凪の日々
■引きこもり専業主婦の子育て愚痴日記■
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何日か前、テレビで安住アナと石塚さんが防空壕を利用して出来た商店街の紹介をしていた。
狭い、トンネルのような店舗内。 窓の外には雑然と積まれた瓦礫が、まさしく防空壕なんだなぁと実感させられる。
大人が立って歩く事ができないくらい狭いお好み焼きやさん(?)で 「なんか秘密基地みたいですね」 「こういうの好きかもしれません」 みたいな事を言いながら、楽しい遊び場を見つけた子どものように、心なしか少しはしゃぎ気味に店内に入る二人。
確かに、今まで見た事が無い建物のつくりなわけで、興味深くはある。
でも、防空壕だったわけで。
戦争中は、秘密基地どころかそこへ空襲警報に怯えながら大勢の人々が逃げ込み、恐怖に怯えながら息を潜めてじっと戦闘機が去るのを待っていたんじゃないんだろうか。 そう思うと、当時そこを実際に防空壕として使っていた人たちは、どんな思いでこの番組を見るんだろう。 そこの店舗の人達も、おそらく戦争は親世代の話で、防空壕へ逃げ込んだ記憶は無い人たちばかりなんだろう。
この感覚。違和感。どこかでも感じたなぁと思ったら、「おくりびと」がヒットしている事に関して、だった。
あの映画を観て感動する人は、結局身近な人の死にあったことがなく、それがまだ想像の世界だから、観れるんじゃないかなぁと。 実際に身近な人を送った人で、あの映画を観て感動できる人は、天寿を全うした穏やかな死を見送った人なんじゃないかな。 不慮の死を遂げた人を送った人は、あの別れの辛さが甦ってきて観られないと思うし、天寿を全うした人に対しても自分がちゃんと送ってやれなかった人は、あの時あぁしてやれば良かったとか後悔するばかりで辛いだろうし。
まだ身近な人の死を体験していない人が、いつか来る別れを想像し、自分はこの日がきたら、こういう風に安らかに送ってやろう、もしくは送ってもらいたい。 それまでは一日一日を大事にして精一杯生きていこう…なんて、感動するんじゃ。
それは、結局他人事だから、感動するんであって。
どちらも私の想像に過ぎないのでわからないけれど。 他人事である幸せ、って感じを、どちらも感じたのでした。
暁
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