加藤のメモ的日記
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| 2014年09月14日(日) |
stap騒動と論文問題 |
stap細胞騒動で明るみにでたのは、学術界における論文のデタラメさ。こと理系におけるその杜撰さは、多くの人にとって意外感があったため、マスコミで大々的に取り上げられた。ただここで注意しなければならないのは、マスコミが圧倒的な文系社会。しかも学術界と縁遠い人々で構成されているということだ。確かにマスコミにもほんの僅かだが理系はいるが、理系はマスコミの幹部にめったにならないし、学術界に転身できる人もまずいない。
そもそもマスコミでは、論文を「学術界で確立したもの」とみる傾向がある。しかし、論文といっても学術誌に掲載された段階では、エンドではなくあくまでスタートであり、掲載後、その論文が学術界に受け入れられることもあるし、逆に批判されることもある。批判されるだけならまだましな方で、あまり相手にされないことがほとんどである。受け入れられている場合は論文の被引用回数が多いし、批判されれば批判論文が出てきて、これも被引用回数が多くなる。相手にされないというのは学術誌に掲載されたものの、他の研究から引用されないものをいう。多くの論文がそうだ。
マスコミは、今回のstap騒動で報道の限界も露呈させた。論文掲載があくまでスタートであるにもかかわらず、素人感覚で白黒をつけにかかった。要するに、STAP細胞があるかどうかをはっきりさせたかった。普通であれば、学術誌に掲載された論文が間違っていたら、その後引用されないままで終わりである。もし書いた著者が有名人の場合、その批判論文を書けば、ビッグな人をやっつけたとして学者として得点を上げられる。こうしたプロセスを経て、長い時間をかけてデタラメ論文は淘汰されていく。
しかし、今回のstap騒動では、記者会見という場で真偽をつけるかのようなマスコミがあった。もっとも、「素人」マスコミに科学論争の決着をつけられる実力があるわけでなく、学者に記者会見をさせてその様子をワイドショーの題材にしただけだ。おそらく、stap細胞は証明されない仮説のまま論文が違っていた公算が高いが、翻って、文系の世界はどうなのか。実はこれが、理系よりデタラメなのである。
例えば、経済政策は国民にとって重要だが、それを政府に指南する経済学者。昨年秋に、そうそうたるエコノミストが消費税増税しても影響は軽微であると話していたが、実際はそうでない。最近出てくる経済指標はどれも、「想定内」とはいえないような悪い数字ばかりだ。おそらくマスコミは、経済学者、エコノミストが1年前に言っていたことも忘れているのだろう。今回の消費税増税は1997年と違ってアジア危機もないので、影響は限定的と言っていたのではないか。そうした主張をする経済学者、エコノミストをマスコミは使って、国民には有益でない情報をまき散らしていた。
stap細胞は間違いでも、国民生活にはたいした影響がない。しかし、「増税の影響は軽微」と語る専門家の進言で消費税増税が行なわれたとしたら、国民はたまったものではない。もっとも、それらの経済学者、エコノミストは財務省の「ポチ」である。ポチの書いた論文のデタラメさは、素人のマスコミでもわかりそうなものだ。おっと、そのマスコミも軽減税率というエサで財務省に籠絡されているのだから、その意向を無視して記事をかけないというわけか。
『週刊現代』8.30
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