解放区

2014年02月21日(金) リンダリンダリンダ

映画「リンダリンダリンダ」を観た。いやあ、若いっていいね。高校生の頃なんて恥ずかしいだけだし戻りたいとは全く思わないけど、いつまでも懐かしい。若気の至りもすべて含めて。


てめえが高校三年生の時。てめえの学校はとびっきりのアホ学校だった(今はさらに磨きがかかっている)にもかかわらず、三年生は「受験に差し障るから」という極めて下らない理由で文化祭は不参加だった。

正直な話、文化祭なんて下らないと思っていたのだが、上記の理由で参加しないというのには全く納得できなかった。そもそも受験する人数がどれだけいるっちゅうねんアホ校。だいたい、アホな学校こそそう言った余計な事をしたがる嫌いがあると思う。いわゆる進学校は、そういう行事も全力で楽しむよ。そういうアホ校の必死さはちょっと残念だし、自分の子供には同じ思いをさせたくないのでアホ校に入ってほしくないのはこれ本音。

同様の理由で修学旅行は1年生で行われたが、こちらもアホらしくててめえは参加せず、積み立てていた旅費が帰って来た母は「まあ好きにしなさい」と言いつつ少し喜んだ。もちろん母を喜ばすために不参加したわけでは決してない。修学旅行に参加しなかったのは、それがスキー旅行だったからということも関係していたが、それはまた別の話。


そんなわけで、てめえは文化祭に個人参加することになった。てめえの友人も同様の理由で個人参加した。彼は何人か友人を集めて自分で脚本を書き、たいそう面白い演劇を演じた。そんな彼は、その後そのメンバーで劇団を立ち上げたりとかその他いろいろあって今は売れない映画監督をしている。


てめえは他の人を集める才覚もなく、一人で参加することにした。簡単なオーディションもあったような気もするが、容易に通ったところを見ると形だけだったのだろう。


文化祭の当日。てめえはこの日のため(と言うのは嘘で、実はたまたま別の賭けに敗れて頭を丸めた笑)にきれいに髪を剃り上げ、愛用のK.Yairiのギターを持って学校に向かった。

それまではどちらかと言うと長髪で、長い髪を頭のてっぺんで結んで「パイナップルヘッド!」などと若気の至りでは済まないくらいのアホな事をしていたてめえが頭をつるんつるんに剃ったのを見てクラスメートたちはみな等しく驚いていたが、そんなことはどうでも良い。

三年生は文化祭に不参加ではあるが、なぜか登校して教室での待機となっていた。アホ校なので当然勉強しているものなど居らず、みんな退屈そうにマンガを読んだりしていた。どう見ても人生の無駄遣いだった。

クラスで一人だけ個人参加を決めたてめえにクラスメートは冷たかった。まあそんなこともどうでも良い。

実は「クラスで文化祭に参加しようや、内容は何でもいいやん。受験のために不参加ってアホすぎるやろ」という声をささやかながら上げてはみたのだが、さすがアホ校。今思うと単なるうざい奴だったのだろう、クラス会で散々罵倒された揚句、賛成2・反対45の圧倒的大差で否決された。ちなみにてめえ以外の賛成票が誰だったのかは知らないし、今後も知ることはないだろうと思う。


時間になり、てめえはステージに上った。どうせ誰も来ねえだろう、それもパンクロックらしくていいや、なんて思っていたのだが、実際はあり得ないくらいの観客がステージ前に集まっており、てめえの登場と共に一斉に歓声を上がった。

ステージ前に入りきらなかった高校生は渡り廊下にも溢れ、てめえがステージに上がった瞬間にたちまち渡り廊下にウエーブが生まれ、てめえの下の名前を呼ぶ黄色い歓声が上がった。これは本当に本当の話。学校では個性的過ぎたのか全く孤立していてクソ面白くなかったてめえの高校生活の最後に奇跡が起きたのだ。ちなみにその後奇跡が持続しなかったのはこれまた別の話。

ステージを始める前にふと空を見上げた。澄み渡った秋の空は、どこまでも青かった。

てめえは一呼吸して「A」のコードを押さえ、一気にギターの弦を弾いた。








2014年02月20日(木) 久しぶりに株日記とか。

  20歳になるまでに、共産主義に夢を見ない人は愚かである。
  20歳を過ぎても、共産主義に夢を見ている人は愚かである。


という、誰が言ったか知らない名言がある。とするとてめえの周りは愚か者ばかりですね。笑 そんなわけで日常生活では株の話など出来ず。こっそり空き時間にあいぽんで取引しているが、本当に便利な時代になったと思う。



株価は最近乱高下が続くが、てめえはただ静観するのみ。キヤノンが安くなったら買い増す。

キヤノン。いくらなんでも安すぎでしょう。今日も53円下げて3087円。一株当たりの配当が130円で、この会社は配当指向性が高いので、今の業績が続く限り130円以下の配当は考えられない。有利子負債もほとんどなく、むしろ利益剰余金がたんまりあるので仮に赤が出たとしても配当を削るとも考えられない。

しかも、キヤノンが赤を出すなんて考えられない。いくらスマホで写真が撮れると言っても、一眼レフを持っているような層はキヤノンやニコンなどのカメラを今までと変わらず買うだろう。

ちょっと計算してみる。今日の株価で計算すると、配当が130円として年利4.2%に相当する。4.2%ですよ奥さん。銀行にほぼゼロ金利で預けているくらいならキヤノン買ったらどうですか?

しかも昨日、キヤノンは自社株買いを発表した。つまり、てめえでてめえの株を買うということだ。これが材料視されて昨日は株価が上昇したが、今日は元に戻ってしまった。何でみんな買わないのか不思議だ。

てめえは先日、キヤノンが2900円近くまで下げた時に全力で買いに行ったが、ちょっとした手違いで買えなかった。今思っても残念だが、今後さらに相場が悪化してまた下げるようなら全力で買いに行くつもり。

相場が下がるとあたふたする人が多いが、基本的に「買って持っているだけ、あとは配当と株主優待を楽しむ」てめえは、むしろ下げたときの方がわくわくする。だって、安くで買えるのに。株価が下がったからと言って、それが相場に連動しているだけやったら配当は下がらんで。短期的な思惑で売り買いしている人の動きに惑わされたらあかんな。



森さん、失言と言うレベルではなくもうこの人、日本国の害でしかないと思う。さっさと引っこんでほしい。


今日は午後から学生の相手。この学生さんは彼が入学当時からの付き合いがあり、今までは飲みに行ったりしたことはあったがてめえが働いているところを見てもらうのは初めて。「アツいですね!」と言う有り難い感想を頂いたが、そうだろうか。単に遊んでいる時と仕事している時のギャップだと思うよ。しかし母校の話を聞かせてもらったのは面白かった。久しぶりにパワーを頂いたような気がするぜ。



2014年02月19日(水) ファングーラオ午後10時

ベトナム・ホーチミン市にあるファングーラオ通り近くの安宿に部屋をとった私は、とりあえず腹を満たすために外に出た。そう言えば、格安航空会社のチケットを握りしめて日本を発ってから、全く何も口にしていなかったのだ。

外に出ると亜熱帯特有の臭気を含んだ生暖かい空気が体に纏う。さっきも同じ道を通ってこの宿に来たはずなのだが、いくら安宿と言っても申し訳程度の空調もあり、いったんシャワーを浴びてさっぱりした身にはほとんど時間が経っていないとはいえこの生暖かい空気は懐かしく感じられた。宿の前で雄一と落ち合い、二人で歩き始めた。

通りを歩く。通りの歩道の端に、何人かの老人がぽつりぽつりと座っていた。よく見ると、彼らのほとんどは体の一部が欠けていた。両側の大腿から先が欠損している者、片方の腕が肩関節部分から欠損している者。

共通しているのはみな一様に汚れた衣を体に着け、自分の座っている場所の前に、無造作に汚れた帽子を逆さまに置いていることだった。

「彼らはベトナム戦争で戦った傷痍軍人やねん」

と、雄一がひとり言のように呟いた。彼とはタンソンニャット空港のバス乗り場で知り合ったばかりだったが、バスを待つ間に少し話をしてみて、私は彼とはウマが合いそうだと勝手に感じていた。私は初めてのベトナムだったが、彼はベトナムが好きで休暇の度にベトナムに来ているらしい。彼の生まれ育った大阪にも似た猥雑なサイゴンが好きなのだと、彼は知り合ったばかりの空港で私にはにかみながら言った。

「国の政策として、傷痍軍人は保護されているはずやねんけどな。もしかしたらアメリカについた南ベトナム軍の軍人は、全く保護がないのかもしれんな。そうか、きっとそうやわ。今までこんな簡単な事にも気が付かへんかったわ」

と、彼は私の方を見ずに、再びひとり言のように呟いた。

傷痍軍人の横では、米軍兵がベトナムに残して言ったというZIPPOを売る少年がいた。ホンマかいな、そんな前のものが残っているはずはないんや、でもそう言って売った方が間違いなく売れるからな、ところであっち側にあるあの屋台どうや、ビールもあるみたいやしあっこに入ろうや、と彼は言った。


屋台と言っても小さなガスコンロが一つ二つあるだけの店で、歩道から車道にはみ出すような形でプラスチックのテーブルと椅子が無造作に並べられているだけだった。店の前にはいろんな種類の貝が並べられており、その貝を茹でているだけの店のようだった。

空いた椅子に座り、ガスコンロでせっせと貝を茹でている主人に、ビアプリーズと雄一は叫んだ。ずっとコンロに乗った鍋で貝の茹で具合を見極めるのに忙しそうだった主人は、一瞬だけこちらを向き、虫歯だらけの歯を見せてにっと笑った。

ついでに皿の上に乗った貝を適当に選び、主人に渡す。注文を終えた私たちは、すぐに運ばれてきたビールで乾杯した。ビールの中にはやや大ぶりな氷がいくつか沈んでいた。

「ストリートには冷蔵庫あらへんからな。これ、ベトナムの水道の水やで、腹壊さんように気ぃ付けや」
と雄一は笑った。気をつけるのなら飲まないに越したことはないが、そう言う話ではないよな、と私は笑って中途半端に冷えた、生ぬるいビールを一気に喉に流し込んだ。

ベトナムでの初日の夜が始まった。



2014年02月18日(火) 既視感

目取真俊の「水滴」を読んだ。

この小説は、出てすぐのてめえが大学生の頃に一度読んだことがある。その時は「まあ面白いかな」くらいの感想しか持たなかったのだが、今回読み返してかつての自分を恥じた。正直、人生の中で、短編としては三本の指に入るくらい感銘を受けた。

これは「沖縄」を経験したからということもあるのだろうと思う。「呆気(あっき)さみよー!」という言葉の意味がこれほど深く入ってくるとは。そして物語の深さ。本当に、こんな小説が書けたらいいね。







「舟を編む」を映画でみた。正直detailがいまいち。原作を読んだらまた違う感想になるのかもしれないが、映画としては脚本が圧倒的に駄目だと思う。ただし音楽は素晴らしかった。あと、辞書を扱うと言うのも着眼点としては面白いと思った。なんて上から目線ですみません。


どうでもいいがてめえの好きな辞書は「新明解」でございます。辞書とは思えないこの切れ味が素晴らしい。


れんあい【恋愛】 
 特定の異性に特別の愛情をいだいて、二人だけで一緒に居たい、出来るなら合体したいという気持ちを持ちながら、それが、常にはかなえられないで、ひどく心を苦しめる・(まれにかなえられて歓喜する)状態 (第4版)






「台北の朝、僕は恋をする(一頁台北)」を映画でみた。台湾行きが決まってまあ正直、タイトルだけで観てしまった。「台湾人気質」を上手く表現していたのと、郭采潔演じる女の子の一途さが印象に残った。

台湾の中国人は、大陸の中国人とは異なり殺伐さがなく、まったりしているのは、日本であった時代があったことと無関係ではないと思う。






既視感を久しぶりに感じた。

かつて「青い影」で感じた、あの既視感。

立命館大学広小路キャンパス、河原町荒神口にあったジャズ喫茶「しあんくれーる」。てめえは間違いなくそこにいたような気がする。








2014年02月17日(月) スッポンの夜。

友人NO氏と晩御飯。この日のために、あらかじめ親父を預ける予定を入れ晩御飯に行った。

彼はこの春から東京に栄転する。一般的に言う「出世」であり、おそらく今後京都に帰ってくることはないだろうと思う。是非彼には日本のために偉くなってほしいと願う。てめえとは違って。

そんなわけで、東京に行く前に是非晩御飯を食べようと言う話になったのだが、彼の希望でスッポン料理を食べに行くことになった。その店には彼は以前に食べに行ったことがあり、そしてとんでもなく旨かったらしい。


事前に予約して店に向かった。まずはビールで乾杯し、日本酒でスッポンを頂いた。刺身から始まりまる鍋、そして雑炊まで本当に堪能しました。



飲み物メニューの中に「にがたま酒」と言うのがあった。これなんですか? と訪ねたところ、スッポンの胆嚢を焼酎に漬け込んだ酒で、苦すぎておすすめしません笑と言われた。「正直、罰ゲームレベルですわ」と店の主人は笑って言った。

雑炊を食べ終わる頃、彼は言った。「アレ、行ってみませんか?」と。そう、アレと言えば罰ゲームレベルの酒しかないわけで、さっそく注文。店の方も「まじですか! 行っときますか!」などと言いながら嬉々としてお酒を運んでくる。


お酒の見た目は真っ黒で、中には本物のすっぽんの胆嚢が一つ沈んでいる。胆嚢は絶対に噛んだらあきまへんえ、そのままごくりと飲み込んでおくれやす、と語ったお店の方の京都弁は、やたらと生々しく感じた。

さっそく彼から飲む。と言うより舐める。苦っ、と彼は顔を顰めた。確かにこれは罰ゲームやわと彼は笑う。次はもちろんてめえの番で、ちみりと口に含むと確かに苦いが思ったほどではないか。こちらが構えすぎたきらいはあるだろう。

これ飲んだら二日酔いしまへんのえ。朝も目覚ましより早く起きて、体が朝からぽかぽかですわ、と店の方は笑った。

さて胆嚢だけ残ってしまった。これはもちろんてめえに行けということなので、躊躇わずてめえは胆嚢を口に含んだ。絶対に噛んだらあきまへんえ! と言う店の方の期待通り、てめえはそれをがりりと噛んだ。



最後のデザートも頂き、店の前まで丁寧に送って頂き、とてもいい気分で二人京の街を歩いた。

とてもいい気分だったのはほんの少しだった。店を出て数歩、突然の嘔気がてめえを襲い、我慢する間もなくてめえは嘔吐した。道端の排水溝に、震えるはらわたからありったけの内容物を吐瀉した。

正直恥ずかしくて涙が出た。腸炎以外で、食事後に嘔吐するなんて何年振りだろうか。酒飲みとして最も恥ずべき行為とは認識していたが、生理現象としては止まらない。胃の中が空っぽになるまでてめえは憚ることなく吐き続けた。

気が付くと、友人がてめえにタオルを差し出していた。なんということでしょう。てめえがまるでこうなることを予想していたかのように、タオルが差し出されたのだ。何でそんなものを持っているのか、とてめえは尋ねたが、私にもわかりませんが、なぜかかばんの中に入っていましたと彼は言った。


てめえの嘔吐が落ち着いてから、二人で再び京の街を歩いた。


「胆嚢じゃないですかね」と、突然彼は言った。同じものを食べて片方だけ嘔吐すると言うことは。食べた物の違いと言えば。

なるほど、そうかもしれんね。きっとてめえのはらわたは、スッポンの胆嚢を拒否したんだろうね。吐くだけ吐いてすっきりしたてめえはそう言って笑った。


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