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2005年07月18日(月)
「教養の再生のために」加藤周一 ほか

「教養の再生のために」影書房 加藤周一 ノーマ・フィールド 徐京植
《加藤周一講演》大正教養主義とは、夏目漱石の弟子たちに当たる人(安倍能成、和辻哲郎、野上弥生子、寺田寅彦)が穏やかなグループつを作っていて、そうの中でかもし出す雰囲気がそれであった。教養主義は死につつある。理由は二つ。『職業の技術には役がたたない』『高等教育の大衆化』。
しかし、車を動かして遠くに行くにはテクノロジーと技術が必要ではあるが、その目的を決めるためには『教養』が必要なのです。教養の中からは『自由』と『想像力』を引き出すことが出来る。教養の再生が必要です。しかも新しい形で。
《ノーマ・フィールド講演》アメリカの戦争以前に史上最大の反戦運動が起こった。しかし阻止することが出来なかった。これを敗北と考えるとき、一種の頽廃が始まる。現代はベトナム戦争ほど、他者の痛みが見えなくなっている。貧困層から軍隊の志願を募っているという現状がある。教養が必要です。
《加藤周一インタビュー『教養に何が出来るか』》子供の頃から父親と良く話し合った。そのことの影響は大きい。との話は初耳。今まで加藤周一は父親の話をあまりしていない。なぜか。
当時(戦前)日本の中で「反戦」は少数派だった。しかし世界の中では多数派であった。そのことを知るには『教養』が無くてはならない。今ある日本には小さな反戦のグループが無数にある。しかしそれを横に結ぶ連絡網が無い。これは戦前の日本に似ている。だから加藤は『九条の会』に結成したのに違いない。あの会の発想はいったい誰が出したのだろうか。
教養はテクノロジーと両立する。科学的知識のスペシャリゼーションが進むとき柔軟で自由な精神が必要になる。それを与える唯一なものが教養なのである。しかし、テクノロジーは『専門化主義』に向かう。そして『専門化主義』は教養を直接には要らないというでしょう。私の行っているのは『理想主義』では無くて『現実主義』なのです。
教養に何が出来るか、それは分からないのですけど、それしかないし、それに賭けるしかないと思います。希望はそこにしかない。
《徐京植講義》プリーモ・レーヴィの『アウシュヴィッツは終わらない』のなかの教養の意味、を考えるべき。
しかし、彼は証言するために生還して来たのだが、やがて自殺する。現代というのは、『簡単』ではないのである。

大学生に向け、教養過程が縮小していく御時勢の中、『教養』の大切さを訴えるために企画した講演会、特別講義、インタビューの記録である。加藤周一の『教養に何が出来るか、それは分からないのですけど、それしかないし、それに賭けるしかないと思います。希望はそこにしかない。』という言葉が印象的である。加藤によると教養は死につつあるのだそうだ。理由は二つ。『職業の技術には役がたたない』『高等教育の大衆化』。しかし「車を動かして遠くに行くにはテクノロジーと技術が必要ではあるが、その目的を決めるためには『教養』が必要なのです。教養の中からは『自由』と『想像力』を引き出すことが出来る。教養の再生が必要です。しかも新しい形で。」それは例えば渡辺一夫が戦中に戦争非協力者になった力にもなった。「当時(戦前)日本の中で「反戦」は少数派だった。しかし世界の中では多数派であった。そのことを知るには『教養』が無くてはならない。」
この本、大学新入生や高校生にぜひ読んで欲しいのだが、いかんせん高すぎる。玉に瑕(きず)である。
(05.05.20記入)