| moonshine エミ |
| 2003年02月04日(火) 何がなくても楽しめる心 | ||||
| いま、私はだいぶ落ち込んでいる。 ショックを受けている。 恐れおののいている。 自分の頭を小突いている。 あたしのバカッバカバカッ・・・! いや、心配はいりません。 身近な人に悲しいことが起こったわけではないし、 誰かに迷惑をかけるわけでもないし、 お酒を飲みすぎたわけでもありません。 しかし、へこんでもへこんでも、今は何の手も打ちようがないので、日記を書いている次第です。 明日になったら、雲散霧消!悪霊退散!て感じに(ちょっと違うな)、解決することを祈るばかり。 そう、明日になれば。 ・・・・「明日になれば」って、スカーレット・オハラが『風と共に去りぬ』で言うセリフだっけ? 今日はこまこまと働いた。 データを解析し、差異について他部署の人と打ち合わせ、外部に連絡を取り、連絡を待つ間に明日からの月次作業のための下調べを地道ィ〜にやって、あっという間に時間が過ぎた。 外部との関係で、予定通りのところまで仕事を終えることが出来なかったけど、まあ仕方がない。 明日、取り返さないと・・・。ああッ明日は飲み会なのに、間に合うのだろうか?! 本。 は、椎名誠『哀愁の町に霧が降るのだ』を再読中。 今日から下巻に入ります。 ビンボーでバカバカしい、シーナと仲間たちの若き日々。 すっごく面白い。 “おもしろいビンボー時代”を持ってるって、ひとつの財産だと思う。 山田詠美『ぼくは勉強ができない』(新潮社)で、主人公のおじいちゃんが 「貧乏という試練は甘んじて受けるが、貧乏くさいのはごめんだ」 みたいなセリフを言うところがあるけど、これもけっこう好きだ。 お金があるとか、時間があるっていうのは、当然とても大切なことだけれど、 それがないときに、どうやって楽しむか。 どうやって楽しめるか。 っていうのも大切なこと、だろう。 やっぱり「持たざる者の強さ」というのも、絶対にあるよなァ。 私は、環境のせいだろう、小さい頃から 「これがなくなったら?」と考えて怖くなることがよくある、心配性の子どもだった。それは今も、基本的に変わってない。 まだ落ちてこない天を恐れること(←これが、『杞憂』って故事成語の話だったよね、確か)は確かに愚かなことなのだろうけど、 いま持っているものを当たり前のものと過信してしまうことのほうが、私にはよっぽど怖い。 ま、心のバランスの取り方は、人それぞれですな。 もちろん、楽天的な人に憧れることも、多々あります。 ここでしんちゃんから電話がかかってきたため、30分ほど中断。 プンスカ! ムカプン!! と、言い合いました。 (お互いに対して腹を立てているわけではない) しんちゃんと新しい言語をつくるのは、おもしろい。 今夜は冷えるので、今から研究室に泊り込みに行く、と言うしん氏・・・。家の役目って・・・。 |
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| 2003年02月03日(月) ひとりコーフン、初遅刻の一部始終 | ||||
| 月曜日の朝、目覚ましのセット時刻は8時。いつもより1時間以上遅い。 そう、今日は会社を遅刻する日なのである。土曜日の夜にした決意だ。なんぴとたりとも妨げさせんぞ! 何といっても、初の遅刻である。雨の日も風の日も風邪の日も、もくもくと通い続けていた会社を(たった2年目のクセに、という突っ込みは無視だ)、今日という今日はエイヤッと遅刻してやるのである。 「あの、病院に行きたいので、今日は遅刻します」 部署に電話して敢然と告げると、 「あ、大丈夫? 遅刻って、来れるの?」 少し驚いた様子で問い返される。 「はい、大丈夫です、行きます行きます。すいません」 病人のはずにしては、なんだか妙に弾んだ声で答えてしまったような気もするが、まあいい。 病院に行くのは遅刻の立派な理由である。意気揚々とスッピンで皮膚科に向かう。 決して多くはないがボサボサの頭髪、くたびれた感じのシャツとズボンの上に申し訳程度に羽織った白衣の初老の先生は、はじめての遅刻に血気さかんになっている私の気持ちとは裏腹に、ちょっと専門器具っぽいルーペで私の患部を覗き込むと、あとはのんびりゆるゆると説明をしながら、英語だかドイツ語だかの筆記体でカルテを埋めていく。 オムレツを作っていてフライパンで手ひどい火傷をして以来、かれこれ4年くらい、病院といえば目の前でカルテを書かれない歯医者にしか行ってなかったので、カルテというものが非常に興味深い。 日本語で書かないのって、やっぱり患者に覗き込まれても、何を書いてるんだかわからないようにするためなのだろうか・・・。 『重大な病気の怖れアリ』なんて目の前で書かれたら、びっくりするもんな、なんて思っていたら、先生は何とハッキリしたカタカナの楷書で 「ニキビ」 と書くと、机上のハンコ箱から慣れた様子で一つを選び出して、 「塗り薬 一日 回」というやつをペッタンと押し、“回”の前のブランク部分に「2」とこれまたハッキリ書いた。 あ、そう・・・・。 いや、分かってたけどね。ニキビだけどね。 チャリンと小銭で診察料を払い処方箋を握りしめ、近くの調剤薬局へ歩いていく。初診料込みなのに小銭だけで払えるのだから、儲けもんではあるが病のためやむなく遅刻・・・という風情はまったくない。やや寂しいところである。 いかにも流行ってなさそうな薬局で、私が入っていくと「アレ?」と驚いたような顔をした薬剤師さんに、塗り薬を出してもらう。 しかし薬剤師さんは若いお姉さんだったのだが、胸がきゅんとする感じにちょっとステキな人だった。お化粧が薄くて、目がくりんとしてるがどこか中性的な顔だちで、話し方が何となく正義の味方のようである。 「お薬手帳、お持ちですか? あ、ないなら、お作りしておきますね。 どこの調剤薬局に行っても、こういうふうに、いつどのようなお薬をお出ししたか記録しておくことができるんですよ。 にきびの治療は初めてですか? よく睡眠をとって、ビタミンやカルシウムをたくさん摂るといいですよ。お大事になさってくださいね」 ハキハキと言われ、はい、はい、と、出来の悪い生徒みたいにかわいく返事をした。まるでリボンの騎士のような凛とした薬剤師さんであった。ああ、これぞ、非日常! もっともっとしゃべってほしかった。 いったん家に戻ってのんびり化粧など準備をして、もうついでに昼ごはんを食べて、出社すると、有休届を出した。 そう、今日という日は、キッパリ遅刻したのだが、いや、言い換えれば遅刻しかしていないのだが、有休扱いなのである。 まったく、半休という制度がない会社は困りものだ。 しかし、 「ほんとは、有休なんだもんね。一日のんびり休んでもいいところを、 病をおして(といっても、体はピンピンしているのであるが) わざわざ、出て来たんだもんね」 という優越感が味わえるのは、この「有休遅刻」ならではの醍醐味であろう。いや、私は有休消化率も高くないのでここらでドーン!と一日休んでもよかったのだが、今日の午後にやらなければならない仕事が二、三あったのである。そして、来週一週間の監査に備えて、今週は明日からいろいろな準備に追われるはずなのである。 ゴホン! 通院という大義名分、水戸黄門の印籠をかざして、何だか嬉々として遅刻したような書き方をしてきたが、今日でなければ今週も来週も、当分病院に行けそうにない、という切実にしてやるせない事情があったのだ。そして、たかがニキビ、されどニキビ、ニキビを笑うものはニキビに泣く、という先人の教えもある。せちがらい世の中、悩み多きお年頃、硝子細工のように敏感な私のお肌を、北風小僧にオメオメとさらしておくわけにはいかなかったのである。この辛い状況を読者諸氏にはわかってほしい。 さっさと仕事を片付けて17時半、意気揚々と私はノートパソコンの蓋をしめ、「お疲れ様でした!」と席を去った。 なんせ今日は有休なのである。 |
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| 2003年02月02日(日) 悪しき経験主義? | ||||
| 環境の力って、あるよなぁと思う。 うちの会社、女子社員は制服があるので、私服はかなり自由だ。 会社の人にはあんまりOLらしい格好をしてるとは思われていないはずで(そのことに不満はない)、 急に上司に食事に誘われた日なんかに、 「なんか、OLって感じやないねぇ」(常務) 「すごい色の靴下やね」(部長。鮮やかな紫の靴下を履いていた・・・) などと言われたことがあるし、 「耳あてが似合いそう」(同僚) 「おっ、なんか今日はお姉さんぽい格好しとうやん?」(先輩) とか言われることからも、それは明らか。 でも、いわゆるOLさんではない職業の友だちと会社帰りに会うと、 「いやー、やっぱりOLさんて感じの服だよねー」と言われたりする。 環境だよねえ。 いつも自分が置かれている環境が、判断基準になってる。 価値観や物事を見る視点って、環境につくられる部分が大きいよなあ。 それはある意味、とても自然なことだ。 結局、いろんな価値観を認められる人、たくさんの視点で物事をとらえることができる人というのは、 それだけイロイロな人と関わりをもち、いろんな環境に身を置いてきた人だとも、いえる。 経験主義的かんがえかた。 この理屈で行くと、年を重ねた人のほうが、より多種の価値観に対する理解、より多様な視点をもってることになるわけで、まあこれも、一理ある。 でも、大学一年生のときに、社会学の授業で先生が言ってた (なんて言うと、たいそうなお勉強をしたようだが、その第1回目の授業だけしか出ずに、その講義は捨てた。ちなみに捨てたその単位は、結果的に4年の前期でやっと取得・・・) 『悪しき経験主義』という言葉が、今でも鮮明に印象に残っている。 「『悪しき経験主義』に陥ってはいけない。 経験しないとわからない、なんてことはない。 経験しなくても推し量ることが出来る、それが人間の能力だ。」 先生が言ったことのおぼろげな記憶と、『悪しき経験主義』という言葉に対する私の解釈をまぜて言うと、そうなる。 どれだけの仮定が思い描けるか。 そこから、いかに正しいものに近い分析をできるか。 もちろんこれは、経験の価値を否定する考え方じゃないよ。 そのようなことと、かぶる部分もちょっとありつつ、 ひごろ感じる違和感について、ちーちゃんと話した。 今日は彼女と天神でランチ、買い物、お茶。 考えぶかい、ちーちゃん。話してて面白い。 人の意を汲もうとする話し方をする子だ。意識の部分も、無意識の部分も。 とてもかわいくて、ユニークで、自意識が強い。こっちが不快感を覚えないような自意識を、時折チラリと見せる。そこが魅力なんだろうなあ。 自然食料理屋さんの定食を食べた。 いろんな店を教えてくれて、いつもありがとう、いろんな友だち。 そのあとのお買い物だけど、いやー、ちーちゃんは決して妥協しない! ちーちゃんてこういう子だったよなー、と思い出した。それも決していやな感じじゃない。 家を出る前に、NHKでどんとの沖縄時代のドキュメンタリーをやってた。 ああいう顔だったんだ・・・。 ライブの様子が、もっと見たかったなあ。 さすがにすごく面白そうなステージだったよ。 早速、MDウォークマンにボ・ガンボスを入れたもんね。 さて、『ヘドウィグ・アンド・アングリーインチ』の歌の部分を見て、寝よう。 |
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