ぶつぶつ日記
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2004年02月16日(月) 言葉と心の距離

大変残念な話しだが、遠方から襲撃されてしまう場合、
アラビア語が出来ようがなんだろうがほとんど関係ないのね・・・などと、
外交官が亡くなった時には思ったものだ。
これが、誘拐されて・・・というなら、少し話は違ったかも、と。

日本人もだけれど、アラブ人もみんな、
自分たちの言葉であるアラビア語は難しい言葉、
と考えていて(そしてそう考えるのが好き)、
なので、外国人がその言葉を話すと、親近感が一気に倍増する。
それが、フスハー(正則アラビア語)ではなく、
アーンミーヤ(その土地土地の方言)だった日には、
「オフティー、ワ、ビンティー(私の姉妹、私の娘)」と
わらわらと大騒ぎである。

逆を考えてみれば。
言葉も出来ない武器を持った人がいるというのは、
イラクの人にとってもやはり、恐ろしいし不快であろう。
そして、駐留兵にとっても、親しみよりも恐怖が勝って当たり前だろう。
自衛隊の人たちも言葉がわからず、
にこにこと笑顔を向けているだけのようであるが、
その笑顔も、いつまでいい笑顔と思ってもらえるのか。
残念ながら、もしかしたらすでに、
「へらへら笑ってばかりいる、薄気味悪いやつら」
と思っている人がいるかもしれない。

駐留兵にアラビア語を話せなんて、そんな無理難題は言わない。
ただ、本当に心を結ぶ支援がしたかったら、
現地の人たちと話しができるように、
通訳なりをたくさん雇って、日常的に話さないと。
それが、日本語→英語→アラビア語、でもいいと思う。

言葉が全てじゃない。
言葉を超えた心の交流も確かにある。
しかし、むやみにそればかりを期待するのは、
時間の無駄だし、危険も多い。
言葉を使って、心を勝ち取ることも必要なのだ。


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