何だとー! チケットがまだ余っているだとー!
それを知ったのが正午頃。 ネットの乗り換え案内で調べると、駅まで走って次の電車に飛び乗れば、間に合うと判った。 しかし判ったところで、どうしようも無い。 チケット代にしても、それを上回る交通費にしても、お金は一応ある。 しかし主人が汗水流して稼いだお金を、私の衝動で遣ってしまって良いものか。いや良くない。 それぐらいの理性は残っていたので、指を咥えて電車を見送った。 と言うか、行ったところで当日中に帰って来られないし。 最終の電車に乗ったとしても、途中までで終点になってしまうのだ。 始発までホームレスとして駅で過ごすのは、流石に厳しい季節。 嗚呼今頃開演かしら……こないだと同じプログラムでも行きたかったわあと、その日は横浜に思いを馳せながら過ごした。
演奏は凄く良かったらしい。 それを聞いて、嗚呼やっぱり行きたかったわーと悔しい私なのであった。 お金持ちだったら迷わず行ったのに! 書き置き残して、えっ今日の晩御飯無いの……と主人をショボンとさせるのも厭わなかったのに!(鬼)
一寸前の話だが、録画しておいたテレビ朝日製作の2晩連続ドラマ「砂の器」を観た。
松本清張原作のこの話、まずは原作を読み、その後に1974年の丹波哲郎版を観ているので、ストーリーは知っている。 数年前の中居君主演の日曜劇場版も良かったらしいので観てみたいが、こちらはまだその機会が無い。 手垢の着き切った感のある「砂の器」だが、見比べるのも面白いと思うので、つい観てしまう。
が。 蔵之介様がとってもビミョー……。 折角指揮の練習したのだから、玉木君が刑事じゃなくて和賀役をやった方が良かったのでは無いだろうか。 そう思うぐらい、蔵之介様の指揮が余りに酷かった事であるよ。 そして癩病差別がこの話の要だと思うのに、近年のドラマでは、何故か他の理由での差別に書き換えられている不思議。 当時の時代背景を忠実に再現したらいいのにと思うのだが、ウィキペディアによると、何故か原作者の遺族が、差別の理由を他のものに換える事を映像化の条件としたらしい。 忠実に再現したら、癩病患者協会から猛抗議されるのだろうか。 差別はイカンよと本当に思っているのなら、原作通りにやればいいのに。つまんねえなあ。
文句を言いながらも観ていたのだが、後編の途中でぷっつりと切れた。 えっ何で……。 どうやら、録画の途中で録画機の容量一杯になってしまった模様。 まあストーリーは知っているからいいんだけれどさ、何だか消化不良。 そしてこのパターンは、これが初めてではない。 昨年「スラムドッグ$ミリオネア」でもやらかした。 更に昔、学生の頃に、友人の家で見付けた金田一耕助シリーズのビデオを皆で鑑賞していた時も、最後の謎解きを残してぷっつりと話が終わってしまったのだった。 この場合は私のせいではなかったが、ここで終わりというのは流石に気持ちが悪いという事で、すぐにじゃんけん大会が始まり、負けた者がレンタル・ビデオ店に走って借りて来てくれた。 という訳で、録画の前にはちゃんと容量を確認しないと!という事であった。
なかなか学習しないんだけれどね。
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