くらりねっとにっき
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| 2009年06月27日(土) |
協奏曲〜コンチェルト〜 |
終わった。
この時がやってきて、この時が終わるなんて。
この日、私はおそらく、一演奏者として、すごいことをやった、のだと。 誰も演奏したことのない「クラリネット協奏曲」を、ソリストとして演奏した。
現役(学生)でなくなって10年近く。日々の仕事やら何やらの日常とどう折り合いをつけてやっていくか、不安だった。 音楽ばかりに没頭できる環境では決して、ない。 決定したのは2月中旬。準備期間はたったの4ヶ月。 フルオケを相手にして、自分の音は立つのか。そもそもコンチェルトのソリストだなんて役目に立ち向かっていけるのか。色んなことが不安でしかたがなかった。
楽譜をさらいだして、しばらく、どうしていこうか、と考え、思い悩み、そして1つ、芯になるような想いが湧き上がった。 「言葉より、自分の音、音楽、態度で、まずはオケの人に私がこの曲をどうしたいか伝えよう」 この曲の音楽観、世界観、雰囲気、私の想い。クラリネットを通して伝えればいい。きっと言葉よりも雄弁なハズだと。
そうやって、何回かオケとあわせているうちに、今度は言葉でも伝えても大丈夫だと思い始め、今度は言葉も使い始めた。 今回、このことでオケの色んな人と話ができた。 伴奏側だって誰も演奏したことのない曲。話をするたび、色んな音が聴こえてくるようになった気がした。
本番1週間前くらいからは、日々の疲労との折り合いをつけるのが大変だった。 月曜日に左手の筋を痛めて湿布をした。翌々日には右手が痛くなった。 本番2日前は、疲労に負けて楽器を吹かなかった。 ・・・昔の私だったら、こんなこと許せなくて、自己嫌悪に陥っていた。
このクラコンの話は、実はもう何年も前から話だけはあって、いつかは、というのは何となく予想していたのだけど、実現までにこんなにかかったのは、実は、私が30才になって、少しでも精神的に成長するまで、この曲は完成を待っていたのではないかと。 終わった今、そんな風に思います。 昔の私だったらきっと、前にしか進めなくて、こんな風には演奏できなかったと思う。
演奏自体、を振り返ってみると、やっぱり最初のほうは緊張して、指が固くて動かなくて上手く吹けなかったし、途中も何箇所か間違えたりした。 トータルで、練習の6〜7割吹けた感じでしかない。だからこの点だけ見ると大成功したとは自分は思えない。
でも、演奏後、見知らぬ方から何人も声を掛けて頂いて。 「クラリネット、とてもきれいな音でした」 「あんなにキレイな音のする楽器なのね」 「素晴らしい音楽をありがとうございました」 ・・・と言われたと、人に話をして「それってすごいことだよ!演奏者冥利に尽きることだよ!」と人に言われて初めて、ああ本当だ、伝わったんだ、私の音楽。と初めてそこで実感しました。
私の音楽は、クラリネットを通して、人に伝わった。
感動、と言ってしまうと適当ではない気がするけど、その時、その一瞬でも、あの場所で、人の心が動いていたのです。
変な言い方?をすると「あまり上手くないけど感動する演奏」ってたまにめぐり合いますよね。あれに近いのかな?なんて。 学生の頃、何故かピアノの教授に「音楽的センスはあるけど技術がいまいち」みたいなことを言われたのを鮮明に覚えたてますが、それか?
技術も情緒もどちらも大切だけど、とにかくでも、私は、今の私がやれるせいいっぱいのことをやった、とは思えている。
もう二度とこんな体験をすることはないだろう。 本当になんとも言えない時間だった。
最後に、作曲された先生、オケのみなさま、私のグチにつきあってくれた方々、聴きにいらしてくださったみなさまに、感謝です。
本当にありがとうございました。
私はこれからもずっと、音楽とクラリネットと付き合っていくつもりです。
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