わうわうで一挙放送された「魔法少女まどか☆マギカ」の録画を、漸く観終わった。 これは確かに、評判になるだけの事はある。 最初は絵が可愛過ぎて馴染めず、うじうじイジイジしっ放しの主人公に苛々したが、最後にはこの私が感動で涙するほど、素晴らしい出来であった。 一応タイトル通り、まどかが主人公らしいが、これって実は、ほむらちゃんの成長物語だよね? 話が進むに連れてどんどん重くなり、連続で見るのがしんどくなって、 「重くて心に負担がかかったから、別の録画を観ていい?」 とクリミナル・インテントを再生しようとして、アニメより犯罪ドラマの方が軽いのかよ!と主人に突っ込みを入れられる事もあったが、観終わった時にはその苦しみも全て洗い流されるような一抹の清涼感を味わう事が出来た。 そして、今時のアニメにしては、テーマ曲も素晴らしい。 主人に言わせるとエンディングの方が優れているらしいが、私はオープニングも好きである。 また、ネットで目にする「ソウルジェム」や「全ての魔法少女を、生まれる前に消し去りたい」などの言い回しは、これが出典であったのか、と勉強にもなった。
という訳で、今更だが、「ボクと契約して魔法少女になってよ!」が私のブームである。 しかしこの台詞を使える相手は主人だけなので、 「ボクと契約して、魔法初老になってよ!」 と、何とも真の抜けた台詞になってしまう。 そしてよく考えれば、主人は既に料理という魔法を使えるのであった。 料理キライ。
おフランスでテロ発生。 ムハンマドの諷刺画に怒ったイスラム過激派が、それを掲載した新聞社を襲撃したそうな。
なんだかなーと思うのが、この件に関してマスコミはこぞって「表現の自由」を標榜しているが、同じ事を個人がやったら、途端にヘイト・スピーチ扱いするんだよね?という事である。 また、フランスの諷刺画と言えば、フクシマを揶揄したものが記憶に新しい。 私の記憶によれば、あの時日本のマスコミは物凄い勢いで非難していた筈だが、フクシマをネタにするのは許さないくせに、イスラム教の教祖ならいじってもOKなのか? これには酷い矛盾を感じる。
この件について訊いてみたところ、うちの主人は、天皇や国家元首や教祖など、特定の人々にとって大切な存在に関しては、それによって怒り狂う信奉者や傷付く人がいるのだから、軽々しく揶揄すべきではないと言う。 しかし私は反対だ。 どんな些細な事だって、傷付く人というのは存在するのだから、そんなのいちいち線引き出来ないし、気にしていたら限(き)りが無い。 そんな事言ってるから、あんたの大好きなモンティ・パイソンが今の日本では放送出来ないんだよ!と言ったら、あれは別物だと抜かす。 要は、ブラック・ジョークがどこまで通じるかという事なのか。 キリスト教圏は割りと寛容で、教祖キリストや国家元首が揶揄されても平気だが(しかし教義にも寛容過ぎてホモを容認しちゃ駄目だと思うの)、イスラム教圏や日本やアジアではブラック・ジョークの文化が無いからか、真面目に受け取って過剰反応してしまう人が多いようだ。 個人的には、それってつまんなくね?と思うのだが。
イスラム教狂信者というと、私が思い出すのは「悪魔の詩」事件である。 うわーイスラム教徒ってキチガイだわー、これはアンタッチャブルだわーというのを、日本でも印象付けた事件であった。 そう言えば、流石のキリスト教圏でもユダヤ関連はアンタッチャブルらしいが、イスラム教とはこれからも戦い続けるのだろうか。 やはり特別扱いは宜しくないし、諷刺も出来ない存在というのは不公平で不健全だと思うので、シャルリー・エブド紙はイスラム教だけでなく、ユダヤに関しても、表現の自由を行使して、どんどん諷刺したら良いと思う。
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