学生時代からの親友が、遊びに来た。 彼女と会うのは、数年振りである。
休みを取れたから遊びに行く、と彼女から連絡を貰った時に主人にそれを言うと、 「じゃあ2人で温泉にでも行って来なよ。温泉に浸かって、美味しい物食べて、お宿でのんびりしておいで」 と快く送り出してくれた。 そんな訳で、女2人の1泊温泉旅行である。 8月で温泉はどうかとも思ったが、まだ暑いものの、お盆を過ぎてかなり暑さは和らいでいたし、山は過ごし易い気温だった。 往きの車中から昔の話で盛り上がった。 途中で少し迷いかけたが(地図が大雑把で読み難かったのだ←ナビ役の私のせいではないと暗に言いたいらしい)、予約しておいたお宿は、なかなか良い。 山間の温泉旅館だが、ボロくて汚い訳でもなければ、無駄に豪華でもない。 (因みに、うちの主人は鄙びた宿が好きだと言う。しかし彼が行きたがる所は、鄙びたを通り越して萎びているので、どうも私とは好みが合わない) お風呂場は綺麗だし、部屋も小綺麗で、流石に女性向けプランを組んでいるだけの事はある。 今年は虻の当たり年らしく、油断出来ないので露天風呂では余りリラックス出来なかったが、長湯をせずとも温まり(まあ夏だし)、見違えるほど肌がつるつるになった。 だから好きなのだよね、温泉は。 嗚呼、温泉の子になりたい。
お風呂の後は、美味しい食事を沢山食べて、TVを見ながらあれやこれやと盛り上がった。 彼女とは、本も音楽もそうだが、好きなTV番組やそれについての意見も同じなので、一緒に見ていて楽しいのだ。 因みに、その日見たのは「徳光和夫の感動再会“逢いたい”」である。 主人と見ても、彼はこの手の番組には興味が無いらしく、ここまで盛り上がれないのだ。 親友と主人は共通点が多いのに、趣味は彼女の方が合う。 同性だからという理由だけではないように思う。 だからと言って、こういう番組大好きな男がいたら、それはそれで引くかもしれないが。
私が字も読めない頃から、母は本を読み聞かせてくれ、字を読めるようになると、今度はよく図書館に連れて行ってくれた。 子供向けの世界名作全集も買ってくれたし、お蔭で私は読書好きな子供に育った。 今の若者や子供は、活字が嫌いだの字も碌に読めないだのと言われるが、それらは全て親の責任だと思う。 私が子供の頃とは違い、今は多様なゲーム(ここではプレイ・ステーションをはじめとする、家庭用ゲーム機及びそのソフトの事とする)がある。携帯型の物まである。 ゲームは楽しい。勉強より楽しい。 子供がその味を覚えれば当然、本や勉強よりゲームをしたがるだろう。 それなのに親は、単に子供が欲しがるからだの、友達が持っているのにこの子だけ持っていなかったら仲間外れにされて可哀相だの、様々な理由で買い与えてしまう。 中には、これを子供に与えたら子供のためにならないと思いつつ、自分がしたいがために子供に買い与える場合もあるだろう。子供をだしにしているのである。 どちらにしろ、小さい頃からゲームがある生活は、教育上好ましくない。馬鹿が量産されるだけだ。 そして数十年後には、その子供達が親になる。 馬鹿が馬鹿を産むのだ。 考えただけで恐ろしい。
子供の頃に本を読まなかったらどうなるか。 答えは簡単だ。本に興味を持たない人間になる。 活字嫌いだったり、日本人なのに漢字を正確に読めない或いは助詞を満足に使えない人間は、子供の頃に原因があったと思われる。 知り合いの国語教師は、国語力は小学校高学年までに決まる、と言っているし、私も、数は少ないものの何人かの子供を見た経験から、全く同意見である。
塾に行かせれば何とでもなる、と考える親が多いようだが、とんでもない。 鉄は熱いうちに叩け。 子供からゲームを取り上げて、本を与えろ。 まずは親が読み聞かせろ。 「勉強だけが人生じゃない」。確かにそうだ。 だがそれは、勉強どころか母国語さえまともに遣えない奴が言うと、ただの言い訳にしか聞こえない。 子供の間違いなら微笑ましいが、子供はいずれ大人になる。 学習しないままに大人になったら、本人が困るし、親は陰で確実に笑われるのだよ。
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