| 2021年08月17日(火) |
Black Cat Appreciation Day。 |
8月17日は黒猫感謝の日と聞いて思い浮かんだのはヤマト運輸の創業記念日だったんですが、そちらは11月29日※しかもsince1919でゴイスー。私は荷物が届く度にクロネコ感謝の日ですけどね。つか全ての物流業者さんに敬礼。
じゃあこれは何の日かというと「世界中の黒猫とその家族との愛を象徴する日」だそうです。 キリスト教圏では黒猫迫害の歴史があるんで、その固定観念刷り込まれてる人も多いだろうから敢えての限定推しなんでしょうね。 日本では昔から黒猫は福猫であり魔除けなんで、不吉なんて言う良い歳した大人がいたとしたらそうとうな欧米古典文化かぶれなのでありましょうて。
我が家の黒猫は3年前の8月21日にうちの家族になりました。 敢えて黒にこだわったのは前に飼っていた犬に対する懺悔からであります。
そして黒猫感謝の日だろうが何だろうが、覚悟を持ってお預かりした命だけに、それはもういつもいつも「タマと自由を奪ってごめんね」と思いながら、
 毎日新鮮なお水と水菜とお好みのカリカリとちゅーるを捧げるのです。
猫社会からの隔絶と望まぬ自宅軟禁によって守られる安全と平穏。
 ま、いいけどね。俺、人も猫とも関わるのキライだし。
・・・と思ってくれていたらいいけど。←所詮自己満足。
すっごい田舎暮らしだったら飼い猫だけど外も自由に行き来したりなんて暮らしも可能なんだろうけどなあなんて思いながら、岩合光昭の世界ネコ歩きを見る。
君がきてくれて感謝しているのは私と旦那だけで、 君は感謝していないだろうことは知ってる。 君は迷惑だったに違いないことも知っている。 自由を希求するのは自然の摂理。 綺麗で安全な暮らしが幸せだと押し付けているのは人間の自己満足。
保護しなかったら君は車にひかれたり飢えて死んだりしたかもしれない。 でも飢えるからこそ知恵をつけて生きるすべを身につけ、自由で繁殖もしてケンカもして縄張りのボスになったりしていたのかもしれない。
かもしれない。
自由を奪って本当にごめん。 だからこの家の中だけでも自由気ままに好き勝手に暮らしてほしい。 たとえ輸入物のソファーをボロボロにしてくれても。買ったばかりの羽毛布団にいきなり爪を立てようとしても。ストレッチポールに寝たとたん毎度毎度おもいっきり足に噛み付いてきても。
猫だから許すの。 人だったら許さないからね。 人だったら許さないからね。←大事なことなので2回言いました。
1945年。 私の父は8歳で、私の母は6歳。 父は賑やかな大阪の町のこれまた賑やかな心斎橋近くで床屋を営む家の長男で、 母は佐賀県北部唯一の町唐津ですら結構な田舎だというのに そこからまた直線で10キロ以上離れた山間の 周囲は山と川と田畑しかないが、お手伝いさんや子守さんなんかがいたりする大きな農家の長女。
3月。 大阪の町はけたたましい空襲警報に叩き起こされる。 外へ出た父は、家の前の道を大勢の人が同じ方向へ走って逃げるのを見た。 幼い弟をおぶって出てきたおかあちゃんは、みんなの逃げる同じ方向へ行こうとした。 すると先に表に出て様子を見ていたおとうちゃんが戻ってくるなり言った。 「川へ逃げたらあかん。ええか、反対へ逃げるんや」 おかあちゃんは心配そうに言う。 「でもみんなあっちにいってますよ」 それでもおとうちゃんはきっぱりと言う。 「人は人や」
あとはもう、大勢の人が逃げるのとは反対へ反対へ。 引っ張られるその手を離さないよう必死で走った。 道の両脇の家はどんどんと燃えていく。 あっちもこっちも燃えているから熱くてたまらない。 「道の真ん中を走るんや」おとうちゃんが言う。 小さな弟をおぶったおかあちゃんも必死でついてくる。 怖いとかどうしたもなく、ただただ人の流れと反対へ逃げた。
どれだけ走ったか覚えていない。 やっとのことでたどりついたのは神社だった。 おとうちゃんは井戸から水を汲んで飲ませてくれた。 ただでさえ毎日お腹が空いているうえに長いこと走り続けてよけいにお腹が空いた。 「おとうちゃん、おなか空いた」 「起きてるから腹減るんや。はよ寝え」 まあ、言われるのわかってたけどな。
夜が明けると大阪の町は焼け野原で死体ケ原だった。 家も店もご近所さんも学校も友達もみんな焼けてなんにもない。 みんなが逃げていった川は死体だらけだった。 「おとうちゃんが反対や言うてくれんかったら、ぼくらもああなってたんかなあ」 誰も何もこたえない。 それからの記憶はもうずーっと毎日毎日腹が減ってたまらんことだけ。
8月。 母はその日ものんきにお友達と遊んでいた。 そういえば最近うちの村には見知らぬ大人の人たちがよくやってくる。 いろんなものをうちのおじいさんに持ってきては 頭を下げて野菜とかお米と交換して帰っていく。
ふーん、お米がこんなにたくさんの着物や帯と交換できるんだ?びっくりー。 わたしはおもしろいなあと思って見ているけれど、 おじいさんはおもしろそうな顔はしないで、 かわいそうな人を見るような目で着物をみてる。
夏の山の緑はきれい。 夏の空は青くてきれい。 そういえばこのまえ、青い空のたかーいところをキラキラしたのがゆっくり横切っていったの見たんだっけ。すごいふしぎ! あれはいったいなんだろうな?光がキラキラしていてすごくきれいだったな。 次に見かけたらおじいさんに聞いてみよう。うちのおじいさんは何でも知ってるからね。
田んぼの稲には穂がついてきた。 うちのお米はとってもおいしいから好き。 うちのお水は夏でも冷たくっておいしくてだーいすき。 庭のお花摘んだらおじいさんにおこられるかなあ。 にわとりに追いかけられるの嫌だなあ。
家に帰るとみんな座敷に正座してラジオを聞いていた。 偉い人が来たみたいにして座ってる。 おっかしーのーと思って見てたら、うちのおじいさんが言った。 「日本が負けた」
ふーん。それよりうちのにわとりは小屋に入れたままにしてくれないかなあ。
ーーこれが私の両親の「戦争の記憶」
| 2021年08月12日(木) |
小鹿田焼とか小石原焼とか。 |
2000年前後あたりからの子供の名前と昔ながらの地名はふりがなないと一発で読むの難しいですよね。
ってこたー難読地名はキラキラ地名ってかwww
んなことを考えながら小鹿田(おんた)焼と小石原(こいしわら)焼を売ってるお店をいくつか訪ねてきました。 ほんとだったら窯元一軒一軒回ったりしたほうが楽しいんですが、もう足腰弱ってる上におしっこ近いアピールが半端ない高齢旦那連れだもんで、そんなまったり呑気な旅ができねえんでやんすよ。あと10年の我慢我慢。
小鹿田焼のは素朴な小皿を2枚と、小石原は道の駅に各窯元の作品が勢揃いだったのでモダンな角皿1枚とデザインめちゃ可愛な取皿を2枚購入。
すっごい気に入っちゃったのはいいけど、うち背の高い食器棚がないんで(佐賀から引っ越してくるときに食器の大半と共に食器棚も処分した為収納場所はキッチンカウンターの下のみ)捨てても罪悪感ゼロの思い入れのかけらもないニトリの皿をポイと5枚処分しました。
そしてじわりじわりと増えていく我が家の小石原・小鹿田ブラザーズ。←この2つは福岡と大分で場所は違えど兄弟窯。←おすぎとピーコは双子の兄弟釜。←広海・深海も以下同文。
秋になったらまた探しにいこうっと。←旦那は「器もいいけど今度は葡萄買ってよー」とおねだり巨峰・ピオーネ・シャインマスカット中。
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