みのるの「野球日記」
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2002年07月28日(日) 桐光学園全国制覇を目指し(9) 清原、完封!!初優勝!!!

 神奈川県大会の決勝が28日、横浜スタジアムで行われ、桐光学園が2−0で東海大相模を下し、初優勝を飾った。3年連続4度目の夏の決勝で、ついに壁を打ち破り、甲子園の切符を手に入れた。

 終盤に差し掛かった頃、私の隣に座っていた東海大相模ファンと見られる中年の男性が盛んに叫んでいた。
「桐光が勝っちゃダメなんだよ。勝たせちゃダメなんだよ。桐光が勝ったら、神奈川の歴史が変わるから、絶対に勝たせちゃダメだよ」
 私は怒りを抑え、「歴史が変わって、何が悪いんだよ」と心の中で呟いていた。


 清原は最後の打者を一塁ゴロに仕留めると、嬉しさを体全体で表現したあと、力が抜けたホッとした表情を見せた。マウンド横で歓喜の輪が作られる中、清原は輪の外でその光景を眺めていた。歓喜の輪に入るだけの力がもう残ってなかった。
「疲れちゃって、(輪に)入る気力がありませんでした。優勝はすごく嬉しいけど、ほんとに疲れました」
 9回に左足ふくらはぎ、左手の指を攣り、マウンド上で何度もストレッチをする姿が見られた。既に体力は限界に近づいていた。
「9回はストライクを取るだけで精一杯。気持ちしか残ってなかったです」
 
 最後の最後に残った「気持ち」で、相模打線を封じ、今大会3度目の完封勝利を挙げた。3安打完封、見事な投球内容だった。

 東林中時代、2年連続神奈川県大会優勝、2年夏には全国3位という実績がありながら、桐光では思うような成長を見せられなかった清原が、最終学年で神奈川を代表する大エースに成長した。
 初戦の商大戦のあと、「最後の夏、どうしても勝ちたい」と話していた。今までほとんど見られなかったガッツポーズをピンチを切り抜けるたびに見せ、ピンチを迎えると鬼気迫る形相で打者に立ち向かった。
 今日の決勝も、5回に迎えた2死一、三塁のピンチで、1番荒川をストレートで空振りの三振に打ち取ると、「どうだ!見たか!!」と言わんばかりの形相でガッツボーズを見せた。

「精神的に強くなったことが春から一番成長した点だと思う」と清原はいう。今まで死球が怖くて投げられなかった右打者の内角へ、きっちりと制球できるようになった。ピンチでも弱気にならず、攻め抜くことができた。
 清原を3年間見てきた桐光野球部の鈴木トレーナーは「体をいくら鍛えてもやっぱり大事なのは気持ち。清原は3年間で大分変わりました。気持ちが強くなりました。2年生の頃はあまり伸びていなかったんですが、3年になってレベルアップしたと思います」と目を細める。
 清原のお父さんは「あんなにマウンド上でガッツポーズするなんて、うちの子じゃないみたいです。うちの子は気持ちが優しいんですよ」

 優しい心を持ち、マイペースで、感情の起伏が少ない。それが今までの清原だった。でも、今年の夏。違う清原がいた。

 主将の船井は言う。
「入学当初を考えると、こんなピッチャーになるなんて、全然思いませんでしたよ。今年の春から夏にかけて、ガラリと変わりました」
 厚木中学出身の船井は中学3年のとき、県大会で清原と対戦している。
「対戦したときは、すごいピッチャーでしたよ。でも、桐光で一緒にやってみて、『全然すごくない』って思いました。『何でこのピッチャーを打てなかったんだ』って。けど、この夏、ボールを受けてみて、やっぱりすごいピッチャーだったんだって思いましたよ」

 野呂監督は、「彼を見てきた3年間の中で、今日が一番良い表情をしていた。清原にはいろいろ厳しいことを言ってきたが、彼自身がそれを乗り越えて、ここまで成長してくれた。一番大事なゲームで、最高のピッチングを見せてくれた」と手放しでエースを誉めた。


 中学3年。清原は進学先を決める際、自宅近くにある東海大相模の練習も見学した。相模からの誘いもあった。東林中の先輩である筑川もいた。それだけのことが揃いながらも、清原は自分の意志で桐光学園入学を決めた。
「集団で生活するのが苦手な子。寮生活というのも、うちの子には向かなかった。自由な雰囲気で、自分のペースで野球ができる桐光を選んだのだと思います」
 清原のお父さんは、その頃を懐かしむように話してくれた。

 清原が東海大相模に進んでいれば、今日、神奈川の歴史は変わらなかった。桐光学園のエース清原が、神奈川の高校野球に新たな歴史の1ページを作った。


 校歌が流れる中、清原は表情をぐちゃぐちゃに崩し、号泣していた。閉会式が始まっても、その涙が乾くことはなかった。「絶対に勝ちたい」と言っていた最後の夏、言葉通りの結果を残した。

 次は甲子園。「県大会のように楽しんで投げたい。自分のピッチングをしたいです」

 桐光学園、祝・初優勝!


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