いじめ自殺で全国的に有名になった滋賀県大津市立皇子山中学校で、卒業式が行われた。 式典には、自殺した生徒の両親が息子の遺影を抱いて列席し、証書を受け取ったと言う。 そのニュースを聞いて、非常に微妙な気持ちになった。
自殺生徒は当時2年生。中学校課程を修了していないのだから、卒業要件を満たしていない筈である。 仮令満たしていたとしても、死んだ子供に卒業証書授与って何それ。 そういや以前、似たようなケースがあったな。オウム事件で殺害された、坂本弁護士の親と子の話である。 殺害当時、坂本弁護士の息子龍彦君は1歳だったが、永い事生死がわからなかったため、行方不明扱いであった。 それは当然だとしても、学齢に達した時、弁護士の母親つまり龍彦君の祖母が、代理として入学式に出席したという。 しかも、ランドセルや学用品まで用意して、教室に机まで用意して貰ったとか。 祖母にしてみれば孫は可愛かろうが、そこまでする? 他人の私は、客観的に見てドン引きした。
誤解を恐れずに言えば、それってオナニーじゃん。 子供の小学校入学という記念すべき日に、そういう特別な事情を抱えた人がいたら、周囲の親はどう思うかね。 折角の晴れの日に、一点の曇り。真っ白な服に付いた一点のシミみたいな。(出典:ガラスの仮面) 周囲の父兄も教員も、すんごく微妙な気分になると思う。扱いにも困るし。割れやすい卵のように。(同上) 被害に遭ったのは気の毒だけれど、弁えようよ。 勿論、ばあちゃんが学校側に捩じ込んだ訳じゃなく、如何ですかと誘われたのかも知れないけれど(と思いたい。捩じ込んだのなら論外)、いい歳した大人なんだから、周囲がどんな気持ちになるかも考えるべきだと思うのだ。
今回の報道でも、それに似た違和感を覚えた。 ただ、入学式のケースが周囲は事件とは無関係だったのに対し、今回のケースは一応皆が関係者だ。 そして、卒業証書には番号は振られておらず、厳密には「証書」ではないらしい。 受け取った両親は、 「卒業証書を頂いたが、嬉しいと素直に喜ぶ事が出来ず、夫婦とも涙が止まらなかった」 「(卒業生の集団の中に)息子がいるような錯覚を起こした。しかしやっぱり息子はいない。卒業式の中に息子がいない現実は、やりきれない辛さを感じた」 というようなコメントを出したという。 そりゃ辛いよな。寧ろ何で出たし。 この夫婦に関してはオナニーとは露ほども思わないが、わざわざ出席せんでも、断っても良かったと思うのだ。誰も責めやせんよ。 何だか、誰もが不幸せだよね。
2年前の同じ日に比べれば、今日は随分暖かかった。
昨日からTVの番組は震災関連一色で、辛気臭いったらありゃしない。 一応被災県民なのにその言い方はどうなのと批難されそうだが、言論の自由だ。放っといてくれ。 震災は悲劇だし、忘れてはならない事ではあるけれど、「可哀相」から一歩も進まないのが、苛々してならないだけなのだ。 だからわざとその時間には銀行回りをして、帰宅してからは不必要に悲しみを煽るだけの地上波は避けてBSでワールドニュースを見て過ごしていたのに、アメリカの児童生徒向けニュースが終わったところで天気予報でもやってるかしらとNHK総合に戻してみたら、丁度! 「黙祷」 政府主催の式典の最中で、まさにその時間ドンピシャであった。 時間間違えてたよ私。 14時15分じゃなくて14時45分であったか。 これは何が何でも黙祷させるという、誰かの陰謀か。 仕方が無いので、ここは抗わずに、私も黙祷に参加したのだった。 その後に続いての安倍首相の原稿の朗読は、いつも通り発音が不明瞭で苛々したけれど、その反動もあって、今上陛下のお言葉は安心して聞けた。 しかしなあ、復興関連には苛々する。 思うところは色々あるけれど、とんでも長文になりそうなので今日は止めておく。
夕食後、デザートを食べながら主人が言った。 「2年前の地震の後、シオンはせとかばかり買っていたよね」 無駄遣いを責められるかと思いきや、 「せとか美味しいよね。また食べたいな」 ただの催促であった。この食いしん坊め。 「わかった、買っておくよ。どうせあの世には持って行けないんだし、お金は生きているうちに遣わないとね!」 「お金大好きなシオンがそれを悟る事が出来ただけでも、あの震災には意味があったのかもな」 一昨年を思い出した。 あの時私は、悔いが残らないように生きないと、と思ったのだった。 今年に入ってからグダグダと過ごしていたのを、一寸反省した。
ところで、東日本大震災にばかり目が行きがちだけれど、翌日未明に起きた長野県北部地震の事も思い出してあげて! そして3月11日はパンダの日だという事も。
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