加藤のメモ的日記
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2010年11月14日(日) 無縁社会

「生活保護を受けていて自殺する人のうち、9割は誕生日の前後になくなるそうです。普通の人の人生には発展や成長がありますが、仕事もなく、家族など人間関係もない人は、ただいつまでも同じことを繰り返していくだけ。その中で誕生日という区切りを迎えると、何も変わらない人生を思って絶望し、自ら命を絶っていくのでしょう。

生活保護を受けると、毎月約13万円のお金がもらえ、医療費もタダ。下手に勤める人より収入が多くなる場合もあるが、死んだ場合は20万円前後しか葬儀費用が出ない。(都道府県によって若干の違いがある)その金額だと、遺体の火葬はできるが、通常の葬儀も、戒名をつけることもできない。

「つまり、火葬をしても遺骨を納めるところがないのです。通常は霊園の納骨堂に置いておくのですが、各地でどんどん数が増えてきて、急いで建てたプレハブの建物や、廃校になった学校の元校舎などにどんどん遺骨が山積みになっています。どれも身元の分からない無縁仏。

自治体の中には葬儀会社に対し、「そっちで持っていてくれ。代わりに仕事を発注するから」といって遺骨を押しつけているところもあります。生前も骨になった後も、ここまで縁に恵まれないとは哀れとしか言いようがない。しかしこれからの時代、誰に降りかかってもおかしくない運命なのもまた事実だ。

藤井氏によると、多くの女子学生は「死ぬまで独身でいるのはイヤ」「結婚しても離婚したらまた一人ぼっちになる」と怯えている半面「結婚して家という共同体に組み込まれるのに抵抗があるけれども、そういう場に入らなければ無縁は避けられないのか」という絶望感も感じているのが現状。要するに皆、「一人にならないための結婚」をしたがっているのだ。

「以前、自殺が多いことで有名な富士山麓の樹海を探索したことがあります。たった一人で死んでいく人も、樹海では最後に『日だまりの下』を死に場所に選ぶんです。鬱蒼と茂った森の中で頭上がぽっかりと空いて空が見えるところ。私は死体こそ見ませんでしたが、あちこちの日だまりの下に、簡易ベッドや薬の空き缶があった。すべての縁を失って自殺する人も、なお光を求めていたと思うと、本当に切ないものがありました」

自殺の名所の類型としてよく見られるのは、断崖絶壁や深山幽谷で有名な観光地である。これらの観光地では、仮に誤って転落や遭難したとしたら、生存の可能性はほとんどないような場所にいとも簡単に近寄れる。このような場所を本能的に恐怖を覚えたり忌避する人もいるが、そうであるがゆえに、逆に自殺志願者にとっては「確実に死ねる場所」として格好の立地条件となってしまう。

これらの観光地は本来の意味でも名所であるために、もともと人が集まりやすくその場所で自殺が多発して「自殺の名所」として有名になると、全国各地から自殺志願者を引き寄せてくるという悪循環が生じてしまう。原因としては、自殺志願者の多くが「多数の中の一人」という思いが強いという心理的な影響もあるといわれる。「あそこなら楽に死ねる」「多くの人が亡くなっているのだから寂しくない」という心理学的な影響を指摘している研究者もいる。

日本の自殺の名所としては、青木ヶ原樹海(山梨県)東尋坊(福井県)天ケ瀬ダム(京都府)三段壁(和歌山県)足摺岬(高知)華厳の滝(栃木県)中央線快速(東京都)八木橋(宮城県)高島平団地(東京都)などがある。


『週刊現代』


加藤  |MAIL