日記

 

 

- 2008年01月22日(火)
仰げば尊し


 あの世へいくおじいちゃんをお見送りしてきました。

 ん?葬儀の時はもうあの世へは逝ってるのかな。

 息を引き取る数時間前、意識の無いおじいちゃんが「お迎えがみえた」って
指を何もない方を指しながら言ったのを父と叔父が聞いたんだって。
 従妹は緑色の光が見えて胸のあたりが熱くなったんだとか。

 不思議ですね。

 その一日前、おじいちゃんの様子を見に従妹二人が夜の病院のエレベーターで
1階から5階へ行く途中、2階で扉が開いたんだけど誰もいなくて、なのに
勝手に4階のボタン(エレベーターの中の)が点いて、4階でまた扉が開閉
したんだって。
 見えない人がエレベーターを使った、みたいな・・・

 ・・・不思議・・・ですね・・・・・・(怖すぎる・・・)


 おじいちゃんには何回もありがとうを言いました。
 初めはあんなに怖かった命を無くしたおじいちゃんの亡き骸だったけど、
額や頬に触れながらありがとうって言いました。
 魂が体から一番最後に離れるのは頭でしたっけ?
 届いてると良いな。
 号泣はしたけど、苦しくはないよ。
 私達が後悔の念ばかり抱いていたら安心して成仏できないよね。
 私達に後悔を残さないおじいちゃんは凄い人だ。
 死に触れるっていう体験をさせてくれてありがとう。
 大きな事を学んだよ。


 チビ達が3人(甥姪と従弟の8ヶ月のYちゃん)いて和んだのも有り難かったです。
 大家族の家にいた人だから、しんみりしてる式よりおじいちゃんらしい。
 遺骨を集めて骨壷の前で親族だけで経典唱えるのって何でしたっけ?
 それの時しーんとしてる部屋でいきなり甥っ子が「カラリオ〜♪(エプソンの
CM)」と歌って、皆笑いをこらえるの必死でした(笑)
 骨壷の蓋(!)で甥とYちゃん遊んでるしさ(笑)
 特に甥はよく喋る様になってきたので言うコトがちぐはぐで面白くって!(笑)
 おじいちゃんと一緒に住んでた従兄妹達も爆笑でしたよ(^^)


 月曜は休みもらいました。
 なんか香典がものすごい量(ほぼ父親の会社関係)でその雑用と睡眠不足と。
 そしたらインフルエンザになったと会社の先輩から連絡きて、火曜はいきなり
二人分の仕事こなしました。
 地元帰ったら今度は香典戴いた人の住所録を作ってたらしく、従兄妹の家に
直行し、夕飯もそこで済ませて100件ほどだけ打ち込みました。

 これも勉強?
 いろいろ大変なんだね、おじいちゃん。









- 2008年01月19日(土)
おじいちゃん


 父方の祖父が亡くなりました。
 土曜はお通夜で日曜はお葬式です。

 3親等内の身内が亡くなったのは小学生の時母方の曾祖父を亡くして以来です。
 と言っても曾祖父は数える程しか会ってないのでここまで近しい人が
亡くなるのは初めて。
 父方のおじいちゃんは歩いて3分のとこに従妹家族と住んでいるので大人に
なるにつれて会う数は減りましたが可愛がってもらいました。
 と言っても、やっぱり一緒に暮らしている従妹4人の方が祖母には贔屓
されている様に幼心に感じて、私には名古屋にもおばあちゃん達(母方の)が
いるから良いんだ!って幼いながらに思ってたりしました。

 月曜日大阪から帰ってきておじいちゃんが入院したと母親から聞かされ、
前にも胃癌で手術して成功し退院した事もあったので、歳も歳だしなぁ程度に
そんなに重く受け取ってなかったのです。
 火曜日の夜、おじいちゃんと同居している叔母(父の兄のお嫁さん)から
もしかしたら・・・と連絡が入ったそうで、水曜日会社終わって両親と一緒に
顔を見に行きました。
 酸素マスク付けてるのに息苦しそうなおじいちゃん。
 後で聞いた話だと、機能しなくなる肺胞がどんどん増えていく治療法のない
病気らしく、今度風邪を引いたら最期だろうと言われていたらしい。
 病室でおじいちゃんに会って、会ったけど何にも話せなかった。
 お正月とか、年数回の行事に従妹の家にご飯食べに行くとか、そんな機会
でしか会話する事なくなってたのです。
 でも私はそういう決められた行事とかが幼少の時に感じ取ってた思いもあって
凄い嫌いで、年数回の歩いて3分の従妹の家での食事に行くのも嫌で、
おじいちゃんとの会話って言ったら、ここ座ってとかこれ食べたらとか、
その場を取り繕う会話くらいしか今では思い出せない。
 それなのにいきなり病室で酸素マスク付けたおじいちゃんと何の話すれば
いいの?
 おじいちゃんは私に病室でもここ座ったらと言った。
 座ったけど、なんにも話す言葉が出てこなくて、両親がおじいちゃんと
話してるのを相槌打ってただ聞いてるしかなかった。
 30分くらい経って、そろそろ・・・って話になって、おじいちゃんは私に
ありがとなって言った。
 私は ううん、お大事にね。ってたぶん笑いながら言ったんだけど、
何を考えながら言ったのか全然覚えてない。
 ただその病室は老人の方ばかりの病室で、薬品の匂いとか箪笥の様な匂いとか、
会話も出てこないうえにとにかく良い気分になれる匂いではなくって、早く
この場から出たいって思ってた。
 もう一度お大事にねって言って、お休みなさいと交わしたのがおじいちゃんとの
最後の会話だった。

 その日の深夜3時、叔父から父親の携帯に掛かってきてたのをちょうど
風呂から上がったとこだった私が寝室の父親を起こして携帯を渡した。
 病院から連絡が会ったそうで、とりあえず実子の父親兄弟が呼ばれたみたい。
 その日は木曜で、いつも勝手に一人で起きて勝手に出て行くのですが、
この日は母親も起きてきて私に会社どうする?と聞いてきた。
 父親はまだ帰ってきてなかった。
 何かあったら連絡ちょうだい。って、言うしかなかった。

 今日は大丈夫そうだけど明日は午後から休ませてもらわないといけないかもよ
と昼頃母親からメールがあった。
 電話をして容態を尋ねると父親達が駆けつけた時はもう意識が無かったらしい。
 苦しまないようにモルヒネを打つ同意書にサインをしたらしい。
 意識はなくても無意識に酸素マスクを外そうとしたりするので、誰かは
付き添ってあげなければいけないらしい。
 父は会社を休み 母は本当は今日出張だった父の新幹線の切符をキャンセル
したり雑用で色々バタバタしているらしかった。
 とりあえず私も金土の予定のキャンセルの電話を入れた。

 結局この日はもちました。
 月曜日に入院の話を聞いてからお見舞いに行ってその姿も目にしたのに、
全然実感が沸かなかった。
 今日の夜中に危篤の電話を取次ぎ今の状態を聞いても、それでも私には
全然現実に思えなかった。
 だって例の私が嫌いな行事のお正月のご飯の時はおじいちゃん元気だったんだ。

 金曜日、朝起きてもそういう連絡はなかったし、月中の締日って事もあって
当たり前の様に出勤した。
 前日の、容態にしては一日もった事もあって、会社の会長が倒れた時も意識は
ないのに半年もっていたという実例もあったので、前もっておじいちゃんが
入院したという話をしていた先輩に もしかしたらけっこうもつかもしれません
って話を世間話の一つに交えて談話しながら仕事をしていた。

 11時頃ふと携帯を見たらメール着信の点滅。
 9:48 おじいちゃん、少し前になくなりました
 母親からのメールだった。
 でも実感はない。
 電話をしたけど取り乱す事もなく今迄通り淡々とした口調で喋ってる自分。
 大丈夫?帰っても良いんだよと先輩は言ってくれたけど、締日という忙しい
日だという事は充分わかっているというのもあって引継ぎできる分の仕事以外は
終わらせて早退し、地元の駅に着いたのは14時頃。

 なんか凄い薄情で冷たくて嫌な人間だって思った。
 顔に掛かった白い布を取って土色になったおじいちゃんを見るの怖かった。
 まじまじと見ることはできなかった。
 ここまで来ないと実感沸かないのって最低だ。
 だからってお見舞いに行った日に喋っとけば良かったっていう言葉は
見つからない。
 あの日に戻ったって話題にできる会話が思い浮かばない。
 でも動かないおじいちゃんを前にして、小さい時に皆で毎年海水浴行った
思い出とか、孫の私達のそれぞれの誕生日には外食に連れて行ってくれた
思い出とか、良くしてもらった事がその時に限って思い出されてきて、涙が出た。
 その日はそれから母と祖父母と一緒に神式の葬儀に必要な物を買いに行きました。

 土曜日、お通夜の日の午前中に湯かんをしました。
 親族で体を拭いてあげるのです。
 保冷剤と防腐剤を着けた土色のおじいちゃん。
 前の日の父親達の打ち合わせを側で聞いていた私。
 説明をされていた先生から、死後硬直で硬くなってる体を拭いてあげると
ぶよぶよになりまので・・・
 率直な意見で、 もの凄く怖かった。
 拭いて上げるのは実子の父親兄弟と母親達と叔父の長男だけで良いですという
話を聞いて正直安心した。のに。
 その時になって拭いてあげたい方は皆さん拭いてあげて結構ですよと、
経典をあげて下さった先生が勧められた。
 ・・・正直、正直、本当に怖かった。
 ガーゼをもらって、怖々と初めに腕を軽く拭いてあげた。
 それから組まれた指を拭いてたら、生前のおじいちゃんの手を思い出して、
そしたら怖さなんてなくなって、首と顔を拭いてあげた。
 やっとおじいちゃんの顔を近くで見れた。
 おじいちゃんは眠ってるみたいで 笑ってるように見えた。

 お通夜は滞りなく終わりました。
 妹(+姪っコ)を迎えに行ったりお昼を交代で食べたり、家で着替えや父親の
泊まりの支度をしたりしていて棺に入ったおじいちゃんを見ていなかったので、
参列の方がみえなくなってから棺のおじいちゃんを見に行きました。

 駄目だ。
 全然実感なんてしてなかった。
 棺に入ったおじいちゃんを見たら全然涙が止まらなかった。
 もうあの家に言ってもおじいちゃんは出迎えてくれないんだ。
 いらっしゃいって声は聞けないんだ。

 おじいちゃんが笑って眠ってるのが救いだった。
 苦しまずに逝けたんだったら、生き返って欲しいって思わなくてすむし、
話す言葉が思い浮かばない私がそれを願う資格もない。
 特別話す言葉はなくても、そこに居てくれた事が普通で安心してたんだって
今わかった。
 おじいちゃんの孫でいさせてくれてありがとう。


 明日はおじいちゃんとのお別れの日。
 ありがとうっていっぱい言います。
 お休みなさい。









- 2008年01月15日(火)
大収穫の大阪インテ


 大阪インテにかこつけて、3連休はタケさんのトコにお邪魔してきましたv

 鈍行乗り継いで白乃さんと大阪に向かったんですが、二人共ほぼ徹夜明け
だというのにリボ話盛りでした。楽しい〜!
 タケさんとはヨドバシで待ち合わせ。
 そこのジャンショで先日ネットで完売になってた雲のラバーブレスが
置いてあって、即行お買い上げ。(夜ウキウキと試しにつけてたらタケさんが
悔しがってて可愛かった笑v2月は大空と嵐の2連装着楽しみにしてまーすv
^^<私信)

 タケさんのおうちはもの凄く綺麗でセンス良くて可愛かったです!
 ご両親もお優しくて細かな気配りまで有難うございました。
 1日目のお夕飯もご馳走になりました!
 お鍋は美味しいしおでんまであるし小魚の竜田揚げも美味しいしトロ(!)の
お刺身まで、超豪華でした。

 順番にお風呂をいただき、この前のアニリボ鑑賞会です。
 1時間掛かりました(笑)
 ようやくEDのヒバたんとディノ兄を一時停止してじっくり眼を皿にして
拝めました*
 ヒバたんの帽子、鎖でぽんぽんがぶら下ってたんだ!可愛い!!
 ディノ兄のコート、白じゃなくてグレーだったんだ?!しかもダッフル!!
 ラストにディノ兄があの場に居なかったのは、間違いなく群れが嫌いな
ヒバたんの為だと思います。
 せっかくの祝勝会で愛弟子が頑張ったのに一人だけお祝いできないなんて
不公平だろーとか何とか理由つけて嫌がるヒバたんを連れまわすと良い。

 で、ディノヒバ洗脳会です。
 買ったディノヒバ本で冬コミ分は読んでないんですが、もう読んである
約100冊↑の本の中から、私が選び抜いたディノヒバにはめる為の8冊。
 私がディノヒバ好きだからその100冊が素晴らしいのは当たり前で、
でもなんとも思ってない人に読ませるにはそれなりの段階が必要だから。
 濃いのを無理に読ませても逆効果だと思って慎重に選びましたから。
 ギャグとシリアスと軽め重め、バランスまで考えましたから。
 読ませる順番まで決まってるからねこれ!

1.修行のサイドストーリー:雲雀が無自覚にディーノを意識するまで〜
 (ギャグシリアス)
2.修行編(短めシリアス):雲雀がいかにツンデレか
3.萌アイテム(ヒバード)で釣る:ヒバードを通してのディノヒバ
 (軽めショートストーリー)
4.さらっと読めるHシーンは暗転させたスト漫
5.修行→ディーノ帰国編:ここでディーノを通して並盛しか見てなかった
 雲雀の視野が広がる(シリアススト漫/キス&H有)
6.リング争奪戦のサイドストーリーとして雲雀が自分の気持ちに気付く
 ところから両思い→自分の取るべき道を見出す話(シリアススト漫/濃いエロ有)
7.10年後編(短めシリアス重め):報われない想いを断ち切れない雲雀
8.10年後編(スト漫):7とは対称にお互い仕事でなかなか会えなくても
 相思相愛でいる二人(H有)

 と、この8冊読んでもらったわけですが。
 読んでもらってる間も可愛いとかかっこ良いとかさんざん悶えて頂けて
それでもけっこう大満足だったんです。が。
 次の日カラオケでタケさんにディノヒバ描きたいとまで言わせたからね私!
 どうよ!えへん!
 宇多田のビューティフルワールド皆で歌っててmiさんの方からこれめっちゃ
ディノヒバじゃん!って言い出しましたから!この時ディノヒバリクエストで
スケブお願いしてたんですが、好きになり始めた時は逆に描けないって
タケさんが自分から言ってたから!(←私もこの気持ちはよくわかる!)
 Hシーンが苦手な白乃さんもディノヒバだったら読めたって言ってたから!
(苦手な方に読ませると逆に嫌いになるというリスクもあるのでけっこう賭け
だったんだー笑)
 前にるるさんやさりゆさんが嬉しい事を言って下さってたんですが、
そんなわけないって思ってたけど、ちょっと私 魔法を持ってるのかもvと
その気にさせられましたよ〜^^*(←いや、ただ単にその本の作家様が
素晴らしいだけですから。)
 つーか たかだかこの重さでディノヒバ好きになってもらえるんなら
どこまででも持ってくよ私。皆さん是非読んで下さい。

 お二人がディノヒバ本読んで下さってる間に私は初めてsaiという物で
色塗りさせてもらってました。
 しかもタケさんの神の様な獄瓜絵!!
 線画の方が絶対素敵なのに・・・!!本当汚してすみません・・・orz
 それからタケさんの色塗りも(次の日)眺めてましたが、神の領域でした。
 凄すぎ・る・・・
 そしてタケさんのお絵描き環境ハイテク過ぎる!
 ノーパソの後ろにでっかいモニタが配置されててそこでも画像が映せるん
ですが、タイムスリップした様でした。機械に強いって素晴らしいです+†

 次の日インテ。
 どこまでも気を遣って下さるタケさんママンのサンドイッチを戴き、会場へ。
 構って下さった方有難うございました〜!
 戦利品は冬にほとんど買ってたので少なかったんですが、完売になってた
大手さんのご本が手に入って本当に良かった・・・(TT)
 撤収作業で約束の時間に間に合わず彷徨いながらケーキのお店に到着。(
すみません;)
 ケーキも紅茶も凄く美味しかったです!店内も可愛い〜vただ出てくるのは
超遅かったけど。(^^;)
 それからカラオケに行きました。
 イカさんに神のような10年後ディノヒバを描いてもらいました。。。!!
 ほわぁぁぁぁぁ!!!!
 10年後資料がなかったというのにこんな、こんな、こんな・・・!!!(鼻血)
 本気で昇天しかけました。有難うございます!!!!
 帰りにパスタを食べてタケさん宅に帰りました。

 3時くらいに寝たのに起床11:30。すみませ・・・
 朝食(兼昼食)が既に用意されています。すみませ・・・
 しかもタケさんママンが手編みのオフホワイトのショートレッグウォーマーを
白乃さんと私にプレゼントしてくださいました。
 あわわわわ本気で可愛い嬉しい可愛い!!!(涙)
 あんまり嬉しくて可愛かったのでその場で装着したしそのまま帰りましたv
 だって服装にも合ってたしv
 帰りは最寄り駅までタケさんパパンが車で送って下さいました。(そして
あんなに寝たのに後部座席で落ちる私・・・すみませ・・・)
 本当に何から何まで有難うございました(><)お世話になりました!

 帰路もなんでか熟睡です。ごめん白乃さん・・・
 帰ってご飯食べてからも熟睡。
 先週平日分の睡眠不足もあったのかな。

 この3日間お世話になった方々、有難うございました!












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