ネガティ部 May日記

2007年03月07日(水) 
本屋でふと、懐かしい書名を目にしたので買って読んだ。
「アルキメデスは手を汚さない」
1970年代初めの、江戸川乱歩賞受賞作(の復刊版)だ。
読んだのは確か、中学生のころ。図書室の本だった。
当時の記憶は単なる学校を舞台にした推理小説で、話の筋が面白かったので、シリーズで何冊か読んだというくらいしかない。
時代背景が少々古かったが、家や図書室にある小説というのはある程度そういうものだと思っていた。

表紙の見返しには1994年作者没とあった。
それから既に十数年経っているのだから、読んだのはもう20年以上も前になる。
その年頃の自分が、何を読んでいてどう感じたのかが気になった。


で、読み終えての感想だが、正直中学生が読むような本じゃない。
少なくとも、今度中学に入学するような子供に買い与えたいと思える本ではなかった。
性的な描写は(当時はよく理解できずすっ飛ばしていたのだろう)ともかく、
古臭い時代背景(今の子供には得体が知れないだろう)はともかく。
上手い言葉が見つからないが、これは既に古典だろう。
作中人物に共感することは難しく、小説自体がまるでお伽噺のようだ。
予言めいた言葉は成就されて久しく、更に拡大されている。

しかしそう思うのも、私がこの「青春」推理小説を読むには歳を取りすぎているせいなのかも知れない。
思春期の、美しくカッティングされたガラスのような(とはまた陳腐な言い草だが)、張り詰めた(自らはそれと知らない)脆さであるとか、生硬な情熱だとか、そういったものから自分自身が遠ざかってしまったが所以に、いまどきの子供の不可知を想定したり、当時の自分に対する不可解を覚えたりするのだとすれば、なんと寂しいことではないか。

     
Past / Menu / Will 赤烏帽子/ Mail/