ぶつぶつ日記
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2004年02月11日(水) 盗まれた世代

ちょっとぱーっとした気分になりたいと思い、
パイレーツ・オブ・カリビアンを借りてきたのですが、
これがなんと、私のPCでは再生できないでやんの(−−;)。
今までこういう事なかったんだけどなー。
なので、重そうだったけど観たかったのでやはり借りてきた、
「裸足の1500マイル」という映画を先にみた。

1930年代のオーストラリア。
アボリジニの母子(特に混血児)は、
原始的な生活からアボリジニを「救うため」の
白人化政策のもとに、引き離されてしまう。
矯正可能な子供たちは、施設に入れられ白人により近づくための教育を受ける。
この、今になって考えるとはなはだ野蛮な政策は、
なんと、1970年まで続いていたそうである。
そして、多くのアボリジニがこの政策により
今でも自己のアイデンティティークライシスを抱え、
それだけではなく、映画の中で暗示されているように、
使用人や労働者として独り立ちさせられたアボリジニたちは、
結局、白人になどなれず、
今で言うセクハラに遭遇し、虐げられた生活を強いられることも多かった。
オーストラリアでは、この政策により家族と引き話された世代のことを
「盗まれた世代」と言う。

映画は、妹といとこと収容施設を逃げ出し、
1500キロ9週間かけて生まれ故郷に逃げ帰った、アボリジニの少女の話
(ちなみに1500キロって、2400キロです。なんと、稚内から那覇まで!!!)。
皮肉なことに、彼女たちがこの気が遠くなるような道のりを、
無事に母の元に戻れたのは、
人々の善意と言うよりは(実際、彼女たちは都市部の白人とは違う、
厳しい自然の中で暮らす農婦や、はぐれ者の白人に何度か助けられる)
原始的なはずのアボリジニの生活習慣やサバイバル術だと言うことに、
観ている私たちはすぐに気がつく。
そして、真実はやはり、作られた話よりも衝撃的であるということ。
この映画の最後に、主人公のモリーはいったん母の下に戻る。
そして、砂漠の奥地に隠れ住み、結婚し娘も生まれる。
しかし、その娘とともにまた「捕らえられ」、
同じ施設に入れられ、そして再度、
下の娘を抱えて、生まれ故郷に同じ道を辿って戻ったそうだ。
けれど、映画の途中で施設に連れ戻されてしまう
いとこのグレイシーは二度と故郷に帰る事はなく、
娘もまた施設に連れ戻され、モリーと二度と会うことはなかったと言う。
80歳を越えたモリーは今も、妹のデージーと友に、
生まれ故郷のジガロングに暮らしている(2000年)。

善意や思い込みで行われる様々なこと。
70年前のオーストラリアの政策を、
野蛮と言い切り、断罪だけしていれば、
私たちは良いのだろうか。
今も、どこかで。
善意と言うなのもとに、野蛮な行為が行われていないか。
正しいのは自分たちの文化習慣だけとか、
文明的ではないから、それは哀れであるとか、
そんなことは、全くないのだ。
少なくとも、他者から強制されるべきことではない。
今も、世界のどこかにモリーがいて、
悲しい、そして強い瞳で、
私たちの欺瞞を見つめている。


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