解放区

2014年12月10日(水) 備忘録

ほんまにもう、どうしたらいいのかわかりません、とてめえの後輩は泣きそうになりながら言った。入院している患者さんの治療についてである。

今まで断続的に相談を受けていて、できる限りの治療オプションは提案していた。空き時間に文献を漁り、お互いの考えをつき合わせながら治療方針を微妙に修正する。

しかし患者さんの病勢は強かった。どんな治療をしても反応しない上に、どんどん弱っていく。主治医である彼は常に「自分の力量が足りないのでは」「治療方針が間違っているのでは」という強迫観念に駆られていた。

いや、そうじゃないんだよ。と、てめえは言いたかった。言いたかったが、あえてその言葉は封印していた。ここはとことん悩んで欲しい。そして考えて欲しい。この経験は、必ず彼の医師人生にプラスになるはずだ。

そんなわけで、一緒にとことん悩んだ。だが、てめえは結論が見えていた。この患者さんは、どれだけ力を尽くしてもおそらく助からないのだ。

「この人はもう助からないと思うよ」というのはとても簡単だが、そう考えるに至ったてめえの思考回路や経験は、残念ながら彼と共有することはできない。てめえも駆け出しの時は、指導医が最も簡単に治療を投げ出すことに疑問を感じていた。もちろん、今はそうした指導医の気持ちが痛いほどにわかる。

病棟のナースは「この患者さんに追加の検査をする意義はどこにあるのですか?」と彼に詰め寄った。そのエピソードを聞いて、てめえはようやく彼に話をすることにした。てめえは、そう言わざるを得なかったナースの気持ちも、また治療を諦めきれない彼の気持ちも痛いほどよく分かる。

「もう、他に手段はないのですか。ただ悪化していくのを見ているだけというのは耐えられません。」
「気持ちはよく分かる。わかるよ。でも、もうこの患者さんは、おそらく一線を越えてしまった。残念ながら医学というのは敗北の学問で、どの患者さんも最後には必ず治療に全く反応しない時期が来て、亡くなる。これは必然やねん。この患者さんもその時期が来たのだと思う。これからはそれを家族に受け入れてもらうところなのちゃうかな」

そう、医学の、特に内科は必ず最後には亡くなられる。付き合いの長い患者さんが目の前で亡くなっていくのを見るのは正直とてもつらい。でも、それは必然なのだ。そしてこの仕事をしている限り、その運命から逃れることはできない。

病状が悪化したら大きな病院に送り、患者さんが亡くなったことを知らない開業医も多いが、病院に勤務している限りその運命からは逃れることはできない。

とりあえず二人で家族さんに病状説明をした。手は尽くしたが、残念ながら病勢は強く、これ以上の回復は望めない、ということ。

「あと、どれくらいでしょうか」
と娘さんが聞いた。
「それは…」
と絶句した彼の代わりに、てめえが応えた。
「おそらく、あと二日くらいでしょう」


その話をしてからきっかり二日後に、患者さんは亡くなった。後輩の初めての「死亡症例」だった。「モニター上心電図がフラットになりました」との電話が入り、一緒に死亡宣告に行った。

ベッドの上で、患者さんは安らかな表情をされていた。後輩に促し、かれはぎこちなく心音がないこと、呼吸音がないことを聴診器で確認し、最後に指で眼瞼を開いて瞳孔が開ききっていることを確認した。それから時計を確認し、死亡宣告を行った。これから長く続く彼の医師人生での初めての死亡宣告 となった。

それから彼と二人で死亡診断書を書いた。あのモノクロな用紙はどうしても気が滅入る。その間にナースが体を清めてくれる。

「なにがあかんかったのでしょうかね」
と、彼は無念そうにてめえに尋ねた。
「あかんかった事はないで。君は十分患者さんに尽くした。最善を尽くした結果やと思う」
と、てめえは言った。

それからご家族さんと話をした。

「まったくこちら側の力が足りず、残念でした」
と、てめえらは頭を垂れた。

「いえ、よくしてもらいました。正直、家族から見ても、もうあかんという覚悟はしてました。でも、主治医の先生は、まるで自分の家族のように悩んでいろいろ治療してくれた。だからね、ちょっとだけ期待したんですよ、もしかしたら少しでもよくなってくれるかもって…。だから、本当に感謝しています。ありがとうございました」
と、娘さんも頭を垂れた。



2014年12月08日(月) ニューオーリンズ

自分の手元に捨てられないでおいてある旅行ガイド「ニューオーリンズ 2008年度版」。旅行で行くはずだった場所は、結局行けないまま人生の宿題となってしまった。

社会人になってから、休暇の度に海外旅行に行っていた。台湾、カナダ、ベトナム、ラオス、中国、などなど。そして、その年はアメリカのニューオーリンズに行くと決めていた。

アメリカ合衆国ルイジアナ州ニューオーリンズ。アメリカ南部に位置する街で、長い間フランス領であった街。そしてジャズが生まれた街。黒人のソウルフードが息衝く街。そして、本場のケイジャン料理が食べたかった。


てめえが住んでいた沖縄県名護市東江の海岸沿いにケイジャン料理の店があった。仕事を終えてそこでよく一杯飲んだものだった。それはまさにニューオーリンズのソウルフードで、いつもこんな沖縄の方田舎のまちの外れによくもこんな店があったものだと感心していた。

ご主人はニューオーリンズの出身で、奥さんが沖縄の方ということで店を出していたようだ。

名護の街はとても面白い街だった。沖縄っぽくて、沖縄っぽくない。沖縄にある「市」の中で、唯一と言っていいほど市街地に米軍基地がない街だった。だからアメリカナイズされている部分はほぼなかった。その代わり、昔ながらの沖縄が残っていた。

その一方で、ケイジャン料理の店もあるくらいな多様さがあった。小さな街にもかかわらず東京で修行してきた本格的な寿司屋が複数あったり、台湾人の経営する本格的な中華料理屋があったり、一見さんお断りの看板のないイタリアンがあったりケイジャン料理もあったり東西南北のインド料理を網羅したインド料理屋があったりととても面白い街だった。

その一方であぐー料理専門店もあり。あぐーは沖縄の代表的な豚と認識されているが、それを保存しブランド化したのは名護である。

麺好きとして忘れられないのは、名護のバスターミナルの近くに「香菜ラーメン」を売りにしたラーメン屋があったこと。香菜の香りを生かしたラーメンは好き嫌いを選ぶと思うが、これが沖縄の一地方都市で味わえるとは本当に感動したわ。

話が飛びに飛んでしまった。というわけで、元に戻る。


ニューオーリンズに行けなかったのは、親父が倒れたからである。まったく外国旅行どころではなくなってしまったし、今後も行けるかどうかわからなくなった。まあ、それも人生やな。でもいつの日か行ってみたいと思うぜ。





てめえの大好きな曲を、ボガンボスとソウルフラワーユニオンが演奏している。正直これは神。何が神なのかは、また今度。



2014年12月05日(金) 老後資金の追記

今日になって閃いたけど、単純積み立てをNISA口座で行うと税金が全くかからないので、これが一番お得かも。これを4として、まとめておく。


1。金融商品としての「個人年金」

メリット:掛け金を所得から控除できるので、税金対策になる。
デメリット:リターンが少なすぎ。昨日は書かなかったが、20年後に11%のリターンだと、間違いなく物価上昇に劣るので実質的には大きくマイナスになる。20年前の100万円と今の100万円が価値が異なるのと同様で、物価上昇率を考慮しないと騙されそうになる。同様の理由で、学資保険などの金融商品もお勧めできない。

2。単純に投資信託を積み立てる

メリット:リターンはそれなりに期待できる。
デメリット:掛け金を所得から控除できないので、税金対策にはならない。また、解約時に約20%の税金がかかる。

3。確定拠出年金で投資信託積み立て

メリット:リターンも期待できる上に、税金対策にもなる。
デメリット:はほとんどない。昨日は書かなかったが、何があっても60歳までは解約できないことくらい。ただしこれは通常の年金もそうなので、年金と割り切るのであればまったくデメリットにならない。急遽資金が必要になった時は困るかも。

4。NISA口座で投資信託を積み立てる

メリット:リターンは期待でき、税金も払わなくて良い。大きなお金が急遽必要になった場合、いつでも解約可能。
デメリット:掛け金を所得から控除できないので、税金対策にはならない。


こうまとめてしまうと、1と2はないわ。3と4は甲乙つけがたいと思う。

ので、老後の資金対策としては、割り当てる資金を2分割して、それぞれ3と4にするのがいいだろう。大病したり失職して大きな資金が必要になった場合は、躊躇なく4を解約すれば良いのだから。

というわけで、現在2を選択しているてめえは今後3と4の併用にします。そんなわけで、さっそくSBI証券に確定拠出年金の申し込みをしたぜ。NISA口座はどこで作ろうかな・・・。



2014年12月04日(木) 老後資金の作り方。

不本意ながら不動産の売り買いをしたり、そのため自分でも予想していなかった「副業持ち」になってしまった結果として毎年確定申告をしたり、いろいろとお金のことについて自分なりに勉強してきた。その中の一つに「老後資金について」がある。

自分なりに老後資金の事について勉強した結果、自分なりの結論は「投資信託のインデックス型をひたすら積み立て続ける。可能であれば確定拠出年金で」であった。それが本当に正しいのかどうか、FPの試験勉強をしている手前ちょっと検証してみる。

ただし、FPのテキスト的にはまだそこまで到達しておらず、きちんと勉強していないことをここに書き残しておく。

検証前のてめえの予想は、ぶっちぎりで投資信託の積み立て(そしておそらく確定拠出年金)の勝ちであるが、さてどうなることやら。



老後資金で最も汎用されているのは各保険会社の金融商品である「個人年金」だろう。この個人年金と、単純な投資信託の積立と、これを確定拠出年金で運用した場合について計算してみる。

条件が揃うように、40歳から60歳まで毎月2万円の積み立てを行い、60歳から10年に分けて受け取るものとする。

1。金融商品としての「個人年金の場合」

自分で調べた限りでは、最も受取額の多い個人年金は「東京海上日動あんしん生命の個人年金保険」であった。

毎月2万円を積み立てると1年で24万円、20年で480万円である。そしてこの個人年金の受け取り額は総額5336200円。トータルリターンは11.1%で、プラス536200円となる。

1年あたりの受け取り額は533620円、月あたりでは44468円となる。

受け取る時には税金が発生する。この場合、「雑所得」になるので、25万円を控除した顎の10.21%の税金が発生する。

面倒臭いので計算式は書かないが、毎年の必要経費は480000円となり、雑所得は56200円。この額は25万円に遠く及ばないので、結果として税金はかからない(逆に言うと、毎月の積み立て額を増やすと税金がかかってくる可能性がある)。

したがって、この場合の月あたりの受け取り額は44468円である。

あとは計算できないメリットとして、積み立て中に積み立て額を控除できるということがあるが、これは確定拠出年金の場合も同様である。

2。単純に投資信託を積み立てる場合

てめえが粛々と積み立てている「先進国株式インデックス」は、直近の1年の利率は26.81%であった。「いやこの1年は好景気だったからだろ」という批判もあると思うので、ここ5年の平均を見てみると年平均17.49%であった。ちなみに、てめえが積み立てている間の平均は年平均19.8%。

さらに甘く見て、年15%で計算してみる。もう気づかれたかと思うが、たった1年で上記の個人年金のトータルリターンをすでに超えている。

楽天証券の積み立てシミュレーションにこれを入れると、積立総額は29944790円。1の場合の約5.6倍となる。




仮に一括で受け取ったとすると、この総額に20.315%の税金がかかるので、この税金分を差っ引くと受け取り総額は23861506円となる。1年あたりは2386150円で、ひと月あたり198845円。

しかも、一括でなく、月あたり分を一月ごとに解約していくと、残金はさらに利率がかかるのでもらえる額はさらに増える。

1との違いは、積み立て中に積み立てている分を控除できないということ。ただし、税金の控除分など問題にならないくらいのリターンであることは言うまでもなさそうだ。

3。投信積み立てを確定拠出年金で行う場合

ほぼ2に準じるが、この場合「雑所得」になるので税率が10.21%となり、その分月あたりの分配金は増える。

しかも確定拠出年金の場合は積み立て金を所得税から控除できるので、毎年の税金対策にも役立つ。


というわけで、結論は「1<<<<<<<<2<<3」となった。てめえはこの結果を受けて、さっさと確定拠出年金の申し込みをすることにする。


おまけ

さすがに年平均15%をそのまま信用していいものかという気がしてきた。そんなわけで、ダウ平均で別のシミュレーションをしてみる。

ダウ平均は、この20年で約4.65倍になった。年平均の増加率は約8%である。というわけで、この8%でシミュレーションしてみる。

この場合、最終積み立て金額は11780408円となる。それでも積み立て総額に比して2.45倍。1の場合の受取額の倍はありそうだ。



2014年11月23日(日) ハルオ君とタカシ君の物語。

ハルオ君はモンゴルの首都ウランバートルの出身で、同郷の先輩ショウ君のお父さんに柔道を習っていた。その才能をショウ君のお父さんに認められたハルオ君は、息子のショウ君と同じように日本で相撲の道に入ることを勧められる。

タカシ君はモンゴル国の遊牧民で、ウランバートルから400km以上離れた草原でヤギやヒツジ達と一緒に育った。小さな頃から馬に乗って草原を駆け回り、馬の乳を2リットル、毎日欠かさず飲んだ。

のびのびと体も大きく育ったタカシ君は草原の相撲大会で優勝してその才能を認められ、はるばるウランバートルに渡ってショウ君のお父さんが主催する柔道教室に学び、そこで2歳上のハルオ君と出会った。

ショウ君のお父さんの柔道教室で、二人は日本の高校の相撲部にスカウトされる。そして、ハルオ君が高校3年生でタカシ君が高校1年生の時に、二人は同じ飛行機に乗り日本の鳥取県にある高校に一緒に留学した。

同じモンゴルからの留学生だった二人は、高校の寮も同じ部屋だった。そしてハルオ君が高校3年生の時、団体戦で見事日本一に輝いた。

翌年ハルオ君は高校を卒業し、そのままプロの道へと進んだ。前相撲から取り始めたハルオ君は、その後序の口、序二段、三段目、幕下と順調に昇進を重ね、大相撲に入ってから3年目の秋に十両への昇進を果たす。十両では昇進した場所でいきなり優勝し、たったの3場所で十両から幕内へと駆け上がった。それが、今年の春の話。


一方ハルオ君が卒業したあとのタカシ君は高校2年生、3年生と順調にタイトルを獲得。卒業後すぐにプロへの道を目指すこともできたが、あえて大相撲入りせずに母校に残りコーチとなった。

鳥取に残ったタカシ君は後進への指導もしながら地道に練習を続け、アマチュアの大会で個人優勝し日本一となった。

そのため、特例として序の口と序二段、三段目をすっ飛ばしていきなり幕下15枚目付け出しでプロデビューとなった。これが今年の1月の話。

タカシ君は幕下をたったの2場所で駆け抜け、ハルオ君と同じく十両に昇進していきなり優勝し、これまたたったの2場所で幕内へと駆け上がった。

幕内に入って東前頭10枚目に位置したタカシ君は、初入幕でいきなり優勝争いを演じた。最後まで優勝を争ったのは大横綱の白鵬。かつてウランバートルで柔道を教わったお父さんの息子、ショウ(翔)君だった。

ハルオくんも順調に昇進を続けていたのだが、タカシ君がいきなり優勝争いを演じてしまったため、とうとう地位が逆転してしまった。

かたや真っ当な出世街道を歩いてきたハルオ君と、高校卒業後はいったん街道からは外れるが、その後昇竜の如く駆け上がってきたタカシ君。

この二人が、とうとう今場所のしかも千秋楽で、大相撲入り後初めて激突した。おそらく今後の相撲界を、彼ら二人は背負っていくことになるであろうし、今後数々の名勝負を見せてくれるに違いない。その初対決が今場所であった。

ウランバートルの柔道場で出会って一緒に来日し、同じ高校に通って寮の部屋まで一緒だった二人。単なる高校の先輩後輩の対戦ではない。二人とも、今後大関から横綱へと駆け上がっていくだろう。

相撲は2分を超える大熱戦となった。どちらが勝ってもおかしくない勝負は、勝ち越しをかけた先輩であるハルオ君(照ノ富士)に軍配が上がった。これからの名勝負の始まりを感じさせる素晴らしい相撲だった。



ハルオ君:照ノ富士春雄(本名ガントルガ・ガンエルデネ)
タカシ君:逸ノ城 駿(本名アルタンホヤグ・イチンノロブ)
ショウ君:白鵬 翔(本名ムンフバティーン・ダワージャルガル)


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