++るうの独り言++
目次へ前へ次へ


2002年03月28日(木) 百花繚乱

桜やら桃やら
花色鮮やかな、いわゆる派手な花々の百花繚乱に
いつもなら春先には必ず目が行く野の花々が、今年はあまり語られない。

天人唐草も咲いてる。 きえー ヾ(・・;)
つくしもかわいい。
野のすみれもアスファルトのすきまから顔を出した。
タンポポも、からすのえんどうも、仏の座も、
みんな今年もきちんと顔を揃えている。

目を引きやすい派手な色に
どうしても人々は目が奪われがち。これはしょうがないっちゃしょうがないんだが。
桜の突然の満開に驚き戸惑いつつも、タンポポが一面に咲いていることよりずっと重く話題にされる。
仏の座が畑を薄い赤紫でそめても、かなりこの時期にしてははやすぎる桃の花の色にほどには注目されない。
本当に初春を語る花はどっちだ? とか思ったりもする。

ここで岡野@安倍晴明の言葉を借りる。
「つまりな・・・
時々おれはとてもひかえめに本当のことを言うのだが
人はお立ち台のギャルにように
わかりやすくて声の大きなもののあとについて行ってしまう
そういう者たちは たぶんおれの言ってることより
智徳などが大声で言っていることの方がわかりやすのだろう・・・」

このごろ
ド派手な花の撩乱にも似た状況が、人間界でも起こっていて
野の花のような言葉が人々の目や耳に入らなくなってきていることを危惧する。
見かけだけ派手で、中味がないという困った状況すらあり、
それに人々は引きずり回されている。

が、所詮中味のない者は続きゃしないのだ。
内容を伴わない、見かけの派手さや大声、といったいわゆる“パフォーマンス”だけで乗り切れる時ではない。
“パフォーマンス”しかない者にはすぐに終わりが来るだろう。
「人々の期待を裏切った! 見損なった!」という評価を下されて。
そして大きな声や派手な行動や見かけに、ついつい目を奪われ耳を傾けてしまった考え無しの人々にも、なにかあとで大きなしっぺ返しがくるにちがいないと思っている。

今は
大きな声を出す、マスコミを良く利用する、話が上手、見場が良い、
こんな人間がいたら、むしろちょいと用心してかかったほうが賢明かもしれぬ。




◆昔の今日の記事


目次へ前へ次へ