加藤のメモ的日記
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| 2013年11月05日(火) |
蕩尽(とうじん)の快楽 |
世界富豪列伝
ダイナマイトで得た巨万の富が、世界的「賞」として贈与されるとき
2013年10月9日、スウェーデン王位科学アカデミーは、フランスのストラスブール大学のマーティン・カープラス氏、イスラエル・ワイツマン科学研究所のマイケル・レビット氏、ハーバード大学研究員のアリー・ウォーシェル氏の三氏に、ノーベル化学賞を授与した。同賞の受賞者と目されていた、京大の猪熊氏は受賞を逃した。同賞の受賞者と目されていた、京都大学の猪熊氏は受賞を逃した。
受賞の三氏は、理論化学の基礎を築いたことを認められたわけだが、猪熊氏は、実用化に導いたという功績がある。この辺り、かなり微妙だが、実用よりも発見を優位とすると、アカデミーは判断したのか。いずれにしろ、ノーベル賞のプレステージは、極めて高いものだ。1896年、アルフレッド、ノーベルが63才で死去した際、20日後に開封された遺書によると、親戚の遺産の取り分はなかった ノーベル賞は、物理学、科学、生理・医学と、文化と平和に対する貢献を讃える賞を設けるように遺言した。ダイナマイトを発明し、巨万の富を築いたノーベルの寄託は、まさしく「がくだん」てきなしょうげきをもたらした。賞というポトラッチ的な贈与が、世界史を動かしたということは、やはり興味深い一幕として記憶されるだろう。
10月10日には、ノーベル文学賞が発表された。欧米のブックメーカー(賭屋)では、村上春樹氏が有力視されていたが、カナダのアリス・、マンロー氏が受賞した。日本のメディアは、村上氏の受賞を確実視していたが、外れた。前回の文学賞は、中国の莫言氏が獲っているので、アジアから続いての受賞は困難とみるのが妥当だろう。一方、理系の賞は、地域性などを勘案することはない。科学的に検証された事実に添って、評価が定まる。文学賞や平和賞は、その辺りのさじ加減については、かなり微妙なものがある、と云わざるを得ない。
日本で最初のノーベル文学賞受賞者は、川端康成氏だった。川端は、おそらく、あらゆる文学賞受賞者の中で一番奔放なヘミングウェイやフォークナー、クヌート・ハムスンといった面々と比べても、比較にならないほどの畏怖を払われるべき作家であるといえるだろう。なにしろ、ノーベル賞の受賞が決まると、すぐに賞金を当てにして、ルノワールやドガ、速水御舟らの絵画、北宋の汝窯(じょよう)の磁器といった逸品を買いまくって足を出したというのだから。逗子マリーナで自殺したときにも、遺言を残すわけでもなく、岡本かの子全集の推薦文を途中まで書いて、そのまま万年筆のキャップを外したまま、ガス管を咥(くわ)えて亡くなった。
名翻訳者を得られれば、ノーベル文学賞は獲れる
このあたり、弟子である三島由紀夫とはかなり違う。農務官僚の息子として生まれた三島は、父のルサンチマン(憎悪や妬み)を背負って、大蔵官僚になり、許されて作家生活に入った後も、刻苦勉励に努めた。奔放に振る舞うポーズを取りながら、実は細やかな配慮を忘れない。三島は川端について「この人は、時間が惜しくはないんだろうか」と思ったそうな。何しろ、当時、川端の家は、千客万来。
どこの誰ともしれない人が出入りし、慈善財団の頭株とか骨董や、画商、芸者、ホステス、歌舞伎役者、政治家の秘書といった有象無象が跳梁している。川端は、平気でその有り様を睥睨して、何とも思っていない。強面を装いつつも、実はまっとうな常識人だった三島は、やはりとうてい理解できない存在だったろ。
巷間、一部のメディア関係者の中で、本当は川端ではなく、三島がノーベル文学賞を獲ることになっていたのに、無理矢理、川端が受賞するように手を回した、と云う説が流布したことがあった。たしかに、ノーベル賞を獲れていたら、三島はかなり楽だっただろう。実際、アメリカでも三島の作品は、売れていた。英語も堪能だったから、国際的な活躍も十分、期待できただろう。
2012年NHKは、ノーベル賞の選考資料の情報開示をスウェーデンアカデミーに要請した。すると、かなり面白い事実が現れた。初めて日本人として、ノーベル文学賞の候補に挙げられたのは、社会運動家の賀川豊彦だったそうな。賀川は、神学生時代に神戸市葺合(ふきあい)の貧民窟に住み込んで伝道生活に入り、プリンストン大学に留学、貧民窟に戻ってベストセラー『死線を越えて』を出版した。賀川は二度、ノーベル賞候補になったそうな。
その後、谷崎潤一郎と詩人の西脇淳三郎が候補に挙げられたらしい。谷崎ならば、大方の日本人は納得しただろう。けれど、良い翻訳者を得られず、谷崎文学のヨーロッパへの普及にはかなり時間がかかった。川端が幸運だったのは、戦前すでに『伊豆の踊子』がドイツで翻訳されており、戦後早い時期に英訳も出たことだ。1956年には、最高傑作である『雪国』が、アメリカの文芸評論家、サイデンステッカーの訳で上梓されていた。サイデンステッカーは、戦争中に日本語を学び、翻訳家として活躍した。川端の受賞は、名翻訳家を得たからこその快挙だといえるだろう。かって井上靖が、ノーベル賞を取るのではないか、と云う噂で文壇が持ちきりの時期もあった。だか、結果として、井上靖は、候補には挙げられなかった。
『週刊現代』11.2
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