ぶつぶつ日記
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誰にでも理想にする生き方と言うものがあるはずだが、 私がずっと憧れて理想にしてきた生き方というのは、 多少不器用でも、何かたった一つ柱になるものがあって、 それ一筋で生きていく、というもの。 ところが、自分をと省みれば、 一番ぴったり来る言葉は「器用貧乏」。 ある程度の事はそこそこ出来てしまうのだが、 気が多いのか、飽きっぽいのか、 「これ!」って思うものがなかなか決められない、見つからない。 ずいぶん、それで焦ったり落ち込んだりすることもある。
何人か、私の理想の生き方をしている人を知っている。 その中でもその人は本当に、「本物」。 正真正銘の「画家」。 世の中には、こう言う人が本当にいるんだなあと知り、 ため息が出た。 どんな風に本物かと言うと、この人はまず、 働いたことがない。 それは親が金持ちだから、とかそう言うことではなくて、 本当に絵を書くこと以外、考えられないのだと思う。 多分、食べるために書いた絵なり、イラストなり、 という仕事もしたことがないのではないか、と思うくらいに。
初めて会ったのは、スペインの小さな街だった。 抽象画の良質な画廊があるその街で、 その人は同じようにアーティストの日本人女性と2人で、 15世紀に立てられた味のある家に住んでいた。 枕もとにはさりげなくフジタの絵が飾られた、 本当に小さなその家に、2度ほど遊びに行った。 自分が何をしたいのかわからず、じたばたしていた私にとって、 2人の生活はまぶし過ぎたが、 自分の父親ほどの年齢だと言う事もあり、 嫉妬よりも、憧れが胸を満たした。
私が日本に戻ってきた頃、 もともと体調が思わしくなかったその人も日本に戻り、 生家近くにあるいわゆる分譲型の老人ホーム的なところに部屋を借りていた。 多分彼は、その部屋がどれほど高いか、知らないのではないかと思う。 それも、彼の才能を愛する人が、無償で提供しているようだった。 きっとスペインにいる間も、そう言う人々が彼らの生活を 支えていたのではないかと思う。
穏やかな瀬戸内海の町での3年間の間、 東京や岡山などで個展を開き、 このままずっとここにいるのかな?と思う反面、 その人がスペインのあの街にいないことが、 なんだか不満だった。 今年、その人はまたスペインに戻るという。
その人が、毎日あの家の急な細い階段を登ることを考えると、 心配で胸がつぶれそうになるが (実際、以前階段から落ちて彼の首には鉄板が入っている、体が不自由なのだ)、 「こんなところで死にたくないよなあ。」という電話の向うの声が、 なんだか頼もしくてうれしかった。
今年の冬、私はまたその人に、あの家であえるだろうか。 会いたい、と思う。 何となく、自分の「もの」を見つけられそうな今、 もう一度、「本物」に会いたいと思う。
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