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適齢期
2004年11月03日(水)

仲のいいザルナースが
むっとした顔で私の前に座った。


ちょっと聞いてよ!
ってやや興奮気味


以前入院していた患者さんが
1年ぶりの入院。
その娘さんが
ザルナースに

あら?苗字かわったんですね?
結婚したの?

なんて言われたのよ〜
ほんと、頭にくる

結婚してないっちゅうの!


お怒りです。


微妙な年齢だもんね〜
って笑い転げる私。


でも『結婚できないっちゅうの!』の間違いでしょ?



ってしっかり訂正してあげました。
そんな彼女の夢は

とってもとっても仕事ができる
いいナースなのに






目標:早期結婚退職



です。(マジで)




警察官さんのその後
2004年11月01日(月)

もう随分前になるが
ある警察官が脳梗塞で入院した。右半身の麻痺。
参考←クリックしてね♪


麻痺の怒りを私たち看護師に向けていた彼。
病院自体を非難し
すべてこの病院が悪いと言い続けていた。
病気の受け入れがなかなかできなかった。

そして、入院してすぐ奥さんが心筋梗塞で亡くなった。

安静が必要な時期ではあったが
急遽退院し、落ち着き次第
自宅の近くの病院に転院するということになった。


病院では泣かないと決めている私でも
言葉に詰まりながら
二人で話をした。

なぜか二人ともひきつり笑いで話しをする。
『ほんと、こんな病院にきたからロクなことがないよ!』
『あはは。またそれを言う〜〜〜』

っていつもの軽い会話から
警察官さんは
『このまま途中で身を投げられたらなぁ』
って笑いながら話す。


必死に涙をこらえながら
警察官さんに私の思うままを言葉にした。


奥さんのことは私も悲しい。
でも、なによりも私が一番気になるのは
あなたのことです。
麻痺が進行しないか、この状況でしっかり眠れるか
お葬式が終わったらちゃんと病院に行って治療を受けてもらえるか。
とにかく・・・
あなたの事が心配でならない。

だまって聞いていた。
そして同僚の人と車椅子に乗って自宅へ帰られました。



あれから随分月日がたった。
パトカーをみるとふとその人を思い出したりする。



仕事が終わり自宅近くを歩いていると
すれ違ったおじさんに声をかけられた
『なーちゃんさん!』
振り向くとその警察官さんが立っていた。
満面の笑みで。

杖をつかずに歩いていた。
ほんとうなら抱きついて喜びたいところでしたが
怪しいのでやめました。

相変らず
『あんたんとこの病院にいなくてよかったよ。
歩けるもんも歩けやしない』

なんて憎たらしい事を言いますが
目は笑ってます。
しかも、私の名前まで覚えてくれてるし。

医師からは職場復帰は不可能と言われていたが
必死にリハビリをし
今では派出所勤務していると。
いろいろと話をしてくれた。

ずっと胸が詰まる想いで
彼の話を聞いていた。
嬉しくて今度こそ涙が流れそうです


いや。。。警察官さんと別れてから
流れちゃいましたが・・・・




富士子さんの最期
2004年10月29日(金)

10日ほど前に入院した富士子さん
運ばれてきた時から状態は悪かった。
レスピレーター(人工呼吸器)をつけてもそう長くはない。
しかも、本人の苦痛も強い
体がむくんできたり
口や鼻が切れたりただれたり
様々なトラブルもある。

そういうことを踏まえたうえで
ドクターが家族に説明をしたが
ご主人と子供達の意向でレスピレーターを
つけることになった。

ふと。。
かわいそうだな、富士子さん。。。って思ってしまった。

何度も危機を脱して
なんとか持ち直して数日が経過しました。

しかし、、、日がたつにつれ
顔がむくんできた。
瞳孔はすでに開いている。
足の色も紫色になってきている。
しかし体温調節機能は麻痺してる為
40度近くの発熱が続く。
背中は赤黒くなってきている。
管の入っている鼻は潰瘍になって痛々しい。


少しでも綺麗な身体で家に帰ってもらいたい
と私達も毎日ケアを続けます。
すると昨日、親族から
いつまで、続くのでしょうか?
と死を待つような言葉を聴いた。
変貌していく姿が見ていられないのでしょう。
親戚の方々はあのまま逝かせてあげればよかったのに
とご主人の決断を批判します。

そして今日の夕方、とうとう心停止
こういう日に限って親戚のおばさん一人しかいません。
親族なので普通はその方の立会いのもと
死亡確認をするのですが
ご主人や息子さんがいないと困るとのこと。


レスピレーターをつけたまま
お尻は便で汚れたまま
息子さんとご主人の到着を
待つことになりました。

管を早くとってあげたい
綺麗にしてあげたい

死後硬直が始るから
何度か、処置を申し出るが
このままの状態を息子さん達に見せてあげたいから
と拒否される。

一時間半、管も入ったまま
放置です。

いったい何を一番に考えているのでしょう。
富士子さんは何番目?

家族が揃い
死亡確認され、処置をしてご帰宅。
すると、自家用車で帰るとのこと。
たいがいは葬儀屋さんの寝台車で自宅に帰るのですが
それも一応、家族の自由です。

車を見たとき、言葉が出ませんでした。
運転席と助手席との間に頭を入れるように
してギリギリ足が納まるひろさ。
おまけに枕ひとつと
タオルケットだけが積まれています。
シートが倒されかわいそうなくらいの段差がある。

病院の布団等で段差をなくし
なんとか富士子さんを車に乗せた。

最後の最後まで
悲しい気分のままお見送りしました。
















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