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| 2004年08月04日(水) ■ |
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| 光州水村里遺跡見物記(04.01) |
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1月6日、花嵐さんといっしょに百済時代の大発見が続いているという発掘現場に行ってきました。場所は韓国ソウルから高速バスで2時間と少しのところにある公州・水村里というところです。 日本ではまったくニュースになっていないということもあるので、おそらくこの発掘現場に来たのは、私森の熊と花嵐氏が日本人では初めてではないかと思います。行きかたは案外簡単。公州バスセンターからタクシーをチューターして、公山城前にある観光案内所に行き、そこで詳しい場所を聞いていきます。ここの案内所の人は日本語は出来ませんでしたが、電話で通訳を呼び出し、土地カンのある彼女がタクシー運転手に場所を教えるという形で(でも迷いましたが)なんとか行く事が出来ました。(一時間と少しのチューターで2000円少しで済みました。) 百済の古墳というのでてっきり公州の観光地・武寧王陵の近くかと思っていたら、意外にも川を隔てた反対方向。百済の城があったという公山城からも10分くらい行った水村理という村の道路沿いの小高い丘の斜面上にありました。円墳ではなく、斜面に竪穴式の墳墓がいくつかまとまっています。 行くと10数人の方(若い人が多かった)が発掘作業をしていました。ちゃんとカラーの報告書をつくっています。それを見ると(ハングル部分はさっぱり分かりませんが)漢字で「儀堂農工団地造成敷地内発掘調査」とありました。遺跡規模は4920�孱横娃娃廓�9月からの発掘。筆談で少しだけ聞くと、450−500年の時代の遺跡らしい。(百済の公州遷都が475年なので、公州に都が出来る前の人たちの墓か、百済の王族の墓なのかも知れません)また我々が行った時は「ベルトが出土したよ(と聞こえた)」と教えてくれました。忙しい中、わけの分からん、韓国語もさっぱり出来ない見物人に親切に応対してくれて報告書まで無料でくれた発掘現場の方たちどうもありがとうございました。百済時代というのに、発掘現場ではほとんど墓意外は掘ったあとがありません。気候の関係なのか、広葉樹林が少ないからなのか、上に土がたまっていかないのでしょうか。年代の決め手はいったいなんだったのでしょうか。もっとわかった事はないのでしょうか。この墓はどういう形式なのでしょうか。出土物の名称はなんだったのでしょうか。疑問だけは山のようにもって帰りました。だれかあの報告書を解説してくれる人はいないでしょうか。 そのあと武寧王陵の見学をしました。7つの円墳からなる古墳群の一つが遷都後の百済で一番栄えた武寧の墓で、そばには資料館が建設されています。それを見ると水村理の墳墓とは明かに形態が違うという事が分かります。横穴式石室。中はドーム状で、見事にタイルで囲んでいます。そのなかに、様々な「お宝」がありました。ほぼ同じ時代なのに、水村里は相当みすぼらしい。この墓の形式がどうして日本に伝わらなかったのでしょう。 今回来て博物館が閉鎖されていたのには私的にはとても残念でした。今年の6月にはの新国立博物館が、武寧王陵の近くに建設される予定。その頃にはもっといいパンフも出来ているでしょう。
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