加藤のメモ的日記
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2020年12月27日(日) 野村克也さん死去

三冠王 監督で三度日本一

プロ野球捕手で戦後初の三冠王になり、監督としても4球団を率いて3度の日本一に輝いた野村克也(のむら・かつや)さん2020年2月11日、都内の病院で、虚血性心不全のため亡くなった。84歳。葬儀は近親者のみで行い、後日、お別れの会を開く。

京都府網野町(現京丹後市)出身。府立峰山高からテスト生として1954年に南海(現ソフトバンク)に入団し3年目から正捕手となって、的確なリードと強打を武器に活躍。1965年に打率、本塁打、打点の三冠王に輝いた。1970〜77年は選手兼監督を務め、1973年にパ・リーグを制覇。78年にロッテ、79年に西武に移籍し、80年のシーズン終了後に引退した。

27年間の通算で出場3017試合は、当時のプロ野球記録で歴代2位、打率は2割7分7厘。パリーグで最優秀選手(MYP)5回、首位打者1回、本塁打王9回、打点王7回を獲得した。1989年に野球殿堂入りした。

1990年にヤクルトの監督に就任し、データ重視の「ID野球」により、在任9年で4度のセリーグ優勝、3度の日本一(93,96,97年)に導いた。1999〜2001年は阪神、2006年間から楽天を指揮し、2009年を最後に退任した。監督としては歴代5位の通算1565勝(1563敗76分け)を挙げた。社会人野球でも、2002〜2005年にシダックスの監督を務め2003年に都市対抗野球大会で準優勝した。

現場を離れた後は解説者として、「ぼやき」と呼ばれた口調と、率直かつ的確な指摘が好評だった。最近は行事に出席する際など、車いすを使用することが多かった。関係者によると、2月11日未明に東京都世田谷区の自宅で倒れているのが見つかり病院へ搬送されたが死亡が確認された。

『毎日新聞』2020 2.12


加藤  |MAIL