moonshine  エミ




2004年03月30日(火)  たまには言わせてくださいよ

しばらく前から、会社ではアイメイクをしないことにしました。
「朝、ンなことしてる時間ないっ」というのが元来の厳然とした理由であるが、
休日や夜、目にまで化粧を施すと、さあお出かけだぞという感じがして面白いので、
社に無事に着いても、昼休みの時間にも、あえて新たにメイクしないことにした。
そのかわり、口紅の赤色を少し強くして(どうせすぐとれるけど)、チークをはたく。
そのほうが目より簡単。別に目ヂカラはいりません、会社では。
化粧にかける時間や手間が気合に比例する、そうだとしたら、やっぱり無気力?
一日中、眉毛を書いてない日もあるもんね。地毛の眉毛はちゃんと生えてますけど。

仕事の帰りに同僚と一杯やりました。
喫茶店でビールを飲むという、やや、やさぐれた感じが好きです。
久しぶりに、あんなにぶつぶつぐちぐち言って、少しすっきり。
愚痴がネガティブ思考を増加させるのは疑いようもないが、
たまにはどす黒い息を吐いてガス抜きするのも大人の知恵(?)。
大変だねえとか頑張ってねとか言われたいわけじゃないんです、
そうそう、そうなのよ!それにさあ全く・・・なんて言い合いたいんです。

でも、愚痴や噂話に終始するのはやっぱり自分の気分も悪いので、
たまに、のことにしておきたいと思います。
そして、表面的な理解に留まらず、もう少し核心に迫るような話もしたいけど、
それにはTPOというものがあるでしょうから、また見計らって。

明日は年度末なので、期初の人事異動について見込まれることなどが
時々あちこちで聞かれるここのところである。
今回、驚くほどその手の話題に興味のない自分を発見。

喫茶店では純粋にビール一杯しか体内に入れなかったので、
帰ってきてから肉豆腐とわかめの酢の物をつくって食べました。
酢の物をなるべく摂取しようとしているのです。





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2004年03月29日(月)  ひとが絶望するとき

しかしよくよく自分は感傷的な人間だなあ。ちょっと嫌になるときがあります。
普段はおおむね「良くも悪くも、あたしゃこげんありますけん」て具合に
なるべく上手く自分を受け入れているつもりではいますが。

最近、人に薦められたり、よく見るサイトで取り上げたりと、
立て続けに目にしてすっかり読みたくなってしまったマンガを買った。
『西荻夫婦』(やまだないと 祥伝社)
恋愛とは違う結婚生活の気ままさ、その端々に見え隠れする埋められなさ、
のようなものがユルい雰囲気で書かれている。
しかしあのラストはいろんな読み方を想定しているのか、私はちょっと、ぞっとした。
あの奥さんは精神を病んで療養生活、てことじゃないのか? 読み違え?
ささいな日常の果てに絶望と狂気があるなんて、リアルすぎて怖い。

だいぶ仕事が長引き、同僚に一杯、と誘われてかなり心が傾きかけたが、
心を鬼にして断る。
そんな夜の私の作品は、
チンゲン菜ともやしと牛肉炒め、油揚げなどのお味噌汁、きゅうりの酢の物。

鹿児島帰りに体重計を買った。
小さくてデジタル式のやつ。
やっぱり現状認識を怠らないのって肝要ですよね。
夏休みの計画を立てた時点で40日間勉強した気分になる子どものように、
体重計を買って「これで痩せられる」なんて楽観してますがどうなることやら。



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2004年03月28日(日)  風土と血脈(後)

何もないところに行きたいなぁ、と、ときどき思うことがあった。

喧騒から遠く、1年やそこらで町並が変わったりせず、ゆっくりと時間が流れ、
できれば自然があちこちに残った中で人々が暮らす、小さな町へ。
それは足を伸ばせばどこにでもある風景なのかもしれないけれど、
何もないところに何の用事もなく行くことは、現実には、あまりない。
そんなことに誰かをつき合わせるのもなんだし、
かといって、知らない町へ一人で行っても、よそ者だと淋しい気もする。
そこは街ではないから。

いかに鹿児島に行くのが18年ぶりとはいっても、
そこで生まれ育った父と一緒なら、私たちはよそ者ではない。
それどころか「里」といえる権利さえ、かろうじて持っている。

日曜日、起きてもう一度温泉に入り、朝の空気の中を散歩して、旅館を出た。
迎えに来てくれた叔父・叔母たちに同乗して、いよいよ父の実家へ向かう。
正確には、父の生家は父の母が亡くなってから取り壊されており、
今は生家の隣に古くから建っている家が、私たちの「実家」である。
兄弟の長男(これも正確には次男だが、戸籍上の長男は8歳で夭折した)が戸主だ。

人口7,000人ほどの小さな町の小さな中心部から車で15−20分ほどか。
小さな川が流れ、山はすぐそこ、一面に田んぼと畑。
緑の里の少し小高いところに、ぽつんと建っていた。
家の周りには木々や草花、赤に黄色にピンク、色とりどりの間を蝶が舞っていた。
感動した。
こんなところで育ったんだねえ。お父さん。
こんな美しいとこで、たくさんの兄弟で。
知らなかった。

家には、迎えに来てくれた人のほかにも、父の姉と兄、その奥さんなどが来ていた。
この家の主の長男、つまり父の甥にあたり私たちには従兄になる人、
40代半ばにもなるがまだ独身で、腕のいい仏壇彫り師なのだが、
こういう集まりは照れくさい、と出かけてしまっていた。
匠の技、とかいうテレビ番組に一人で出たときも、親戚の誰にも言わないような人。
そんな、子どもみたいに恥ずかしがりで変わり者の従兄がいることも知らなかった。

お墓は家からわずかに登ったところに、里を見下ろすようにあった。
父の父母と祖父母、そして既に亡くなった兄ふたりが眠っている。
墓石に刻まれた故人の名前と没年月日、享年を長いこと見て、心に刻む。
私の曽祖父は有右衛門、曾祖母はアサノ、ともに大正期に40代で没している。
祖父は父が成人する直前に、祖母は私が1歳になる前に。
父の兄は、一人が8歳で夭折、もう一人は26歳のとき、交通事故で亡くなったそうだ。
この人の写真は仏間に飾ってあった。昔のハイカラ風な、いい男だった。
「小学校の入学式に連れて行ってくれたのは、この兄さんやったもんねえ。
 よく面倒みてくれたが、酒が好きで、酒を飲んだら怖い兄さんやった」
と、父。

雪解け水のように、父の家系のことが次々と流れ込んでくる。
末っ子の父が還暦なのだから、おじさんやおばさんはみんな相当な高齢で、
最初は誰が誰やら、見た目では兄弟の順番さえ判断できないが、
でも、縁側に面した部屋でお茶を飲み、甘いいちごを食べながら
親戚同士の話を聞いているうちに、だんだん、わかってくる。
父も、本当に珍しいことに、昔の苦労話をしていた。笑顔で。
父本人の口から聞くのは初めてだったので、驚いた。
私が物心つくかつかないかという頃の話だ。
「ほんと、あのときは、若戸大橋から身投げしようと思ったさ。
 そこまで行く金さえもったいなかったけん、やめたがね」
それを聞く叔父や叔母も、長い人生の中に、いろいろな苦労があることを知っている。
なまりの強い薩摩弁は、時々つかみかねるけど、それでも優しさが伝わる。
もちろん、親戚なんて、普段から近くにいれば、それはそれで身内ならではの
煩わしさというのもいろいろあるものなのだろう。
両手の指を折っても足りないくらいの年月を経ての再会だからこその
いたわりあいだとしても、やっぱり、こうして訪ねてよかったのだ。と思う。

おそらく町に一軒しかないだろう寿司屋で、また別の親戚も合流し、昼食を摂る。
父の長姉のいちばん上の子どもは、私の父でもおかしくない年齢。55歳の従兄だ。
彼の長女が、24歳。
こんな面白い親戚関係だなんて、本当に、もっと早く知りたかった。

皆が集まった家には、今は戸主は住んでいない。
父と一回り以上年の離れたその叔父は、脳梗塞で倒れて、もう8年にもなる。
はじめは回復も見込まれたが、少しずつ悪くなり、今は町の養護施設にいる。
集まった皆で見舞いに行った。
もう今では、歩行はおろか、車椅子に乗ることも滅多にない。話すこともできない。
誰が誰であるのかも、わかっているのかわかっていないのか、それももうわからない。
こぎれいに整えられた部屋のベッドに、小さな体が横たわっている。
目だけがぱっちりと開いて、父の呼びかけに、ものいいたげな目をじっと向けていた。
父が泣く姿を、初めて見た。
私には、生まれて何度かしか会ったことのない、顔すら記憶のない人だった。
でも、父にとっては、小さい頃、親の代わりのように面倒をみてくれた、
頼もしい、元気な兄だった。もう今では話すこともできない。
鼻からチューブで栄養分を流し込んで、生きている。

長い月日、故郷から足が遠のいていたことに関する事情という奴はもちろんある。
自然の状況や、我が家の特殊な要因が重なり合ってこれまできた。
そうやって背を向け続けていたことを、父は兄の姿を見て、どんなに後悔しただろう。
大勢で長居するといけないから、と言われても、離れがたくじっと寄り添う父。
私も涙が出た。
父の実家に上がったときから、ずっとがまんしていたみたいな涙だった。
これまで何ひとつ知らずにきた。

父の町には、日本でいちばん大きな楠の木がある。
父やきょうだいたちの通った小学校のそばの神社に、根をはり腕を広げている。
幹の中には8畳ほどの空洞があり、昔は子どもはそこに入って遊んだものらしい。
樹齢1,500年。途方もない年月を感じさせる姿。
南国の青い空の下、その木の前で、皆で写真を撮った。
人の一生は百年にも満たない。
私は祖父母の顔も知らないし、
この日集まった親戚たちとも、あと何度会えるかわからない。
私も、この世からいなくなれば、すぐに忘れられる小さな存在だろう。
でも、血脈はきっとどこかに、細々と、受け継がれる。
何代も何十代もさかのぼれるし、これから先、何代も何十代も続いていく。
この町や、どこかの町に。





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