<詭弁の見抜き方>
真っ当な意見と見せかけ、実は詭弁で論点をはぐらかす輩が多々おります。 皆様も以下の「詭弁の特徴」を覚え、そういう輩を完膚亡きまでに叩き潰しましよう。
例:「犬ははたして哺乳類か」という議論をしている場合 あなたが「犬は哺乳類としての条件を満たしている」と言ったのに対して 否定論者が…
1:事実に対して仮定を持ち出す 「犬は子供を産むが、もし卵を生む犬がいたらどうだろうか?」 2:ごくまれな反例をとりあげる 「だが、尻尾が2本ある犬が生まれることもある」 3:自分に有利な将来像を予想する 「何年か後、犬に羽が生えないという保証は誰にもできない」 4:主観で決め付ける 「犬自身が哺乳類であることを望むわけがない」 5:資料を示さず自論が支持されていると言う 「世界では、犬は哺乳類ではないという見方が一般的だ」 6:一見関係ありそうで関係ない話を始める 「ところで、カモノハシは卵を産むのを知っているか?」 7:陰謀であると力説する 「それは、ユダヤ資本とCIAとモサドが画策した陰謀だ」 8:知能障害を起こす 「犬にマジになってやんの、バーカバーカ」
http://natto.2ch.net/test/read.cgi/mass/1023602637/635
金曜日にNO氏らと飲んだ。楽しかった。茄子を焼いたもの、海老のアヒージョ、長芋のたんざく、もやにら炒めを作った。NO氏が持ち込んだ大量のするめを食べた。
気が付いたら寝ていた。彼らが帰るときに何とか起きて見送り、速攻で寝た。
翌日の勉強会は、皆さん遅刻。笑った。
今日から7月。早いね。
父の日、ですか。
いつか祝ってもらえる日が来るのだろうか。 自分にその資格はあるのだろうか。
北極のオーロラ 夜に浮かぶ凍えた空 櫂(かい)は水面を切り裂く 長い 急いた航海で 白人から 緑の草原まで そして 未だ見ぬ故郷の地へ
奴らは自分たちのティーピー(※)の中で我々をぶち殺した 女性たちまで切り裂いた 赤ん坊は取り残され 地の上でただ泣き叫ぶ でも 火の棒とワゴンはやって来る そして日は沈み 夜の帳が下りる
奴らはバッファローも皆殺しにした 銀行のはすかいで タクシーが自分の足と出会う 自分の目は虚ろになってしまった 階段の上の小さな箱 インディアンのひざ掛けと 分けてもらった煙管と
ああ 自分が猟師ならば 星の数ほどぶち殴ることになるだろう ポカホンタスと寝るために そして 彼女がどう感じるかを知る 緑の草原で迎える朝 未だ見ぬ故郷の地で
そして 多分マーロン・ブランドが きっと火を囲んでいるのだろう そして 僕らはハリウッドについて語り明かす それにふさわしい場所が欲しいな 例えばアストロドーム もしくは初めてのティーピーとか
マーロン・ブランド ポカホンタスと自分 マーロン・ブランド ポカホンタスと自分
Pocahontas : Neil young
ポカホンタスという女性についてはこちら
(※)インディアンの住んでいるテント
http://member.nifty.ne.jp/yayuyo/uso/old/archivep.htm#tax
2001/01/01より転載
どこを向いているのかも知らないのに どうして前に進んでいけるのだろう?
どこへ戻らなければならないのかさえ知らないのに どうして前に進んでいけるのだろう?
自分が確信を持てないところになんて どうして進んでいけるのだろう?
それが感情だなんてわからないのならば どうして感じることができるのだろう?
どう感じるかも知らないのに どうして何かを感じ取ることができるのだろう?
自分の感情がいつも否定されるようなときに どうして感情を持つことができるのだろう?
ねえ 人生は長いんだ で 君は強くあらなければならない そして 世界はとってもタフなんだ たまに自分もうんざりしてしまう
How? : John Lennon
最近はワールドカップ三昧。毎日何がしかの試合を見ている。やっぱ、思い入れがどうしてもできてしまう日本戦と違って、他国の試合は純粋に楽しめるからいい。
その中でも、昨日のフランス−ウルグアイ戦は素晴らしかった。特にウルグアイ。てめえの心をわしづかみにさせるええチームやった。ぼーっとしているのにスピードがある。フランスもええチームや。どっちも本戦に行ってほしいのだが。
暑い。っていうより熱い。食欲がまったく湧かない。
言葉が好きだ。それぞれ固有のリズムがあり、気分が良いときは言葉のリズムが溢れ、音楽になる。いろんな国の音楽を聴いていると、その国の音楽のリズムは言語に支配されていることに気付く。言葉があるから、音楽が生まれたのだろう。言語を持たない動物たちが音楽を持たないように。
言葉にはもちろん意味がある。いうなれば、音楽は、意味の込められたリズム、である。だから、他国の言語で歌われた歌を聴くとき、その意味を理解していないということは、その曲の理解に対して、相当な損をしている、ということに他ならない。
ヴォーカルは、最高の楽器だ。楽器だけだと、目と目でのみのコミュニケーションに似ている。ヴォーカルが加わることによって、それは言語を介したコミュニケーションに昇華する。
最近「知識」について考える。知識を持っているものは、それをわかりやすく理解させる「義務」があると思う。最悪なのは、知識を持つだけ持って、自己満足している阿呆だ。「そんなことくらい自分で調べろ」とか言うやつを見ると吐き気がする。ちょっと知っているからといって自惚れるな。自戒の念をこめて。
昨日は熱帯医学の勉強会の後に、友人たちを食事をし、それからだらだらといろんな話をした。頭の良い連中との会話ほど楽しいものは無い。と思う。自惚れになるかも知れんが、井の中の蛙になることは、彼らと一緒にいる限りないだろうな。
間違ったことを言うのが怖いのか、それともほんまに発想力が無いのかは知らんが、どー思う? と聞いても、わからんという答えが返ってくることが多い。いやまあ、ケースバイケースなわけで、てめえも「今年の流行のファッションについてどー思う?」と聞かれても何も答えは出てこない。ま、それはおいといて、自由な発想力がない、というのはとっても哀しい人だなあ、と思う。自分で呪縛しているしているのか、それとも日本の教育が大成功、ということなのか。
笑い、というか、ユーモアは、自由な発想からしか生じない。笑いのない人間ほど哀しいものはない。
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