| 2002年07月04日(木) |
今更ながら大学選手権�� 名指導者へ |
プログラムを開き、東海大の登録メンバーを見て驚いた。「学生コーチ」の欄に天野喜英(19)と記されていた。んん? 「指導者を目指している」とは聞いてはいたが、1年ですでにコーチに転向? 指導者としての歩みを早く始めるのも良いかなという気持ちと、可能性のある限り選手を続けて欲しい思いと、複雑な心境になった。 東海大の試合終了後、直接話を訊いてみようと思ったが、会うことができず、代わりに筑川に尋ねてみると、「あれはブルペンキャッチャーが足りないから、天野を入れただけですよ」。正直、ホッとした。やっぱり応援している選手には、「選手」として輝いている時間を少しでも長く見ていたいと思う。
天野喜英。神奈川・桐光学園出身。ポジションは捕手。高校時代は3年春に主将として、甲子園に出場。最後の夏は、決勝で横浜に負け、準優勝に終わった。ちなみに中学時代は相模原市のボーイズリーグに所属。夏の甲子園で優勝した日大三の近藤投手とバッテリーを組み、全国大会でも実績を残した。現在、東海大学の1年生。早くもオープン戦に出場している。捕手としての評価は高い。
もう時効だと思うので書いてしまうが…、高校進学を決める際、天野は桐光学園を含め、3つの高校を進学先に考えていた。だが、最初に受験した(いわゆるセレクション)高校では、自分の力を発揮することができなかった。その高校は試合形式ではなく、バッティング練習や守備練習で能力を見ようとした。 天野のボーイズ時代の指導者はこう話す。 「彼の良さは、試合をして、初めて分かる。ゲームを読む力、周りの選手に声を掛け、盛り上げる力。チームをまとめる力。それは、バッティング練習では分からないよ」 桐光は最初に受験した高校とは違い、試合形式で選抜をした。ゲームをして初めて分かる天野の良さが認められた。
2年生の夏。天野は3年生の矢野に次ぐ2番手捕手として、準優勝に貢献した。正捕手ではないが、天野は天野なりの仕事を果たした。前の回の打順の関係で、矢野がピッチング練習を受けられないときには、ベンチから飛び出していき、1球1球に大きな声を出しながら、ボールを受けていた。 天野は2年の春先、体育の授業で柔道をしていたときに、左鎖骨を骨折してしまっていた。ケガが治るまで、ずっと暗い表情をしており、他の選手がトレーニングするのを、じっと見つめていた。ケガが回復に向かうと、それに比例するように笑顔が増えた。 2番手捕手で臨んだ夏の大会。ひとつひとつの動きに、ケガが治り、野球をできる喜びが私には感じられた。
3年の夏。決勝で横浜に敗れたあと、涙はあったが、天野はすがすがしい表情をしていた。泣きじゃくる2年生の照沼を、3年の藤崎と一緒に「泣くなよ」と慰めていたのが、印象的だった。 主将で捕手。周りに気を配ることができる良い主将だなと、このとき思った。
「天野は絶対に良い指導者になるよ」。ボーイズ時代の指導者が、そう何度も言っていた。私にも実感できる。打つ、走る、守るという、ひとつひとつのプレーを見たら、同年代で天野よりもうまい選手はたくさんいる。でも、試合が始まると、「走攻守」以外のところで、チームに多大な貢献をする。天野の持っている才能だと思う。
今はまだ大学1年生。選手として懸命に上を目指して欲しい。でも、いつの日か、指導者としてチームを率いる姿を見てみたい。必ずや、名指導者になると思う。
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