sakuraの日記
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2001年11月06日(火) 後悔

A先生は私の中・高の図書館の司書教諭だった。

A先生はとても上品で清らかな雰囲気の漂うやさしい先生だった。
私は特別読書家では無かったが、女子校で、あまり友人関係が良くなかった事もあって、よくひとり、図書室に出掛けた。

ある時、推薦図書として、棚に置かれていた本の中に、星野 富広さんの詩画集「風の旅」があった。

星野さんは体育教師だった時に、模範演技のバック転に失敗し、首から下が完全に麻痺し、口でくわえた絵筆で絵を描き、詩を綴る事から生きる希望を見出した人だった。

その星野さんには前から関心があったので、その美しい詩画集を手に取って見ているとA先生が優しい声で話し掛けて来てくれた。
そして、一所懸命自分の感想を話してくれて、私も借りる事にした。

読書の苦手な私にもその詩画集は抵抗なく一気に読みとおせるもので、内容もとても気に入ったので、先生と共通の話題が出来たようで嬉しかったのを覚えている。

たった、そんなささやかな接点しかなかった私にも親しげに優しく話し掛けてくれるA先生は私の憧れだった。

でも、相変わらず、読書好きでも無かった私には先生と共通の土台を持つ事はそうそうなかった。

それは中学3年生の時だったが、高校1年生になってクラス替え(中・高一貫の学校だったので)になって、委員会の改選があった時、友人から一緒に図書委員をやらないかと誘われた。読書家でも無いのにと一瞬躊躇したが、憧れのA先生と身近に接しられる魅力に引かれて、図書委員をする事に同意した。

委員会活動を通して、A先生に名前を覚えてもらえる立場になってそれだけで嬉しかった。しかし、学年途中で、先生は出産準備のため退職される事に・・・

とても残念に思ったが、仕方が無い。
退職後も何かと図書委員に便りを下さったり、文化祭の時には差し入れを下さったりと気遣いは絶えなかった。

出産後もお子さんの写真や季節の便りを欠かさず下さり、お子さんをだっこして、文化祭にも顔を出して下さった。

私は、たまたま先生と家が近く、1度だけ後輩と二人で赤ちゃんを見に寄せてもらった。

まさに白亜のおうちで、カトリックの信者だった先生のお宅の玄関にはマリア像があったりして、庭には子ども用のブランコなんかもあって、幸せを絵に描いたような様子に、まだ十代の私たちは結婚するとこんな夢みたいなおうちに住めるのか〜なんて呑気に思ったものだった。

A先生はほんとに幸せそうで、ますますまぶしさを増したようにも見えていた。

でも、そんなA先生はもういない。昨年11月に亡くなったのです。

私が先生のお宅に遊びに行って、2年後第2子を出産後に多発性硬化症という難病を発病されたのです。

ながい闘病生活の末の死だった。

私は先生の病気をずっと前から知っていた。
闘病の様子をまとめた自費出版の本を通して、そして、ある月刊誌に連載されていた先生の“神様への手紙”という口述筆記で書かれた言葉を通して様子を知る事が出来ていた。

家も近く気に掛けながら、私は訪ねる事が出来なかった。
目も見えず、首から下は完全に麻痺していて、声もつぶやく程度にしか出ず、ステロイドの副作用で、以前の面影を失った先生に会うのが怖かった。

先生はカトリックの信者で私はJW。
そのことが尚更、私の気を重くした。

「なんて話せばいいんだろう」

周りは恐らく、カトリック関係者のボランティアがほとんどだろうし・・・

でも、そんなの言い訳だった。

私は現実から目を背け逃げていただけだった。

A先生は闘っていたのに。

意気地の無いわたし、最低。


11月8日から先生の残した足跡の展覧会が始まる。それには是非行きたいと思っている。

きっと、先生は復活してくる。その時、熱心なカトリックの信者だった先生もJehovaの事を知るんだろうな。
その時、私も笑って話せるようにしっかりこの道を歩まなくちゃ、ね。


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