| moonshine エミ |
| 2002年12月03日(火) 雨の日はダンスを | ||||
| ぼうっと朝ごはんを食べながら、テレビを見ていると、 「宇多田ヒカルが映画『たそがれ清兵衛』に感動」というスポーツ新聞の記事が紹介され、続いて映画のVTRが流れ始めた。 おっと、いけない! いま、知らせないどくれ! と思い(ビデオになったら見ようと思ってるから。)、あわててチャンネルを変える。 と、宇多田ヒカル本人のVTRメッセージが流れていた。めざましテレビにて。 新曲をつくってるとか、ネットライブをやるとか、そういうことを言ってた(と、思う) 全然、派手じゃないんだよね、この子の見た目。そこも好き。 好きだなあ、宇多田ヒカル。 本当に音楽を作ることが好きで、頭が良く、考え深くて、自分の立場をきちんと把握してて、暗いこともいっぱい考えてそうで、それでいて明るく、ひとり遊びが得意そう。 結婚とか関係なく、離婚しても子供つくっても、なんだっていいから、いい音楽をつくって、彼女にとってのいい生きかたをして欲しいなあ、と、なんとなく思う。 雨だ。 天気予報があたって、帰りは雨になる。 くじらの「レインダンス」を口ずさみたくなる。 「レインダンス 雨になれ レインダンス 雨になれ あなたを待つよ」 なんてシンプルですてきな歌詞。 ここ福岡は、水不足が懸念されているのです。 けっこう、水不足になりやすい地域なんよね。 私が生まれた年もそうだった。 高校生のときもけっこうひどい水不足になった。 そのときは、一般家庭でも、夜10時から朝10時まで、つまり12時間の断水になったのよ。福岡市は。それが何ヶ月も続いたはず、確か。 大きなポリバケツがすごく売れて、毎晩、水を汲んで備えた。 高校生の頃わたしは、リンガーハットという九州ではおなじみのチャンポンやさんのチェーン店でアルバイトをしてて、夜2時まで営業してたので、大変だったな。 夜9時半くらいになったら、お冷のピッチャーとかも下げて。もちろん、業務用の大きな大きなタンクのようなものに、いっぱい水を貯めて。それで料理も飲み水も、洗い水も全部、まかなってた。 雨の通勤とか、もちろんダルいけど、でも水不足解消のためならしかたがない。 レインダンスを歌って乗り切りましょう。 仕事では明日から、恐怖の読み合わせ。ううっ・・・缶詰めの日々がまた・・・。でも、缶詰めになるってことは、大詰めなのだ! こないだの読み合わせの頃は、ワールドカップ真っ最中だった。 そういえば今日、レアルマドリード対オリンピア?、やってたね。 ちらちら見ながらごはんを食べてました。 『幻惑の死と使徒』は、半分ほどまで読み進んでいる。 この辺から、早く早く犯人が知りたい!て気分が高まってしまうのだよね〜。 この分だと、あさってあたりは寝不足でしょうか。 |
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| 2002年12月02日(月) 死と再生 | ||||
| 死と再生。 まあなんて、大上段なタイトルなのでしょう。 これは、私が敬愛する藤沢周平の自伝『半生の記』(文春文庫)の、最後の章タイトルだ。 今日、友だちと“若い妻を病気で亡くす”という話をしていて、まず思い出した本。 昭和2年に山形に生まれた藤沢が、郷里や家族、少年時代、教師や旧友、戦中戦後などについて、淡々と綴っている。 最後の章「死と再生」では、まだ若い藤沢が当時は重病だった結核の療養生活を終え、ようやく東京で再就職を果たそうかというようなところから始まる。 安い月給の新聞社に勤めをもつことができた藤沢は、やがて悦子という女性と結婚する。 貧しくて共稼ぎをしても、若い彼らには平気だった。娯楽といえば映画を見るくらいで、あとは金のかからない散歩をする。長女も生まれ、そういう生活がずっと続くものだと思っていた。 しかし、長女が生まれて間もなく、妻は腹痛を訴え、近くの病院に通っても治らず、ついに精密検査をしてみると予想もしない末期ガンを宣告されてしまう。 当時の特効薬を求めて藤沢は病院を訪ね歩くが、特効薬は危険も伴うため使用を禁止している病院もある。やっと、その薬を使える病院を紹介してもらい転院させるが、妻はそれから二月も経たず、昭和38年に妻は亡くなってしまう。28歳。 『そのとき私は自分の人生も一緒に終わったように感じた。 死に至る一部始終を見とどける間には、人には語れないようなこともあった。 そういう胸もつぶれるような光景と時間を共有した人間に、 この先どのようなのぞみも再生もあるとは思えなかったのである』 幼い子供を抱えた藤沢は、感傷に浸りすぎることはできず、会社勤めも続ける。が、妻の命を救えなかった無念さや鬱屈した思いを吐き出すように、小説を書き始める。そして、年月が過ぎ立ち直り始める。 『昭和44年の1月に、私は現在の妻、和子と再婚した。(少し略。) 再婚は倒れる寸前に木にしがみついたという感じでもあったが、気持ちは再婚できるまでに立ち直っていたということだったろう』 和子は年老いた藤沢の母と、先妻との間の娘を世話し、やがて藤沢は「悲運な先妻にささやかな贈り物が出来たようにも感じた」という、新人文学賞を受けて作家になる。 そしてこの長くはない最終章「死と再生」は、年を経て、藤沢が後妻の和子と亡くなった妻の墓参りをするところで結ばれる。 『私と結婚しなかったら悦子は死ななかったろうかと、私は思う。 いまはごく稀に、しかし消えることは泣くふと胸に浮かんでくる悔恨の思いである。 だがあれから30年、ここまできてしまえば、もう仕方がない。 (墓の)背後で後始末をしている妻の声が聞こえる。 28だったものねえ、かわいそうに。さよなら、またくるからね。 私も妻も年老い、死者も生者も秋の微光に包まれている。』 年に1・2度、思い出したように読み返すこの本だが、この章を、泣かずに読むことができない。 藤沢自身も亡くなってもうすぐ5年が経つ。彼がこの世に遺した数多くの作品のひとつが、いま話題の映画「たそがれ清兵衛」の原作なのです。 私の本屋さんにも、彼の棚と、あとココにも紹介があるので興味のある人はどうぞ・・・。 それからこの本のほかに、小学6年生になる前の春休みに読んだ少女小説「AGE」(著:若木未生。この小説がきっかけで、私は尾崎豊を聞くようになりました。)や、 大学の社会学の先生が言ってた“悪しき経験主義”の話、 それに中学生の頃に読んだマンガの、“持つ者は持つことを・・・持たざるものは持たざることを武器にする・・・”という一説などを思い出しました。 心の中に広がる思い。 そんな月曜日は、週明けからの大残業になる。 今週こそ(・・・来週半ばまでか・・・)最後のヤマバ。 それが終わったら、思いきり年末モードに入って毎日定時でピシャリと帰るのだ!! ボーナスももらって暴飲暴食暴音暴読だ!!(←さりげなく韻を踏んでる・・・つもり。) などと自分を励まして、遅くなった今夜も、さあ寝る準備をしましょう。 |
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| 2002年12月01日(日) 夢のまた夢 | ||||
| 11時に目が覚める。 そのままベッドで読書。森博嗣『封印再度』読み終わる。トリックはともかく、面白かったなあ。 うどんとおでんを食べる。テレビでは、福岡国際マラソン。 掃除。久しぶりに本棚の見直し。森博嗣の本は、厚いので場所をとる。 ネットサーフィン。「エンピツ」以外で日記を書いていらっしゃるお気に入りの方々のを、久々に見に行く。ギター。 外へ。簿記検定や学祭などいろいろあってここ1ヶ月ほど週末のランニングを欠かしていた。5キロ走る。 いったん家に帰って着替え、今度は本屋へ。 『封印再度』の次作『幻惑の死と使徒』を買う。これまた分厚い・・・。 ほかにもいろいろ物色するが、森熱が落ち着くまでは、ほかの本は買わないだろう。雑誌も買わない! ただ、読みたいものを心にリストアップしておく。 レンタルCDとビデオコーナーも見る。 映画が見たいなあ。藤沢周平を愛する私が「たそがれ清兵衛」を見ないでいいものか! ビデオも見たい。でも、今のところ時間が・・・。でも、本当に見たくてたまらなくなったら、時間をつくるものだろうから、まあ放置。今月後半になったら、余裕もできるかもしれないし。 なのでこちらも、そのときに見ようかなと思うものを、心にリストアップ。 部屋に戻り、少しだけHPを更新。 通信教育の課題を一気に片付ける。会社から義務付けられていて、きちんと課題を出して修了しなければ、費用が自己負担になるのだ。毎月、月末は憂鬱。でも、人間なんて強制でもされなければ勉強しないものなので、基本的に、この教育方法は間違っていないと思っている。 利家とまつを見る。「なにはのことも 夢のまた夢」このフレーズ、好き。 今日から12月なのだった。 |
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