決して忘れてはいけない、あれは天災であり、人災でもあったことを。
17日 05:46 地震発生 08:20 貝原知事、職員の自動車で県庁到着。対策会議開くも派遣要請出 さず 08:26 総理、官邸執務室へ(予定より1時間早い)。テレビで情報収集。 08:50 石原信雄官房副長官「現地は相当酷い」とコメント。 10:10 兵庫県知事の名で派遣要請(実際には防災係長が要請。 知事は事後承諾) 10:15 中部方面総監部、自衛隊災害派遣出動命令(村山の指示で3000人 限定。) 11:34 五十嵐官房長官、記者に社会党分裂問題を聞かれ、「それどころ じゃない」と発言し首相執務室入り。 現地で被災した新党さきがけ高見裕一からの電話情報を元に、村 山に事態の重大さを力説。 12:00 新党さきがけ高見裕一、現地から官邸に電話。自衛隊増員要請す るも、村山「高見は大げさだ」と冷笑
18日 辻元清美ピースボート現地入り。印刷機を持ち込み宣伝ビラを配布し始 める。「生活に密着した情報をとどける」と銘打つが、内容は、ピースボ ートの宣伝や、被災した喫茶店主の「国は17日付で公庫の返済分をきっち り引き落としよった」や、韓国基督大学による韓国風スープ炊き出しの話 しなど。
19日 筑紫「温泉」発言。火災の猛烈な業火で立ち上る煙を見て。 11:32 村山首相と土井たか子衆議院議長が伊丹空港に到着。
村山土井、ヘリで現地視察。灘区の王子公園陸上競技場に着陸。当時救 助に当たっていた自衛隊ヘリには、王子グラウンドヘリポート以外への着 陸を禁止していた。 クリントン在日米軍支援申し入れ。救助犬、発電機、航空機、横須賀母 港の空母インディペンデンスを救護拠点とした救援活動を申し入れるも、 村山拒否。毛布37000枚のみ輸送機で到着。
20日 筑紫現地で、焼け跡で遺留品を探す住民に近づき、撮影するなとの叫び にもかかわらず放映。 「住民は感情的になっています」と発言。
その後 1995年01月24日 朝日新聞 村山富市首相は二十三日の衆院本会議での代表質問で、阪神大震災を めぐる政府の対応について「今回取ってきた措置は最善の策だった」と 述べ、政府の危機管理体制に問題はなかったとの認識を強調した。首相 は、地震発生当日の午前中に非常災害対策本部を設置し、その後、小里 貞利国務相を専任の地震対策担当相に任命するなどの態勢を取ったこと を挙げて「政府として直ちに対応できる態勢を取った。今回の措置は現 状に照らして最善の策だったと確信を持って申し上げる」と答えた。 --- 以上、有名なコピーですが、ご存じない方のために。
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