くことにした。歩くといっても地下鉄で1駅分だから、時間にして約15分程度の距離である。バッグの中からポータブルCDプレイヤのイヤホンを取り出す。スイッチを入れると最近お気に入りの歌声が溢れた。 夕暮れ時、西方が少しずつ赤みがかり、東方は青みを増してゆく。中空は空色で、それぞれの境目がなんとも言い難い色合いだった。 おのぼりさんのように空を見つつ歩いていたら、背後から凄い勢いで自転車がやってきた。真横を通過する時、彼はベルをかき鳴らす。寸時、お気に入りの歌がかき消されて気分を害したが、そのまま歩みを止めなかった。 東京という街は。 そう、いつも思う。同じ関東圏ではあるが、東京に比することもできない田舎から通っているために余計そう思うのかもしれない。 確かに最近では地元のような田舎でも、他人への関心は薄れてきている。しかし東京のように、隣に住んでいる人の顔も知らないということはない。 また車が一台、信号を半ば無視して右折していった。 まったく東京という街は。 自分を棚に上げて、もう一度、そう思った。
一人称でありながら「私」という自称のない一人称を書いてみました。 そのまま、私の日常と思ってくれてオッケーです。 今日のことではないです。曇りだったしね。
最近ちゃんと文章を書いていないなと思ったりなんかして。
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