ネガティ部 May日記

2005年09月06日(火) 
はー、、、。

出るのは溜息ばかりなり。




大なり小なり情緒不安定ではあるのでしょう。台風も近いしね。
強制的に何かに向けないとなんだかとてもマズイような。

一日一日が長すぎて、特に夜は時間が止まったような気がして
今日が仕事だと思うとほっとする。
本読んだりクロスワード雑誌を解いたりして時間をつぶしているうちに、明け方寒さに目覚めて布団に潜り込む。
ならとっとと寝れば良さそうなもんだが、一部屋に雑魚寝スタイルなので出来る限り皆が寝静まってから横になることにしている(そんなのは個人的な事情だが)のでそういうわけにもいかない。


ちょっとまて。知らないうちに時間が過ぎていってしまう。と言ったのは数日前の自分だが、こんなに浮き沈みが激しいんじゃいくら気の長い私(あれ?どっかで笑い声が・・)付き合ってられない。
一日に十年くらい進んでもらっても構わないくらいだ。

















・・・・・・教会とか寺とかに修行に出たいです。



















***


情緒不安定ついでに吐き出してしまおう。



先日、
「トモダチなら迷惑掛けてもいいと思ってるわけ? 自分ならそんなこと思わないよ」
とほとんど罵声(と私には聞こえた)を浴びせられたんですが。

・・・そうかなあ。
人との付き合いってそういうもんじゃないんですか。
持ちつ持たれつ。
恩でも仇でも好意でも迷惑でも。
友達だからこそその度合いは大きくて、どこまで許せるかという方が大事なのではないかしら。
好意だってそうで、自分がもらうには過ぎた分だと思えばこそお礼を言うだけでは済まず、「いつか」という借りでは心もとなくて形にして返さなくてはならないと思ってしまったりするのではないかしら。
つまり、「許す」というのは相手の感情や事情を受け入れるということで、その度合いに応じて友情は深くなったり浅くなったりするんじゃないかと。
ちなみに愛情なんてものは、(無意識でも)自覚した途端に「許す」スタンスに自分を置いてしまうことになるので当てにはならないと思うんだけど。
(となると、愛情は受けるか拒否するかどちらしかないということか。突き詰めると究極の選択だなぁ)


どだい、迷惑なんてものも個人の主観でしかないわけで、自分が相手に迷惑掛けてると思っても相手がそう思ってなければ「気にするようなことじゃない・水臭い」し、逆に自分にそのつもりがなくても相手が迷惑だと思っていればそれは「迷惑かけられてる」に他ならないのだ。

相手に向かって「迷惑だ」と言えないのは相手を慮ってというよりは自分の主観(感情)を明らかにすることに不安がある(相手が許してくれるかどうか)からじゃなかろうか。
考えてもみてごらん。人に「迷惑だ」なんてよっぽど自分にとってどうでもいい人か、親しいと思っている人に対してしか言わないでしょう。

だから「迷惑だ」と言われてしまえば謝るしかないし、謝れないとすればそれは自分が相手の感情を許せない(受け入れられない)ことの表明にしかならない。



要するに、
「わたしはあなたに迷惑を掛けられている。あなたは許してもらえる関係だと思っているのかもしれないが、わたしにとってあなたは深い友人ではない。」
と言われたわけです。


異論のある方は申し出てください。

     
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