われ想う
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昨夜から、京極夏彦の『鉄鼠の檻』を読みにかかった。 作品設定の時期的には2ヶ月ほど遅いのですが、季節柄に関係なく唐突に読みたくなる。 ホントは『女郎蜘蛛の理』の方が今っぽいんだけど(苦笑)、いーんです。 雪山の凛とした空気を想像しながらページを繰ってます。
京極作品にしても何にしても、空想の広がる文体が好き。 キャラはしっかり確立してるんだけど、イメージは固定されない。 読む人間、一人ひとりの中で「このキャラはこの人」というふうに想像されるような 読み物がいい。書き手としても、そういう文章に憧れる。
あれだけの長編を、飽きさせることなく読み切らせてしまう力には、ただただ脱帽する。 「能書きを省いたら10ページで済みます」などと言ってのける潔さも良し(笑)。
作中に、 「見ようとしては見えなくなる。あなたはもう解っているのだ。見るのではなく感じなさい」 といったような行が出てくるのだが、この一文に「活字」の魅力が詰まってるんじゃないかな。 音楽にしても然り。人間の持つ五感の内、ひとつでソレを感じ取る。 活字は視覚で、音楽は聴覚で。そこから無限の世界に広がっていく。 そういう「果てのない芸術」って、凄く魅力的。
で、『鉄鼠』ですが。 コレに出てくる「和田慈行」。彼は「Jaguerさん」です(笑)。←黄猿ね。 そんでもって『京極堂シリーズ』に出てくる「榎木津礼二郎」。 こいつは「吉井和哉」です(笑)。もしくは、もう少し背の高い大田宏(苦笑)。
やっぱ、キャラの立つ人間が芸術を引っ張り先導していくんだな・・・。
埋もれるな、感性。出過ぎる杭は、打たれない。
座右の銘です(苦笑)。
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