加藤のメモ的日記
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| 2010年09月13日(月) |
コベントリーの悲劇(2) |
ドイツ空軍の暗号解読によって、イギリス中部にある軍需産業都市コベントリーが爆撃されることが判明した。その日時までも分かった。つまり市民には避難勧告を出すこともできる。チャーチルはどうしたか?……この避難勧告を握りつぶしたのである。イギリス国内によるドイツ・スパイによって、暗号解読の事実がばれることを恐れたためである。
つまりチャーチルは、暗号戦での勝利を優先し、コベントリー市民の生命を見捨てたのである。空軍による迎撃すらしなかった。1940年11月15日、爆撃が行われ、およそ1.000人のコベントリー市民が犠牲になった。しかし、戦時には国益がいかに優先するとはいえ、これは権力者による犯罪だとはいえないだろうか?
翻って、日本軍の指導部はこれほど非常な決断をなしたことがあっただろうか?確かに戦争の終盤では、追い詰められた大本営は、次々に無謀な作戦を発動し、将兵たちを死地に送り、多くの犠牲を出した。大本営、あるいは軍司令部のメンツを保つために師団規模の兵団が犠牲にされた例はいくらでもある。
その好例は、インパール作戦である。これは制空権も補給の当てもなく、インド奥地インパールの奪回を狙った作戦である。しかしこれは非常な決断とはいえない。一見非常に見えても質が違う。つまり計算ずく、目の前の犠牲と大局的な勝利を天秤にかけた末の決断ではない。ひたすら押されまくってのなし崩しの決断であり、何とかなるかもしれないという幻想と願望によって将兵を送り出したのである。
『日本人は悪党になりきれない』
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