ネガティ部 May日記

2003年11月04日(火) 
特に書くことのない一日・・というのもなんですが。
髪を切りに行きたいと週に2回くらいは思っているのですが未だに果たせてません。
本日もそうでした。
そりゃなぁ。午前中立ったまま2時間も雨柳堂(雨柳堂夢咄)に没頭してりゃそんな時間なくなるってもんで。

それにしても人というものはよくよく異類奇譚が好きな生き物であるものらしい。
雨柳堂にしろ百鬼夜行抄にしろ蟲師にしろ。多少毛色は違うが観葉少女だってそうだ。殊更に作品名を挙げなくとも、宇宙人や有機的人工知能まで含めると小説漫画その他の創作物と言えるものの半分かそれ以上は異類譚ではなかろうか。
不思議なものだ。とふと思う。


雨柳堂のセリフに「日本人は全てのものに魂が宿っていると考えているでしょう」というのがあった。
八百万の神といい、竈や便所にまで神様を祀るのはさて日本人だけなのだろうか。
ヨーロッパのおはなしでは、自然のなかに住まいする妖精の類いは聞いても物に魂があるというのはあまり聞いたことがないような気がする。
どちらかというと生き物に人間と同じ思いを読み取ろうとしている、生き物を人間になぞらえようとしている、そんな印象を持つのだが気のせいだろうか。

宗教的な背景を考えればそれも当然と思われるのだが、では、その宗教の発端というところまで遡ってみるとなかなかに興味深い。
生物の形態の進化と同じように宗教もまた、地理的環境的要因によって枝分かれし、発展していったのだろう。
人類よりも大いなるものの存在があることを認める。
これが宗教の根幹だ。
それが自然であろうと外界からきた異星人であろうと「神」(もと「上」の意。日本語というのは本当によくできている)であることには間違いない。
(神を畏怖し神の前に敬虔であること、が宗教ならば神を振りかざして他者の崇める神を貶めることは傲慢にほかならないと思うのだが、宗教戦争がいっかな終わらないのは何故なのだろう。唯一神でも八百万でもいいじゃないかと思うのは私が日本人のせいなのだろうか)


閑話休題。
で、異類譚(異星人や人工知能はここでは省きます)がなんでこんなに多いのかと思うに、人間は大抵の宗教下では神様の子孫だったり被支配者だったりするわけですよ。
でも異類というのは人間よりももっと神に近い。
ちょっと乱暴な説明になるけども、系図の上のほうにある異類と下のほうにある人間、といえばわかりやすいでしょうか。
異類が邪だろうと悪だろうとその辺には関係ない。


(時間がないので中略)


要するに人間は神様になりたいという欲望に囚われている。
そんな風に思ったのでした。



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中途半端ですみません。
おしごといってきま・・う。
     
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