私は、善意や熱意が、全てを肯定する理由には、ならないと思っている。悪意なく、ただひたすら人のことを考えていたとしても、その結果がマイナスになってしまった時、やはり人は、その責任を取らなくてはならない。そうならないために、人は「思慮深さ」と言う鎧をまとうのではないだろうか。