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May日記 |
| 2003年09月19日(金) |
| 羊さんから久々に課題図書。というわけで山田詠美を読んでみた。 今までにも何回か読め読めと言われてきたのだが、これまで本屋で見かけても手に取ることもなかったのは、デビュー当時のあの本屋での平積みの仕方が気に入らなかったからに他ならない。 一体、私には本に対して妙に潔癖なというかある種の尊崇すら抱いているので、いかにも「これがトレンドだから読めと」いった本屋の陰謀めいた、卑屈な態度にはどうしても乗ってやることができないのだ。 本は自分で選ぶものと思っているし、良書はいつまでも残るものだ。事実、売れないからといって絶版になった本の多くは時を経て復刊している。 人との出会いは一期一会だというが、本だって同じようなものだ。そのとき会えなくとも、少なからず縁があればいつか必ず遇うものだと思っている。時代性から置いてきぼりを食ってしまおうが、ただそのときの評価だけしか持ち得ない本を読むなんて、本を読む意味が無いに等しいとすら感じてしまう。 だからといって、古い本ばかり読んでいるわけでもないのだが。 ここ数ヶ月の間に「青の炎」と「黄泉がえり」を読んだ。 どちらも映画化、ドラマ化され話題を呼んだ本だ。 だが正直なところ、私には映画もドラマも興味が無かった。 前者は映画化決定の帯がかかる前に知らずに購入したものだし、後者はドラマが終盤になったころ、原作とは違うというのを知って初めて読んでみようと思ったものだ。ちなみにドラマはなんとなく粗筋を知っているだけで実際には見ていない。 おそらくそういう状況でなかったら、私はどちらも読むのを躊躇っていたと思う。そういう偏屈なところが、私にはある。 実際、そうやって読み逃した本が多すぎるほどあって、人と話をしているとき、それが多少私が本を読むことを知っている人間だったりすると、(その本を)知ってて当然のように話題にされるのに閉口することもしばしばだったりする。(共通の話題を持っていると思われる人間に対して、人は存外に共犯者のような顔をするものである) 冒頭の山田女史然り、私はかの有名な村上姓を二方ながら読んだことがないし、吉本女史を読んだこともないのだ。 さて、山田詠美である。 「ぼくは勉強ができない」 この人にしたら異色の作とのことだが、作者を知らなかったので普通に読んでしまった。 初期のボーイズラブのテーマを内田春菊に近い切り口で、と感じたのだがどうなのだろう。 高校生の、それこそ課題図書にすればいいんじゃなかろうか。 ただし、これで感想文ということになったら教師のほうが困ること請け合いだが。これを読んで五味太郎のエッセイ(タイトル忘れた)を思い出したりしました。既存の価値観に一石を投じるために、是非読んだら良いと思う。そして読むならできるだけ若いうちに。 「ベッドタイムアイズ」 こういう直截的なのはちょっと・・と言うんじゃないかと羊さんは思っていたらしい。大丈夫だよ、こういうのもちゃんと読めるから。 とはいえ直截的と言いつつもかなり巧い具合にいろんなところで回避しているな、というのが実感。 所詮英語ネイティブではない日本人なので、どれだけ卑猥な単語を連ねられようともワンクッション置いてしまうし、設定そのものも(少なくとも私にとっては)全くリアリティがないので、全てを虚構に押し込めてしまった感が拭えない。これを読んで、一体どれだけの人が自分の身に近いこととして感じられるのだろう? ここに書かれているのは愛なんだろうか。ふとそんな疑問が頭を擡げる。 これだけ愛する、愛している、愛される、愛し合うという言葉で埋められているにも関わらず、私にはそれが愛だなどとはどうしても思えない。これは言うなれば恋に属する物語ではなかろうか。 この本が発表当時、どうしてあんなに話題になったのか正直言ってわからない。それどころか、尻馬に乗って読んだりしなくて良かったとすら思う。(言い方に語弊があるかも知れないが、自分にとっての意味も見出せないのに時流に乗るというのは尻馬以外の何者でもないと思う)(ついでに言うと「自分にとっての意味」なんて単に「好き」だって構わない) 技法として学ぶ点はあれど、読みたい人が読めばいいのではないかと。 |
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