| moonshine エミ |
| 2005年08月07日(日) 鳴く蝉の | ||||
| ゆうべは『六人の超音波科学者』(森博嗣 講談社文庫)を一気読み。おもしろかったー・・・満足。今日は10時に起床し、洗濯。毎晩寝ているときも汗をかくので、シーツもしょっちゅう洗うこの頃。乾きが早いのがうれしい夏。 素麺を茹でて、水菜をしきつめた上にのせて、かつおぶしふりかけて、麺つゆを直接かけて、わしゃわしゃ混ぜて食べる。トマトもお皿の脇にのっけて、ワンプレート簡単ランチだ。 美容室に行って髪を切ってもらい、夜は知人と近くの店で食べる。海の幸いろいろ。ビール2杯と梅酒2杯で、びっくりするほど顔が赤くなっていた。 夕方、すさまじい音と共に、ベランダに蝉がふってきた。驚いて見守る。ばたばたしているが動けない様子。地上に出てからの蝉の寿命の短さを思うと、悲しくなりつつも、「ここで死んでくれるな・・・」というのも正直な気持ち。夜、帰宅して見てみると、いなくなっていた。最後の力をふりしぼって、どこかへ行ったのだろうか。 |
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| 2005年08月06日(土) 変化と日記 | ||||
| 自分の日記に対するスタンスが変わってきた気がする。それはつまり、生活の変化を表しているということかもしれない。 ここで日記を書き始めて4年になる。社会人になって間もないころからの日々の克明な記録がセキララに綴られているわけであります。 毎日書くことが当たり前で、そのときどきの小さな出来事、心の動きまでも記すことにほとんど抵抗がなかった。このごろは書くのにいちいち考えたりする。最初のころは読んでくれる人も少なかったのが、だんだん増えていって、公開してる以上それは基本的にうれしいことなのだけれども、日常でじかに関わりあう人や私の人間関係をよく知っている人が読むことを考えると、やっぱり書き方に迷いが出てくる。 状況は変化するものだという前提に立てば、いま、このときの感情で書き綴ったことを人に読ませるとか、それをのちのちまでログとして残しておくとかいうことについて、疑問が湧いてくる。疑問というより、恥ずかしさ。そう、羞恥心である。どんだけ執着しとんじゃーい!ってくらいに日記をしょっちゅう読み返していた昔と比べて、いつからか、自分の過去ログを見る回数が激減した。読み返すと、「ああ、これはまだ○○以前のころ」「このときは、○○が××になるなんて考えもしていなかったころだな」「このあと、こういう考え方にも自信がなくなったんだよな」といちいち思うのである。未熟な自分、過去の自分が微笑ましいというよりも、つらくなったり恥ずかしくなったりするのである。こんな気持ちは昔はなかった。 つまり、それだけ状況が変化したということであり、昔は、状況が変化していくということそれ自体についての認識すらなかった。きっと、それが若さというものなのでしょう。 それじゃあこれから、日記を書くのをやめる、とか、公開するのをやめる、とか、過去ログを随時消去していくことにする、とかいう選択肢もあるのだが、これがまた、そこまでは踏み切れないのである。とかく日常に追われて流されがちな社会人生活で、毎日書き留めていくことによって自分と対峙する(←大げさ)ことの大切さ、読んでくれる人がいるというそこはかとない嬉しさ、日記を通じて続くささやかな交流関係、いろんな効用も、4年間で身をもって知っているわけで。 長々と書いているが、そんなこんなで、日記の運用についても、ちょっと考え中なこの頃なのであります。ひとつ考えているのは、新しい日記に移行するか?ってこと。まあ、おいおい考えていこう。読んでいる人にとってはいつにもましてどうでもいい話でしたね。今日は。 |
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| 2005年08月05日(金) くすぶりと鉄火巻 | ||||
| 9時〜20時、仕事。なんとなくこの時期って、仕事のペースがつかみにくい。人員の異動もあったのでなおさら。気分もどことなくすっきりしない。 夜、来客があり、なぜか渋く鉄火巻など一緒に食べる。ビール。 |
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