ネガティ部 May日記

2005年03月06日(日) 
相変わらず中途半端に空元気な私めでございます。
(どこからか早く寝ろよーと言う声が降ってくるな)
腹具合がイマイチなのは、体調が本調子でないにも関わらず豆出汁汁の味と香りしかしないコーヒーを無理やり飲んでるせいか、インフルエンザウイルスが腹で出渋っているせいか、別の風邪菌に冒されているかのどれかだと思われます。
本人的希望は一番ですが、おそらく三番あたりが正解かもしれません。



あー、私の不遜な我儘にも拘らずぽっちりしてくださった方、ありがとうございました。久しく音信普通なかたがた・・え? (すっげーな誤変換・・)
もとい、久しぶりな方々からもお声かけてもらいまして、ちょっと嬉しかったり。
Kのさまー、こっちも見てますよーーーv
A〜みさん、雪掻きで怪我しないでくださいね〜。
後から気付いた方でも気が向いたらぽっちりしてやってくださると喜びます。
大体、こんなとこに日記置いてる自体が自意識過剰ってもんではないですか。
不特定多数との関わりは持ちたくない、でも誰からも黙殺されたくはないというこのアンビバレンツ=二律背反。そしてジレンマ。

人なんて多かれ少なかれ、二律背反を抱え込んで生きていくもんだと思います。
どこやらで、「この人、よぉ今まで無事に生きてきたなあ」みたいな話をされたとも聞きましたが、図太いと言われればそうなのかもしれません。(あんまり自覚はないけどね)
でも最近思うのですよ。

もし私がいま死んだら。

多少の(一応家庭人ですので)心残りや未練はあっても案外さばさば死ねるんじゃないかな。とか。
いやいや、そう思うにはまだ自分は何一つ成し遂げていないよ。とか。



あー、ちょっと不吉な話かもしれませんが別に自らそう望んでるわけじゃないので全く心配はご無用です。
ただ、なんとなく最近そういう風に思うことが多いな。とそれだけなんですけどね。
まぁちょっとした戯言として聞いてもらえたらいいと思います。


その昔、私の目標は「良かった」と言って死ぬことでした。
だからといってそのために毎日を無駄にしないよう努めたり、その日その日を満ち足りた気持ちで過ごしたりという意味ではなく、過ぎるその時々をあるがままに受け止め、例え失意のうちにあったとしても、死に臨んで自らの生を肯定すること。それが目標、というよりは夢でした。

でも、今死んだら果たして私はそう思えるだろうかと考えたとき、そうはできないような気がするのです。

私にはまだまだやらなくてはいけないことがあるから? 
多少あたり。でも「私が」じゃなくても結果論から言えば「私の役目」をしてくれる人が居ればいい。
私にはまだまだやりたいことがある?
結構好き勝手生きてきたのでなんとも。ただ知らない世界をその数だけ知り尽くしたいというのは欲望として無限ではないか。
未だ何一つ成し遂げていないから?
成し遂げようとする気力は持っているのか。そも、何をかを一つたり自ら見出しているのか。見つけたいと渇望にその腕を伸ばしているのか。

いま私のこの手には、確かなものも、不確かなものも、私に見えるものは何一つないのです。少なくとも現状で、生を肯定して死を享受するというのは不可能だと思われます。


一書に曰く
 吾れ行年三十、一事成ることなく死して禾稼未だ秀でず実らざるに似たれば惜しむべきに似たり。然れども義卿の身を以って云へば、是れ亦秀実の時なり、何ぞ必ずしも哀しまん。何となれば人寿は定まりなし、禾稼の必ず四時を経る如きに非ず。(中略)
義卿三十、四時すでに備わる、亦秀で亦実る、その(しいな)たるとその粟たると吾が知る所に非ず。若し同志の士其の微衷を哀れみ継紹の人あらば、乃ち後来の趣旨未だ絶えず、自ら禾稼の有年に恥ぢざるなり。と。


この方、十歳には十歳の四時あり、五十、百には五十、百の四時ありと仰るのですが、・・・・・・我が身を省みてまだ四時には到らぬなあと。







うーん、なんかわけがわからなくなったので本日終了。
ほとんど酔っ払いとかわりませんなー。ま、いつもですけど。



     
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