きのうここで「私は『頑張ってね』って言葉が好きじゃない」って書いたら、メールがきて「ショックでした」って。しかも、そのメールの主が文末に書いた、いつも心地よい言葉をかけて下さる方だったから、びっくり。「私は何回も言っていたんじゃないか」って。あの、あくまでも好きじゃないだけで、嫌いなわけではありません ^^;多少ひねくれものですが「頑張ってね」と声をかけて下さる方の優しさみたいなものはちゃんと受け止められる素直さは持ち合わせていますからね(^^) 別に不愉快な思いなんてしてませんから大丈夫ですよ。「頑張って」って便利な言葉ですからね、あまり深い考えもなく使っちゃう気持ちはよくわかるし、実際、他にいい言葉が見つからなくて私も使っちゃうことがしばしばありますからね。ただ、便利で簡単だからこそ思いが強い時は気持ちを伝える言葉として適当かどうかって、ひっかかちゃうんです。もう少し踏み込んだところで相手を理解し応援しているって気持ちはこの言葉では伝わらないんじゃないかってね。だから私が言われた場合なんてのは相手のそういった気持ちの深さを推し量っちゃうんです。そのあたりはもう私の問題なんですよね。 (10:00am)
「頑張ってね」って言葉、実は私あまり好きじゃないんです。便利なんで、つい使っちゃってますけどね ^^; 劇団員だった頃、もちろんそれじゃ食べていけなかったからOLもしていて公演ともなると一週間の休暇をとってやっていました。その休暇に入る時に同僚達がよく「頑張ってね」と声をかけてくれたんですけど、「ありがとう」と返す言葉の裏側で「何をどう頑張るのか解ってるの?」って思ってました。私、素直じゃないのかなぁ(苦笑)それって芝居って特殊な世界に足を突っ込んでいたからだと思っていたんですけど、最近では障害児を持つ親の気持ちなんてのにそんな事を感じるし、よく考えるとその他の事でも違和感を感じている自分に気が付くんです。「頑張ってね」って本当に相手の事を考えた励ましの言葉なんでしょうかねぇ。頑張っている人に向かって「頑張ってね」って言うのってよく考えてみると結構、無神経かも・・・ 言う人にしてみれば、私も含めてそこまで考えてはいないんですよね。でも本当の励ましの言葉は今頑張っている相手を認めてあげる事なのかもしれないと、いつも心地よい言葉をかけて下さる方のメールを読みながら思うきょうこの頃です。 (9:30am)
三日も連続して、アジテイション的なメッセージを書き続けちゃいましたが、そんなにストイックに考え続けているわけではありません。週末には、しっかりサッカー観てます ^^; レッズはまた負けちゃいましたけど、王者相手にちっとも引けをとらずに立派に戦いました。退場者を出してしまったのが敗因かな。それでも延長にまで持ち込みましたからね。次が楽しみになりました。胸を張って帰ってきてほしいと思います。 それよりも・・・・夜、スーパーサッカーで神戸のユニをきている岡野を観た時のショックと言ったら! もちろん、移籍が持ち上がった時点でとてもショックでしたが、それでも本人が望んでいたようでしたし決まった時は新天地で頑張ってほしいと冷静になっていました。ところが代表のユニ以外は赤のイメージしかなかった岡野が他のチームのユニを着ているのをみたら、涙が溢れてきちゃったんです。この喪失感は彼の存在がレッズにとって、いかに大きかったかって事なんですよね。 やっぱりどうしようもなく寂しいです。 それから、伸ちゃんの怪我も心配です・・・・ (10:10am)
得意技です。追い詰めるだけ追い詰めておいて窮鼠が猫を噛んだところで、噛まれたから反撃するんだと正義を振りかざし、完膚なきまでに相手をやっつけちゃうの。その昔、日本にもそうしたように・・・真珠湾も予期していたって言うじゃないですか。今回は予期していたとはいえ流石にあそこまで中枢部にせまられて相当きてるみたいですね。本当にこの際だからってにフセインまでやっちゃうつもりなんでしょうか。私は武力行為に正義なんてないと思っています。人の命より大切な正義などあるはずがないんです。 家族や友人の悲劇に混乱しているアメリカ国民のみなさん、あなたたちの混乱に乗じて政府がとんでもないことをしようとしています。今こそ冷静になって暴走する政府を止めて下さい。 No more WAR! No more WAR! No more WAR! No more WAR! No more WAR! No more WAR! (10:30am)
おっと、危ない危ない、私までアメリカ政府の世論コントロールにはまるところでした。当初から今回の事件の根源はパレスチナ問題にあると思っていたけれど、どうも最近の報道は別の方向に行っているようで変だと思っていました。テロリズムのかたを持つ事になりかねないし(自信もなかったし)明言を避けてきました。でも昨日、田中宇さんが論説の中で、アメリカの世論が「テロは許せないが、そもそもなぜこんなテロが起きるのかを考えると、イスラエルがパレスチナ人を弾圧していることをアメリカが支持しているからではないのか」という方向に行くことを防ぎたいアメリカ政府の意図を感じるというような事を書いていたんですよ。カチンときましてね。世論と政策の板ばさみになるのを避ける為に世論の方をコントロールするなんて! 権力とはだいたい、そういうものなのかもしれないけど、そういうものだからこそ常に事の本質を自分なりに判断できるだけの知識を身につけなければいけないと痛切に思うわけです。「よく解らない」「よく知らない」状態で権力に振り回されて大切な物を失いたくないじゃないですか。子供達に手渡す世界の未来の為にも主婦も政治から目を反らせてはいけないんですよ。 (8:40am)
やっぱり暴力には暴力なんでしょうか。どうも納得行かなくてパパに噛みついてみたけれど(本当に噛み付いたわけじゃないですからね ^^;議論をもふったという意味です)結局、一度テロに屈すれば、あの国はテロ行為をすれば言う事を聞いてくれるという事になって新たなテロリズムの標的になるという事なんですね。でも際限のない「いたちごっこ」は憎しみを増幅するばかりだと思うんだけどな。そうしてできた深い溝はもう取り返しのつかないものになってしまっているんでしょうかねぇ。人種、宗教、思想、どうしても相容れないものが、この世にはいっぱい存在するんでしょうか。「人は許す事ができれば、みな幸せになれる」これは 三浦綾子の『氷点』の中の台詞です。おそくらくこの小説のテーマにもなっている言葉だと思うんですけど、それがそう簡単な事ではないから小説にもなるし、今般のような事件もおこるんでしょうね。幸いな事に私は殺したいと思う程、人を憎んだ事がありません。こうして机上でいろいろ言ってみても所詮、空論なんだろうな・・・・ それとも、考えるだけでも意味はある? (9:15am)
滅入る・・・・ 彼等(DFLP)をあそこまで追い詰めた歴史を知らない。これだけの事を起す人達の何も知らない自分の勉強不足に愕然とする。自分達の国がほしいと言う思いに非難されるものはないはずでしょ?。それが何故、超大国を相手に数千人の一般人を巻き込むテロになるのか解らない。もちろんテロ自体に理解を差しはさめる余地はないのは言うまでもないけど、おそらくは、これだけの事を計画した時点で実行犯のみならず組織自体の自壊を辞さない覚悟だったのだろう。そこまで追い詰められた彼等の何も知らないのだ。自らの命を賭して守ろうとするイデオロギーとはなんなんだろう。 数え切れない犠牲者の命を無視できる歴史ってなんなんだろう。手にもった国旗を嬉しそうにカメラに向けるパレスチナの無邪気な子供たちの笑顔は何を私達に訴えているんだろう。慌ててインターネットで検索して調べてみても、私を納得させてくれる記述はどこにも出ていない。 (8:55am)
主婦って言うのは家庭で御山の大将していて気楽なもんだと思っている方が多いかも知れませんが、結構これで人間関係は大変なんです。近所づきあいや子供の親同士の付き合いは相手を選べないわけですから当然鼻持ちなら無い人なんてのもいるわけで、それでも家族の為には喧嘩せずにうまくやっていかなくちゃなりません。時には物凄いストレスを感じたりするもんです。そんな中でネットでのお友達と言うのは選ぼうと思えば選べるわけですよ。なんの責任もあるわけじゃないんですからね、我慢して馬の合わない人と付き合う必要なんて無いじゃないですか。それがBBSなんて持っちゃって大勢の方に書き込みをしていただこうなんて思うと、そうはいかなくなっちゃって、ある程度は自分をコントロールしなくちゃならなくなるわけです。で、疲れちゃう。最近そんな管理人さん仲間が何人かいらっしゃるんですよ。BBSって両刃の刃なんですよね。気軽に書き込めるからたくさんの方からメッセージが貰えて嬉しいんですけど、ともすると誰の為のHPなのか見失わせてしまうんです。BBSを閉じろとは言いませんが、できたら彼女達にも毅然と自分の為のHPを続けてほしいと思うんです。 (8:40am)
ちょっと憂鬱。疲れているのかな。台風の雨の音が気になって仕方が無い。この部屋の屋根は瓦ではないので雨音がまともに響く。我が家は古い日本家屋で窓がサッシになっているところは少なくて、ほとんどが昔ながらの木の枠のガラス戸、風が吹くとガタガタと音がするし、もっと強くなると屋根裏にある風通し用の戸がパタンパタンといい始めるはずだ。チェーホフの『かもめ』のニーナの台詞なんか思い出したりして(笑)今朝、子供たちが登校する時は幸い少し小降りになっていた時だったけど帰りは大丈夫かな。てっちゃんは迎えに行くにしても、マークンはこんな日でも歩いて帰るって言うのかな。徒歩で10分もかからない近いところだけど、雨が強いと傘は役に立たないしビショビショになるのには充分な距離だよね。 パパは生徒を早く返すことになれば教員も少し早く帰れるかもしれないと言い残して出かけていった。3匹の猫達は足を投げ出して全く警戒なく眠りこけている。 私は・・・・ (9:40am)
きのう、知り合いがTOTOの1等があたったとメールをよこしてきました。でも彼はレッズファンのはず・・・・私が「とりあえず、おめでとう。でもレッズの負けで買ったのね・・・」と返信すると、 「ダブルで買いました」ですって。でも、負けを買ったのには変わりないでしょ?(笑)ギャンブルのために平気で(平気じゃないかもしれないけど)贔屓チームの負けが買えるのはたいてい男性。女性は主観的に生きているから、そんな事できないんです。男性の方が客観的に物事をとらえて生きているんでしょうねぇ。理性的といえば理性的だけど子育てなんかではこの点でぶつかる事が多いです。他所の子よりとにかく我が子がかわいい母親と、公平な父親。時には本当に子供を愛しているのかと疑っちゃうけど(笑)でも、きっとこれが男女で子供を育てる意味なんだろうなと思います。 ただ時々、微妙に男性的(理性的)な女性がいたり、女性的(感情的)な男性がいたりします。なんでも例外が存在するという事なんでしょうけど、私の女友達にはやや男性的な方が多いです(笑) 自分に無い面を補おうとする本能みたいなもんがあるんでしょうかねぇ。 (10:30am)