日記のようなもの
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| 2011年12月14日(水) |
12/14 ひとつき |
気づいたら今日は月命日
友人が旅立って1ヶ月がたちました
いや、もう1ヶ月 まだ1ヶ月
早いのか遅いのか…
なんかヘンなカンジ
毎日、顔をあわすような関係でもなかったので 彼がいなくなっても日常に変化はなく
ただ、最低でも週に1回はあったMIXIでのカラミがなくなったってことぐらい
ま、それだけでもモーレツにさみしいんだけどね
連絡しようと思えばすぐにできたのに それが出来ない場所に旅立ってしまったのだから…
その距離感をジワジワと実感してくるのよね…
そして、しだいにそれが当たり前になっていく…
なんてね
亡くなってしばらくは引きずっていたんだけどね
でも、死んだもんは死んだんだし それはどうやっても変わらない現実
ある意味、葬儀に参列しなかっただけリアルに感じないのがまだマシ
って、そこらはね
遺体を荼毘にふして 骨を拾ったって 何年たったって
リアルに実感することはないんだけどね…
いや、事故で逝った友人の一周忌に行って 帰りの車中で思ったのが 「実感ね〜な〜」だったものw
そこらはムリすることない
実感することなんてないのよね
人の死なんてそんなもん
それを無理やりにでも受け入れようとするとムリが出ておかしくなる
ま、ひじくるさんにムリ言って一緒に話したのでラクにはなったのかな?
それ以降はひきずることはなくなりました
彼はバイクで逝ったのだし バイクに乗るってのはそういうことで さらに好き好んで山に走りに行ってたんだしな…
コレばっかりはしょうがない
バイクってそんなもんだわ
だから、楽しいうちは乗ってたけど 怖くなったからオレはおりました
そんなわけで、ちょいっとセンチメンタルな気分なので…
彼が亡くなった翌日 オレが京都で訃報を聞いた時の話など つらつらと書いてみようかと…
トロッコ嵯峨駅09:06発な 嵯峨野観光鉄道のトロッコ列車に乗るために 8時前にホテルをチェックアウトして京都駅のコインロッカーに荷物を預けて
京都8:26発のJR嵯峨野線の電車に乗りました
列車は満員で4両+4両で中間運転台あるクハに乗車 ま、ヨメがよりかかれるように
ヨメは「大丈夫」ってんでオレが奥の壁によりかかって 携帯でMIXIなど…
1時間に1回 ほろよいの木 に水をあげないといかんのよw
そしたら、新着メッセージがあるとのことで開いたら…
イタリアのさなくるさんから
「真偽はわからないけど」
「Kさんから突然メールが来ました。 お仲間のMさんがバイク事故で亡くなったって。 ホントなの!?」
ああ、KさんはマイミクのMさんのバイク仲間 昨日の日曜は冬季閉鎖前日だからってホームコースなS高原に一緒に走りに行ってるハズ
面識はないけれど、そんなウソをつく人ではないはず
で、前日まで
2011年11月11日 08:13 「日曜朝は行けないんよね。 午後から行こうかな・・・っつかタイヤが間に合わなかったからユクーリね。」 2011年11月11日 09:11 「 おおっ、土日はいい感じぢゃん。・・・・最終戦ですな。」 2011年11月12日 16:12 「明日はいいみたいだよ!!午後から上がる猛者はおらぬかっ!?我に続けっ!!・・・っつか続かせてください。」 2011年11月12日 19:01 「朝から行けることになった」
というやり取りを見てたけど
その後の続報がいっさいない
現実を受け入れるにはそれだけで十分だった
今回の訃報を聞いて、まず「信じられない」って思った人が多かったみたいだけど
オレには信じるしかなかった…
いや、信じられないとかって要素ないもの…
ここ数年での彼の行動
ヤマハYZF750SP→ドカティ996→ドカティ848
ホンダNSR250R-SP→アプリリアRSV250→ヤマハYZF-R6→スズキGSF1200
と、頻繁なバイクの乗りかえ 毎週末にワインディングロードへの出撃
R6ではかなりの数の転倒をしてたらしいので 大きなケガをしなければ って ずっと心配してました
だからなのか、スーっと受け入れられました
受け入れざるをえませんでした
バイクに乗っていたものとして、そこらの覚悟ってのはね…
で、知ったはいいけど
さて、どうする?w
自分は京都発亀岡行きのJR嵯峨野線の満員電車に乗っている
ホントだったら、すぐに家に帰って情報を集めて葬儀に出るか出ないかって流れになるのだけど
オレは残念ながらバイクの事故で逝った友人の葬儀には参列しない主義
オレもバイク乗りだったし もう何人もバイクで逝った友人を見送っている
高1の時の同級生 大学5回生の時の同期
どちらも遠方から出てきてる人間で葬儀に行けなかったのもある
大学の先輩の葬儀には怖くて行けなかった
バイク乗りの自分からして突然の事故で息子を失った遺族の顔なんて
見れるわけがない
そんなわけで、へたれて遠くから冥福を祈りました
だから、新潟に行くという選択肢はゼロでした
つか、オレがそういう主義だって知ってる人だから 「お前はそうなんだろ?来なくていいからさ ちゃんとヨメさんの面倒みなきゃダメだよ」
そう言われた気がしました
オレが結婚した時にはすでに娘2人のパパで 結婚した時には「長い間待たせたんだから幸せにしなきゃなぁ」なんて 先輩面してはにかみながらオレに言ってくれた
奥さんと2人の娘さんをとても大事にしてる人だった
落ち着いたらヨメにも知らせようと思ったけど
言えなかった
言う機会を失ったってのもあるだろうけど
なんだろう?
言ってしまったら全てが崩れてしまいそうだ 足が震えてる、彼を失った現実を受け入れるだけで自分がいっぱいいっぱい
こんな満員電車の中でヨメに伝えたら オレはその場で崩れ落ちるだろう
もう、満員電車で泣き崩れるなんて
それはステキなヘンな人www
落ち着いたら言おうと思ったけど
嵯峨嵐山駅に着いたら、隣接する左岸観光鉄道のトロッコ嵯峨駅へ 当日券が発売されていたので購入してそのまま乗車
あとは流れるように嵐山観光
もう、ハナシを切りだす勇気もなく ここまで来たら家に帰って落ち着いてから言えばいいさと開き直って
結局、家まで持ち帰り
だって、冷静に考えてみたら ヨメに話したら、もうその時点でヨメがジエンド
今回の旅行が終了しちゃう
2人でキャッキャウフフと楽しむような状況じゃなくなってしまうだろうて…
実際、野宮神社で 「もうすぐトロッコ来るから撮りに行って来る」
って、ヨメと別れて一人になったら涙が止まらなかったw
そんなもんよね…
で、家に帰ってニャンコのお迎えやらで17時半に帰宅したのに落ち着いたら21時w
ここで、ヨメに「実は…」と話しだすと同時に号泣
しゃべらないでいた12時間分のものが出たのかもしれません
あんまおぼえてないけど
うん、落ち着いたら書こうと思ってたのよね
別に隠すものでもないし
逆に残しておきたかった
ただ、旅行とは別にしたかった
で、行く気なんてさらさらなかったんだけど
帰宅してヨメにゲロってサッパリしたら
『行ってもいんでね?』なんて思いだしたのだけど
すでにガッツリ休みを取っててさらに1日休むのも 誘ってくれたひじくるさんはすでに仮眠してる
前に友人が事故死して <Notバイク
『スンマセン、仕事できません』って職場放棄をしてやらかして
「お前、友達が死んだぐらいで仕事を休むな!」って社長をキレさせた前科もアリで…
結局、行けなかった…
正直、自分を曲げてでも行くべきだったのかもって思ってもいるけれど
行けなかったのはしょうがない
コレがよかったのか悪かったのか
それはダレが決めるものでもなく 受け入れるものなのだろうな…
ただ、彼だったら
「いいよ、ムリしてくんなよ 自分のすべきことがあんだろ? それをしなきゃ」
そう、オレに言う気がする
そんなアニキ分だった
コレから先もフツーに人生の先輩なアニキ分として オレに助言をくれるもんだと思ってたから
それがなくなってしまったってのはホントに寂しいなぁ
こういう寂しさに慣れるのが大人になると言うのなら
オレは一生大人になんてならなくていいわ!
なんて、酒飲みながらのたまってた10代を軽く思い出すセンチメンタルな夜でしたw
ま、飲むか?w
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