日々あんだら
DiaryINDEX|past|will
長くて重い話。
*
2年近く前にはもう決心していて、でも伝えられなかったことがある。
僕の実家は小さな製材所をやっている。 祖父が作って、父親が後を継いだ小さな会社だ。
僕は長男で、物心つく前から「お前が跡取りや」と祖父から聞かされて育った。 「大学出たら戻ってきて、跡を継ぐんや」と。
当たり前だと思っていたそのことに疑問を感じ始めたのは高校生の時。 自分の道は自分で選ぶ、ということに理由のない憧れを感じ始める頃だ。 跡を継ぐということは選択肢の一つとしてはもちろん考えるけど、他の道に進んだっていいんじゃないか、って思うようになった。 かと言って、小さい頃から跡を継ぐのが当たり前と思っていた僕に、他に進みたい道なんて思い浮かばなかった。
大学3年の冬になり、僕は普通に就職活動を始めた。 生まれて初めて、自分の進路について家族の誰にも相談しなかった。 何十社もの会社説明会に行き、自分の興味がある分野を絞り、面接を重ねて、幸運にも2社から「来てくれ」と言われた。 たまたまだけれども、同じ日に。 その翌日までに返事をしないといけなかったので、脳みそが溶けてなくなるかと思うくらい悩んで、今の会社に入ることにした。 実家の家業とは全く関係のない会社だった。
生まれて初めて東京に行き、形だけの試験と最終面接を受け、内定をもらった帰りの新幹線の中から実家に電話し、結果だけ伝えた。 就職活動をしているということは家族も薄々と勘付いていたらしく、普通に喜ばれて「おめでとう!」って言われたりした。
大学を卒業して今の会社で働き始めて、でも実家ではいつか僕が会社を辞めて帰ってくるということが既定事実になっていた。 両親も祖父母も親戚も近所の人たちも、みんなそう思っていた。 亡くなった祖父は生前ことあるごとに「しっかり修行してこい」というようなことを言っていた。 仕事の合間に勉強して家業に役立つ資格を取れ、と言われたこともある。 結婚式や法事など、親戚が集まるたびに「早く帰ってこい」と親戚のおっちゃん・おばちゃんたちから言われた。 祖父が亡くなり、49日の法要だったか1周忌だったか忘れたけど、その席の後で両親に呼ばれ、戻ってくるかどうかきちんと考えて決めろ、と言われた。 お前の人生だからお前が決めればいい、と。 ただ、弟たちに継がせるつもりはないから、お前が継がないならいずれ廃業する、と。
1年間考えさせてくれ、と答えた。
それから2年たち、3年たっても、僕は返事をしなかった。 というより、正直決められなかったのだ。 仕事で少しずつ認められるようになり、そうなると面白くなっていた。友達も増え、東京や大阪での暮らしが楽しかった。 でも一方で、生まれ育った家や故郷に対する思い入れもどんどん強くなっていた。 その板ばさみで決め切れなかった僕は、両親が返事を迫ってこないのをいいことに、先送りにして逃げていたのだ。
でも、いつまでも引きずるわけにはいかない。 実家では、僕が態度をはっきりしないせいで、設備投資をするのかしないのかも判断できずに困っているだろうことは想像がついた。 僕自身も、自分の中に「家業」という逃げ道があるせいで、今の仕事も中途半端になってしまいそうだった。
ある1つの理由で僕は自分の道を決めた。 それはもう2年近く前のこと。
その決心を、この正月にやっと父親に伝えた。
「ちょっとええか?」 「なんや?」 「仕事のことなんやけど、おれは今の仕事をずっと続けていこうと思っとる」 「そうか、わかった」 「それだけやねんけど」 「うん」 「すみません」
何年も悩み、決心してからも2年近く言えなかった会話は、ほんの数十秒で終わった。 「継がない」という言葉は使えなかった。 最後に謝ったのは家を継がないことに対してなのか、返事が何年も遅れてしまったことに対してなのか、自分でもわからなかった。
何十年か後、小豆島に戻ることはあると思う。 家族(奥さんとか子供とか)の反対がなかったら、いつか必ず戻る。 でもその時には、今の家に戻るんじゃないんだろうな、と思うと発狂しそうなくらい淋しい。 弟や妹たちが帰ってくるべき家を守ろうとしなかったことにも申し訳ないと思う。
でも、そこに自分の未来を描くことがどうしてもできなかったのだ。 一本道なら、先が見えなくても、1歩だけ前を見て前進することはできる。 でも分かれ道に来た時に、ウソでも勘違いでも、未来を想像できない道を選べるわけがないじゃないか。
*
「選択する、ということは複数の選択肢から1つを選ぶ、というだけではないのです。他の選択肢を全て捨てるということです」 「分かれ道に立った時に一方の道を選ぶということは、もう一方の道を進んだ時に得られるであろう全てのものを諦めるということです」
大学1年の春、経済原論の2時間目で女性の講師が言っていたこと。 その時はなるほどなーって納得していたつもりだけど、本当に実感はしてはいなかった。 だってあの頃は、片方の道を選んでも、もう片方の道に戻るだけの時間的余裕があったのだから。
この年になると、捨てていくことばかりだ。
|