加藤のメモ的日記
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2018年07月11日(水) 朝原・オウム7人 死刑執行

大雨被害が各地で生じている列島に衝撃が走った。地下鉄、松本両サリン事件などオウム真理教による一連の犯行を首謀したとして、殺人や殺人未遂などの罪に問われ、死刑が確定した元教祖で麻原彰晃こと松本智津夫死刑囚(63)の刑が7月6日、東京拘置所で執行された。1995年6月の逮捕から23年、犯罪史上類を見ない数々の凄惨な事件を首謀した教団トップは一審途中から沈黙し、事件の詳細を語ることがないままの執行となった。警察庁は全国の警察本部に後継団体の動向の情報収集などを指示した。

風貌一変!短髪、髭剃り

日本を恐怖に陥れた一連のオウム事件で、確定死刑囚が全国の拘置所に分散され、執行準備かと取りざたされていた中での7人の刑執行。朝原死刑囚のほかに井上嘉永(48)新見智光(54)中川智正(55)早川紀代秀(68)土谷正美(53)遠藤誠一(58)の6死刑囚の刑も東京、大阪、広島、福岡の各拘置所で執行された。死刑が確定した元教団幹部ら13人の中で初の執行で、上川陽子法相が命じた。

確定判決によると、朝原死刑囚は他の教団幹部らと共謀。1989年11月の坂本弁護士(33=当時)一家3人殺害事件94年6月の松本サリン事件、95年3月の地下鉄サリン事件を起こした。公証役場事務長監禁致死事件なども含め13事件に関与し、判決で認定された死者は計27人。起訴後の死亡者などを含めた犠牲者は29人に上り、国は6500人以上の被害者を確認している。

朝原死刑囚は96年4月に始まった東京地裁の公判で、不規則発言を繰り返し、何度も退廷を命じられた。弁護側は「指示はなく、弟子が勝手に暴走した」と無罪を訴えた。東京地裁は2004年の判決で、全事件の指示と共謀を認定した。「一連の犯行の源であり首謀者。救済の名のもとに日本支配を考えた動機は浅ましく愚かしい限りで、極限の非難に値する」と求刑通り死刑を言い渡した。

判決後に弁護団は控訴したが全員辞任。新たに選任された弁護団が期限内に控訴趣意書を提出しなかったため、東京高裁は2006年3月、公判を開かず控訴棄却を決定した。弁護団は異議申し立てをしたが棄却され、最高裁に特別抗告。最高裁は同9月に棄却し、死刑が確定した。

教団の裁判は2011年12月、元幹部の死刑が確定していったん終結。逃亡を続けていた3人が逮捕、起訴されて再開した。2018年1月に元信者・高橋克也受刑者(60)の無期懲役が確定し、全ての裁判が終わった。法務省は同3月、朝原死刑囚ら死刑囚6人を東京拘置所に残し、7人を各地の拘置所に移送していた。

かねて一部では拘禁反応が指摘され、刑執行に反対の声も出ていた朝原死刑囚。2008年半ば以降家族や弁護士との面会に一度も応じていない。家族らは刑事訴訟法で刑の執行停止が定められている心神喪失状態だと主張してきたが、ふくすうのほうむしょうかんけいしゃは「異常は見受けられなかった」と反論していた。

刑務官とは一切会話をせず、じっと座り続ける一方、入浴の呼びかけには反応し、自ら立ち上がる。朝原死刑囚の様子を知る複数の法務関係者はこう証言し、精神状態に異常はなかったと指摘した。関係者によると、朝原死刑囚は短髪でひげをそり、逮捕後の様子から風貌は一変。ほかの死刑囚から離れた独居房で、一日の大半を過ごしていた。定期的に診察に訪れる医師とはコミュニケーションを取っていた。独居房のトイレは使おうとせず、常におむつをつけ、肌が荒れていたこともあった。

近況の一端は朝原死刑囚の四女が、自身の推定相続人から朝原死刑囚を除外するよう横浜家裁に求めた手続きでも明らかになった。拘置所が15年5月、家裁に提出した文書には「精神科医の診察の結果、体の機能は保たれており、少なくとも明らかな精神的な障害はない」と記されていた。


『九スポ』7.7




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