解放区

2015年03月17日(火) おばあちゃん。

本日12時過ぎに、祖母は逝った。あまりにあっけない死だった。今葬儀屋の一室で、祖母と二人きりの部屋でこれを書いている。

以下は以前に書いた文章。書いたまま放置していた。途中になるが、今日のこの日にここに書き記しておこうと思う。

ちなみにこの後、祖母は施設から病院に再度移り、本日大往生を果たした。



「ところでお祖母様ですが、お好きな音楽やご趣味などはありましたか?」
とてめえは聞かれた。暫く考えたが全く出て来ない。出てこないのは祖母のことを知らないからではなく、知ってるから出てこないのだ。

「いや、好きな音楽も趣味もなかったです」
と、てめえは絞り出すように答えた。てめえに質問してきた看護婦さんは、少し納得の行かないような視線を返してきた。


祖母が病院から施設に移った。そんなわけで、今後は「治療」ではなく、残された人生をどう過ごすかということに主眼が置かれることになる。

施設に移るにあたり、事前に事務サイドとの面談と、移った日に設定された看護サイドとの面談があった。加えて入所後には医師との面談もある。全て同日にしていただけると助かるのだが、なかなかそういうわけにはいかないのは同業者として痛いほどわかる。でも、なんとかしてほしいとは思う。

事務との面談は事務的に終始し、ひたすら書類にてめえの名前を書いてサインをし、印鑑を押し続けた。

看護との面談は入所当日に行われた。治療施設ではないので病院とは違って病状についての質問はほとんどない。むしろ、今後どう過ごしていくのかの話に終始した。そして上記の話につながるわけだ。

そんなわけで、祖母の人生を振り返ってみる。


彼女は京都市北区紫野で生まれたらしい。らしいというのは、戸籍を見て知った以上の情報がないからだ。どこで生まれてどのように育ったのか。本人から聞いたことはないし、今回てめえの父にも聞いたが全く知らなかった。

てめえが知っているのは、昔の京福電鉄で勤務していたところからである。駅で働く祖母に、近くのアパートに住んでいた祖父が惚れて一緒になったところからの話を知っている。祖父の住むアパートから見える駅の駅員として働く祖母に、祖父は猛烈にアタックしたらしい。その思いが通じ、祖母が20歳、祖父が30歳の時に一緒になったらしい。

ただし、この国際結婚に祖母の家族は大反対した。結果として、祖父を選んだ祖母は家族との縁が切れる。

その後、祖父と二人で屋台のラーメン屋を始める。屋台を引くのは午後9時から売り切れるまでで、だいたい午前3時くらいまで屋台を引いていた。それから後片付けをして、家に帰って寝るのはもう夜も明けた頃だった。そこから子供二人の朝の支度を行い、子供を送り出してから眠る。昼過ぎには起きだして、夜の屋台の仕込みを始める。

そんな人生を送ってきたので、親戚付き合いは全くないどころか友人も一人もいなかった。祖母にあったのは夫と二人の子供だけだった。趣味もなかった。あえて言うなら、祖父そのものが祖母の楽しみだった、としか言いようがない。


祖父は若いころ、たいそうもてたようだ。180cmくらいの長身に甘いマスクがあり、ユーモアのセンスもある人だった。今回実家を売り飛ばすにあたり昔の写真をたくさん発掘したが、若くてギラギラしている祖父は、女性に好かれただろうなと思う。

そんな祖父と、祖母はいつも一緒だった。家族に捨てられ友人もいなかった祖母。でも、祖父と一緒にいるだけできっと幸せだったのだろうと思う。

てめえは祖父母が屋台を引退したころ、てめえが小学生の頃から母が家を追い出されてしばらく経った中学3年の頃までと、高校3年で実家に帰った時から大学に入学するまで祖父母と同居した。母が追い出されたあとは、祖母がてめえの弁当を毎日作ってくれた。でかい弁当箱には大きなおにぎりがきっちり6つと、卵焼きと鯖の塩焼き。プラス一品がいつもの弁当の中身だった。卵焼きも鯖の塩焼きもがっつり塩が効いていて、具もなくただ海苔で巻かれただけのおにぎりががっつりとすすんだ。

祖父が母を追い出した日のことは多分死ぬまで忘れないだろう。いつもにこにこと祖父にただ追従していた祖母は、この日だけは祖父に激しく反対した。祖母が祖父に反したのは、てめえはこの日しか知らない。




ここまで書いた。もう疲れた。続きはまた気が向いた時に書くかもしれない。



2015年02月19日(木) 狐の嫁入り。

1356 TOPIXベア2倍ETF 5940円×160株 950400円

を追加購入。これでこのETFは200万近く突っ込んだぜ。ワイルドだろ。なんかチキンレースになりつつあるようにも見えるかもしれないが、これ以上は突っ込まないす。まあ見ててや。

朝日印刷はちょっと買いすぎたと思い直し、2223円で200株売った。1937円のプラスだったがこれは誤差範囲やな。まあ昼飯代が浮いたと思うわ。残り300株は持続する。


今日は朝からお日様の光が燦々と降り注ぐにもかかわらず、じめじめと雨が降り続けるという、なんとも不思議な一日だった。ほんの僅かな時間だけそのような光景が見られることはまま経験するが、一日中というのは全く経験がない。

自宅で洗濯した衣類を持って、祖母の病室に行くとなぜか母と主治医がおり、主治医は困惑する母に一生懸命に病状説明をしていた。患者の息子の、離婚した元嫁に懸命に病状説明する医師というなかなかシュールな状況で、てめえはそれを横目で見ながらまるで何もないかのように衣類を整理してロッカーに入れた。

中略。

ベッドに寝ている祖母と母とてめえ。祖母はこの頃、ほとんど目を覚まさなくなった。呼びかけても反応はない。

「もう、急変しても救命措置はせんほうがええと思うてんねん」
と、てめえは言った。

「それがええ。私の時もそうしてや」
と母も言った。



2015年02月18日(水) 貧乏ヒマなしというかなんというか。

ちょっとまじめに「投資」に取り組んでみようと思い、本日次の銘柄を購入した。

1356 TOPIXベア2倍ETF 6070円×160株 971200円
3951 朝日印刷 2218円×500株 1109000円

しめて約200万ぶちこんだぜ。ワイルドだろ。
こんな買い方してたら「NISAって何?」ってなるわな。
さて、どうなることやら。
上記は、見る人が見れば何を狙っているか一目瞭然。
まじめに取り組むことにしたので、まじめに結果も書いていくつもり。


祖母は施設を(ある意味)追い出されててめえの病院へ逆戻り。正直エンディングは近いと思う。あとはできるだけ、家族のエゴに左右されないようにするしかないと思っている。彼女の晩節はこれ以上汚したくない。

父はある意味絶好調で、昼間預かってもらっている施設から苦情の嵐。「活発すぎるので薬を増やしてみてもいいでしょうか」はい、お願いします。と言ってみる。てめえは基本的に、医学的な判断はよほどクソでない限りお任せすることにしている。患者の家族が介入してきたらろくな結果にならないことは、てめえがさんざん経験している。

でも、父の活発さは薬ではなんともならんと思うぞ。これとは戦うだけ無駄だと思うが、医師が「なんとか頑張っている」という姿を周りに(特に看護婦さんに)見せなければならないことは、てめえが痛いほど知っている。ただし、それはPatient-orientedでもなんでもない。

しかし、「もううちでは見れません」て言われたら、どうしようか。てめえは念願の無職になるか。あるいは父を野に放つか。施設に入れるとしたら、そのランニングコストはどうするか。そして父は産みの母のことは全く興味が無いらしい。それも悲しいわ。現在祖母と最も関わっているのは、祖母がお腹を痛めて産んだ子ではなく、祖母の息子の子(てめえ)と、息子の元妻(てめえの母親)だというのは一体どういうことなんだろうか。


さっそく確定申告を終えた。申告会場は、その場で申告書を作成している人が殆どで、てめえみたいに自分で作成して印刷して持ち込んだ人はほとんどいなかった。お陰で提出するだけで確定申告はめでたく終了した。還付金は結構な額になるので、がっつり春のボーナスになる。いやあ税金対策しているかいがあるわほんま。

確定拠出年金が開始になった。これで来年の還付金は更に増えるだろう。



2015年01月01日(木) 今年の目標。

1.ファイナンシャルプランナー(FP)の資格をゲットする。

ファイナンシャルプランナーの資格としては、国家資格としてのFP1−3級と、民間資格としてのCFP及びAFPがある。

この中で、全くの未経験者がアプローチできるのはFP3級だけ。他は「2年以上の業務経験」などが問われるので、てめえとしてはまずはFP3級を取る。3級に合格すれば2級の受験資格が得られるし、2級を取ればAFPにアプローチできる。

ただし、FP1級及びCFPは、資格を持った上での実務経験が必要なので、開業しない限り難しそうだ。てめえはFPで食べていくつもりは今のところないので、今年の目標はFP2級あるいはAFPを取るところまでにしておこうと思っている。


2.総合内科専門医を取る。

内科系の専門医資格の中では最も困難な資格だと思っている。範囲も全内科分野に広がっており、専門分野以外に常に触れていないと非常に厳しい。できるだけ早めに準備を始めたいと思う。

一旦取得すると資格の維持も面倒くさいので取る気はなかったのだが、いろいろ事情があって気が変わった。やるからには一発で合格するちゅもり(「つもり」と入れようとしたら手が滑った笑。「T」「Y」「U」が並んでるのが悪いのよ。笑。面白いのでこのままで)。



2014年12月28日(日) 麻黄湯マジック2

続きを書こうとしていると瞬く間に時間が立ってしまったので、一気に省略。


3日目

朝起床すると、解熱していた。発汗がものすごく、着ていた服だけではなく布団までビショビショで、服と布団を取り替えた。汗が出て解熱したということは、麻黄湯の効果が十分に発揮されたということだ。

そんなわけで、麻黄湯の服用を中止した。結局麻黄湯は五包内服しただけに終わった。残りは次回発熱した時のために置いておくことにした。

体はずいぶんと楽になったがまだ食欲はない。体重も結構減っただろうが、測る気力もわかない。

昼から今度は猛烈な下痢になった。知識としては、インフルエンザで腹部症状が出現することは知っていたが、知っているのと経験するのはずいぶんと違う。

それと、強烈な筋肉痛は数日続いた。あの痛みは忘れられないし、貴重な経験となったと思う。


臥床中は勉強する気にもならず、ただたくさん本を読んだ。本っていうか、主に漫画。


「球道くん」全19巻

いつの日か読もうと思い大人買いしたままだった漫画。水島新司の漫画は大好きだが、球道くんは未読だった。そんなわけで今回初めて読んだのだが、1巻を読み始めたら19巻最後まで一気に読み通してしまった。

水島新司は野球漫画をもっぱら書いている作家だが、彼の漫画の特徴は「スポ根」ではないところ。そして、特に「大甲子園」以前の漫画は、野球を扱っているように見せてその実は「貧困」を扱っている作品がとても多い。球道くんも単純なスポ根漫画ではなく、その世界が非常に面白かった。




「大甲子園」全28巻

引き続き水島新司で大甲子園。彼の集大成の作品で、球道くんに引き続き読んだ。

水島新司の高校野球を扱った作品は、「ドカベン」「球道くん」「ダントツ」「一球さん」などなどたくさんあるが、実はすべて高校3年生の春まででストーリーが終わっている。

それはなぜか。まあ、ここまで書いてしまえば理由は明白だが、彼の思い入れのあるキャラクターを全て一つの作品で、しかも高校3年生の夏の甲子園でまとめて戦わせようという、まあ言ってしまえば男の夢みたいなもので。それがこの「大甲子園」。上記のキャラをガチで戦わせた結果、果たして誰が優勝するのか。作者としては最高に楽しかっただろうな。




「聲の形」

kindleで大人買い。読みたいときにすぐに購入できるなんて、なんて素敵な時代になったことだろうか。感想はまた今度。




「おしゃべりは朝ごはんのあとで」

朝ごはんは食べない自分だが、人が食べているのを読むのが大好き。そういう意味で結構楽しく読んだ。





「弾左衛門とその時代」

部落問題に対する勉強はてめえの人生のテーマだが、あらためて弾左衛門についてのお勉強。今度東京に行った際には浅草に行って、弾左衛門の軌跡に触れてみたい。





漫画ばかり書いたが他にも本はたくさん読んだわけで、なんだかもうどうでも良くなってきたのでこの辺りで終わり。てめえはたくさん写真集も持っているが、それらも読み返したり。要は頭をあまり使わない本を読んで、がっつりリフレッシュしたわ。


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