サッカー観戦日記

2003年09月16日(火) 雑文・ベガルタ仙台の監督交代について

ベガルタ仙台の清水監督が解任され、ベルデニック氏が後任に入るという。2006年1月までの長期契約らしい。今期のゲーム内容・結果からすれば解任は当然である。J1残留成功しようがしまいがシーズン終了後には解任は避けられないものと考えてはいた。またベルデニック氏は優秀な指導者だ。彼を獲得できる機会を逃さない迅速な行動力はサッカークラブに不可欠な姿勢でもある。しかし、私はこの選択はあまり賢明なものではないと考えている。長期戦略の一環としても、対処療法としてもだ。

そもそもベガルタ仙台というクラブには戦略的なクラブ作りを感じない。まともに提示したことすらないのではないか。このクラブ初期からの失敗の数々を挙げてみよう。

まずチーム名。東北電力サッカー部を母体に「東北全体に愛されるプロサッカークラブ」を目指すはずのチーム名が「伊達男」というブランメル。なんて仙台ローカルなネーミングなのだろう。当時の最大出資企業は岩手の会社だったが、スポンサー集めを考慮した目標ではないはずだ。1ヶ月やそこらでもう方針変更したのだろうか?しかも実在のブランメルは経済的に破滅した人物で、不吉そのもののネーミング通りに後にクラブも破綻するのだった。現在の「仙台市民に愛されるクラブ」という方向性はまったく正しい。初期の目標がはったりに過ぎず、無駄なロスをしていなければいいのだが・・・・・・。

次にユニフォームスポンサー。東日本ハウスを「HIGASHINIHON HOUSE」と表示していたが、個々の字が細かすぎてとても読めない。宣伝効果皆無である。もちろん東日本ハウスには胸広告以外にも様々なアピール機会を与えられたはずだ。しかしユニフォームの広告効果さえもまともに配慮しないクラブが、他の場でスポンサーに十分な宣伝機会を与えたのだろうか?

さらにJFLを速やかに通過してJ昇格という短期目標にも無理がある。クラブとしての土台なしに選手や指導スタッフら現場の人間だけを集めて勝てるわけがない。また肝心の現場にしてもJFL1年目には中途半端に集めた選手や、東北電力時代からの監督でJFLレベルではなんの実績もない鈴木監督で戦い、プロでありながら社会人リーグであるJFL16チーム中15位という、恥を通り過ぎて悲惨な結果に終わったのだ。鈴木監督はシーズン終了後「今年はJFLの情報を集めるつもりだった」と語った。現場の人間として言い訳は色々あろう。しかしクラブとして、そのシーズンの選手・監督を捨て駒にクラブ組織強化戦略をとるのであれば、選手に資金をかけたり、東南アジアキャンプという愚策をとるべきではなかった。

クラブ初期はプロとアマの取捨に充てプロフェッショナリズムを叩き込む時期でもあり、それに適した人材を呼ぶべきだ。人は優れた指導者を名将と呼ぶが、誰にでも得手不得手はある。クセの強い人間を巧みにまとめ上げるタイプ(エリクソン、トラパットーニ)、チーム戦術理論に秀でたタイプ(ファン・ハール、ビエルサ、クーペル)、相手との力関係を把握し弱小クラブでも結果を残すタイプ(マッツォーネ、アンティッチ)個人の意識付けにこだわり、育成に長けたタイプ(ドヌエ、ビクトル・フェルナンデス)など様々なタイプを状況に応じて招聘する判断がクラブ強化責任者には求められる。さて2年間大きな進歩のないブランメル仙台はヨーロッパ屈指の理論派・エルスナーを招聘した。既に高齢だが、プレッシング・フットボールに詳しい指導者である。戦術指導に専念できるクラブならば結果を残せたかもしれない。本人も自信はあったろう。だがプロとしての秩序・意識に欠けるクラブの実態はエルスナーの想像を絶するものだったに違いない。初歩的なことを細かく何度も教えるだけの体力・気力が続くものとも思えず、彼も結果を残せないままクラブを去った。

そして財政破綻。後先考えず金を湯水の如く使い選手を集めれば必然の結果である。「Jに上がれば何とかなる」は企業人の発想ではない。しかもハードを整備せずクラブ資産もないという状況である。「人は石垣、人は城」という考えが現実には甘いことくらい、青葉城下の人間なら理解しているべきなのだ。

下部組織の充実も遅れに遅れている。水戸など規約上やむなく作っているクラブもある。しかし仙台という他のJクラブの活動範囲から大きく離れたホームタウンを持ち、地元高校サッカーのレベルも高いとは言い難い以上、育成に力を注いだほうが賢明だ。仙台育英高校の全国制覇から既に40年、完全に過去のものとなってしまった。さて、下部組織も初期は情熱的な指導者のもとである程度の結果を残すこと、県内の指導者の理解と協力体制の構築、練習環境の充実などが求められる。しかし最近になってようやく結果が出始めたばかり、県内指導者との連携もまだまだというのが現状のようだ。トゥミアッティ氏を招聘した今期はある程度の結果を残しており、ユースも軌道に乗った、との声もあるが私にはまだ軌道に向けて打ち上げた段階にしか思えない。最近ユース選手寮を作る話がまとまりつつあるが、簡素でも初期段階で作っておきたかった。広島も初期は家を借りていたのだ。

さて99年清水前監督を招聘した。清水氏は充実した戦力を活かす戦術家でも、また勝負師でも育成に長けたタイプでもなく、プロの歴史が100年に及ぶような成熟した環境では評価されないだろうが、ベガルタにプロ意識・秩序を叩き込み、クラブに最大限の成果をもたらした。クラブ初期段階に適した人材だった。しかし清水氏の力量ではいずれ行き詰まる。いずれは育成家タイプへの円満な交代が必要だとみていた。で、ベルデニック氏の登場である。育成家としての力量に疑問の余地はない。市原では監督就任時に才能・技術はありながらそれを開花できない若手選手の芽を伸ばし、現在優勝争いを演じているチームの礎を築いた。このタイプは如何に選手と多くの時間を過ごすかがポイントだ。さてベガルタの現状はどうだろう。もはやJの長期中断はない。当然キャンプも張れない。レンタルばかりで支配下の若手有力選手はごくわずか。残留への特効薬としても、また例えJ2に落ちても土台を立て直すという狙いとしても、有効な手とは思えないのだ。しかもおそらく彼の年俸は高額で、その資金でJ1残留に貢献できる選手数人を獲得できるはずなのだ。理想を挙げれば清水氏→サバイバルに長けた勝負師のもとで自前戦力を4・5年前の市原レベルに整備→ベルデニック氏となる。まあ、しかしベルデニック氏クラスをいつでも招聘できるわけではない。今回の決断はそれなりにプロらしい行動であり、まずはベルデニック氏のサバイバーてしての手腕に注目してみてみようと思う。


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T.K. [MAIL]