日記のようなもの
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2002年11月05日(火) さよなら、31

 ボクが全日本時代の1990年から応援していたモトGPの原田哲也選手が引退しました
世界に出て10年、あっという間でしたね…

自分が原田選手のファンになったのは丁度バイクの免許を取る前の90年の5月ぐらいかな?
たまたま、本屋で立ち読みしたバイク雑誌に出ていて、自分の3つ年上の同郷の千葉の人が頑張っているんだって思ったのと当時からヤマハが好きでしたからね
ちょうど、春から仕事しながら定時制高校に通い始めたところだったので結構はげみになりましたね
そんなわけで雑誌と新聞だしたが全日本やGPのこととか調べて応援してました。
今思えば、なんで、バイク持ってたのにFISCOや筑波に見に行かなかったんだろう?
当時のホンダの岡田VSヤマハの原田のガチンコ勝負を生で見られたのに…
90.91とランク2位でいよいよ92年!
ほとんど毎レース、テールトゥノーズでの戦いで、特に第6戦の鈴鹿での同着優勝!
某所でその時のリザルトを見れる機会があったのですが、手が震えちゃいました…
そして、ついに全日本チャンプに!

それで世界へ!WGPは当時TV大阪で毎週日曜深夜にやっていたんですよね
もう、嬉しかったです。
で、開幕戦オーストラリアGP(イースタンクリーク)で最後の最後で逆転優勝!
デビューウィンですよ!もう、ムチャムチャ嬉しかったです!
で、日本GP(鈴鹿)でも地元優勝!スペインGP(ヘレス)での兄と慕う若い選手を事故で亡くしたあとに涙の独走優勝
その後、転倒して骨折などを乗り越えて
最終戦FIM-GP(スペイン・ハラマ)ではポイント差が10あるために優勝してもランク1位のカピロッシが4位以下でなければチャンピオンになれないという状況下で
予選5位、スタート後10位まで落ちながらも、とにかくチャンピオンよりも優勝という走りで、独走優勝!
対してカピロッシはプレッシャーに負けたのか、タイヤが終わったのか、コースアウトしたりしてズルズル後退して結局5位でフィニッシュ
ホントに逆転チャンプでしたね…
あの、TV大阪千年屋アナの「若井と一緒に走るチャンピオンへのファイナルラップです!」って名言でしたね…
当時は号泣ものでしたし、今ビデオで見ても泣いちゃいます…

で、ケガに泣かされたゼッケン1の94年、
マシンの非力さで泣いた95年、
マシンやチームに振り回された96年、
アプリリアに移籍して心気一転だった97年、
最終戦に違う意味で泣かされたツライ98年、
500でも通用できることを見せてくれた99年、
マシン開発にてこずった00年、
まだまだ力が健在なことを見せ付けてくれた01年
それで、2002年
「NSRに乗れなかったら、引退してた」とまで言ってホンダに移籍してNSRでのライド
治らないシーズン前にしたケガ、NSRのデータがほとんどないダンロップタイヤでの挑戦、はじめてのサテライトでままならないセットアップ
苦労した1年間だったと思います。
最終戦のバレンシアGPではタイヤトラブルでピットイン、周回遅れで最下位ながらも14位でポイントゲット
引退会見もTVで放映されましたし、グリッドでの傘持ちは奥さんのみゆきさんが!
いい引退レースだったと思います

今年って、本人がずっと戦ってきて憧れだったホンダNSRに乗る夢をかなえたってのと、ファンの自分たちにも夢を見せてくれたんだと思います
もう、今までの言動から今年は最後かもな?って思ってました
まだ、いろいろなチームからオファーがありつつも勝ち=チャンピオンを狙える状況じゃないとやる意味がない
もう、本人が決めたことですしね。
自分はずっと応援し続けることができて良かったです。
ある意味、失意の引退ではないと思います。

てなわけで、仕事もなかったのと無性に行きたくなって、原田選手のご両親が経営する焼き鳥屋「鳥幸」に行ってきました
御両親ともほんとにホッとされた表情で、いろいろとお話できました
とにかく、原田選手が世界に出てずっと心配し続けた10年間だったそうです。
特に、93年スペイン・ヘレスでの若井選手の事故、95年オランダ・アッセンでの永井選手の事故、とどちらも原田選手と親しい選手が亡くなったっということもあってか、レースのある週末はいつも気がかりでパスポートを用意して現地でなにがあっても飛んでいけるようにしていたそうです
重い言葉でした…
「寂しいけど、安心したかなぁ…」との言葉聞いて、これで良かったのかな?と自分の中で納得することができました

気分的にはラクになったけど、来年のエントリーリストを見たときや来年のGPで姿が見れない時に寂しさを感じるのでしょうね…

原田選手、今までお疲れ様でした。そして、いっぱいの夢をありがとうございました!


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