| 2005年08月14日(日) |
三村一族と備中兵乱19 |
三村家親は今回の戦では吉川軍の井上河内守の弓矢の加勢によって危うく難を逃れたので吉川元春の陣屋 へ御礼の挨拶に伺候した。 「この度、敵を侮って一戦を仕損じたのは私の不覚でした。もう一度猿掛け城へ押し寄せて挑戦し荘を討ち破らなければ家親の名がすたります。どうかあとは家親にお任せ願い元就公には陣を払ってお引き揚げ下さるよう申し上げてつかあさい」 と家親が言った。 「そうか、それではその旨わしからよく伝えておこう。お主の今後の働き振りはこの元春が引き続き在陣してしかと見届けようぞ」 「有り難きしあわせ」
元春への挨拶を終えた家親は、中村家好を呼んで 「三村家親は荘との戦で負けてしまい、面目を失墜したので次の戦には玉砕する積もりで掛かってくる準備をしている」 という噂を猿掛け城内で広めるよう指示した。
緒戦から二か月後の四月三日、三村家親の千五百騎が、先陣として先に進発し、元春が熊谷、天野ら二千余騎を従えて後陣に控えそれぞれに井原へ布陣した。
このことを聞いた荘為資は 「家親は先日の合戦で負けた無念を晴らすため、撃ってでたのだろう。必死の覚悟ができているから今度は手強いぞ。味方は普通の戦いをしたのでは勝ち目がない。井原へ夜討ちをかけよう」 と言って次のように下知した。 「わしは七百余騎で三村家親の陣を討つ。元春は三村の陣が夜討ちを受けたと聞いたら必ず援兵をだすであろう。藤井四郎次郎は五百騎で手薄になった元春の陣中へ駆け込んで不意に戦をしかけよ」 「村田掃部助は三百騎を率いて遙かかなたの後陣に控え、もし夜討ちに失敗した兵が引き退いてきたら、備えを固くして待ちうけ諸勢を引き取れ」 「行吉は二百騎で為資の後陣から三町ほど引き下がって備え、夜討ちが難儀のようであるならば合図を待って交代せよ。合戦は五日の丑の刻とする」 三村家親の陣へ諜者の座頭が馳せて来て 「荘の陣では今夜、夜討ちをかける準備をしようると聞きましたけん、用心してつかあせい」 と告げた。 「そうか。噂に騙されて動きだしたか。願ってもないことよ」 と家親は言って三村五郎兵衛、篠村三徳斉、三村孫兵衛らを呼んで次々に下知した。 「五郎兵衛と三徳斉は三百騎を率いて、八町先の井谷の茂みに隠れて待機せよ。夜討ちの兵が引き揚げる所をさえぎって襲え」 「孫兵衛は松山勘解由、水落甲斐守、末田勘解由、末田縫殿助らと三百騎を従えて二町下がった民家の傍らの竹林に待機して、夜討ちの戦いが半ば頃になったら後詰めをせよ」 「熊谷、天野、香川は荘が夜討ちにでてくるところを取り巻き四方からかかれ」 家親は千余騎で荘の本陣へ切り掛かろうと待ちうけていた。

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