つ〜か〜れ〜た〜

この一週間は怒涛のようで、
家に帰ってパソコンをつけている間に
知らぬ間に寝てしまって
さぁ、大変なんてことが多々ありました。
とりあえず一息つけてホッとしてます。
2005年01月14日(金)

パブロフの犬

困ったことが一つある。
最近「王の帰還」のサントラを聴くと
シーンが頭の中で甦ってきて涙が溢れ出てくるのだ。
しかも朝着替えている時にである。
朝から何をしとるんだ私は…
2005年01月13日(木)

俺達の誇り、嘉人

セレッソにとって救世主のような存在であった嘉人、大久保嘉人が
1ゴール、1アシストという華々しいデビューを飾った。
長居でのホーム最終戦、嘉人を送り出すセレモニーで
泣きじゃくりながら「大きくなって帰ってきます」と言った
あの日から一ヶ月と少し。その間にセレッソの残留を決め
スペインへと旅立ってすぐに結果を出すとはやはり
「俺達の誇り、嘉人」である。
(ここでいう俺達というのはセレッソのサポーターと言うことで
 自分の呼称が変わったわけではありません。)
スペインに行ってもすぐに喜びを与えてくれ、
『残留請負人』という難行をやってのけるに違いない。
心からおめでとう!嘉人!!

P・S 今さらでなんですがグロンキアが移籍後すぐに試合に出るというので
   アトレティコの試合を見ました。初めてフェルナンド・トーレスの
   プレイをみたのですが、とっても良い選手ですね。
   噂には聞いていましたがあんなに巧くて強いとは、
   将来が楽しみな存在ですな。同じスペインの若手レジェスが
   所属するアーセナルに獲得を勧めたとか。
   今後の動向に目が離せません。
2005年01月10日(月)

世に吹きすさぶ見苦しい風

常日頃、何だかなぁと思うことがよくある。
今日はそのうちの一つを紹介する。
電車で並んでいるといい歳をおっさんが列に並ばず
到着した電車のドアに並んでいる人よりも先に入ろうとしている。
いい歳をして世間一般の常識を守れないのかと。
しかしもっと情けないのは列に並ばない親子連れである。
これでは日本の道徳や倫理が崩れてしまうのもうなずける。
手本となるべき人物が平気で社会のルールを破っているのである。
断っておくがここは中国ではない。
かの国であれば列に並ぶ習慣が無いため仕方がないといえる。
しかしここは日本である。日本では列に並ぶというマナーが
根付いている上に駅のアナウンスなどでも列に並ぶように呼びかけている。
そもそも列に並ぶのは合理的な理由があるためであり……
何だかこんな常識が無い人間のために怒る労力が無駄に思えてきた。
書く気が失せたのでこの項了。
2005年01月09日(日)

寒いのは財布と頭の中

今日から授業が始まるので寒い寒いと思いながらも京都へ。
お昼を食べる時間が無いので電車の中で食べようと思うと
特急がよりにもよって対面式の座席だった。
普通、阪急京都線の特急は座席が進行方向に向いており
ごくたまに対面式、つまり普通の列車のタイプが紛れ込んでいる。
この場合、衆人環視に晒されるため食べ物を食べることはあまり好ましくない。
それこそ自分を社会の公器と自負するおせっかいさんに
「あんたちょっとマナー悪いんとちゃいますか?」
などと足下を一種の自己満足に陥れる発言を喰らわされるのがオチである。
しかし背に腹はかえられない。この機を逃すと食べ物を口にするチャンスは
ほぼゼロになってしまうのである。そのため
「そんなに社会の公器を自負するなら携帯電話禁止車両で
 電源を消さずに携帯をいじり倒している奴のところに行け」
と言い返してやろうという、ある意味開き直りの境地に立って
昼食を胃の中にかきこんだ。とりあえず腹の虫は収まった。
阪急電車で恥を忍ぶのは、一応終えたが、油断出来ないのが通学路である。
バス停でバスを待っていると一向に来る気配が無い。寒いのに、だ。
結局電車を一本遅らせても余裕がある時間に来やがった。
何の宣告も無しに運休する帝産湖南交通よりはマシではあるが
この時期はやはり辛い。(帰りのバスもたいがい待たされた。)
しかし一番の衝撃はこの後に待っていた。
やれやれと思いながら学校に着き、授業を行っているであろう棟に向かい
自動ドアの前に立った。ドアは微動だにしない。おかしい。
自動ドアが正月ボケでも起こしたのだろうか。そんなことはないだろうが、
開かないものは仕方が無い。別の入り口から入ろうとドアノブに手をかけ
力を入れると、あら不思議。ビクともしない。開く気配は全く無い。
これはもしかしてと思いもう一つ別の入り口から入ろうとすると
ここもまた閉まっている。まさかとは思っていたが、しかし、
実際にやってしまったのだ。授業開始日を勘違いしてしまうということを。
正月早々何をボケているのやら…
2005年01月05日(水)

赤裸々な心情の吐露

色々と思索することがある。
頭の中で閃いては形にしようと画策するのだが
なかなか上手くいかない。
しかし、まだ形にしようとするだけマシである。
最近は形にしようとするまでのところで頓挫してしまうことが多い。
例えばやると決めてパソコンの前に向かう。
しかし起動してからメニューを開こうとしたところで何故か
気力が薄れてしまい一歩を踏み出すに至らない。
今年は年賀状を今日になっても考え付いていない点でも
かなり気力が充実していないことの証であるように思う。
年明けから文章がやや乱れているところにもそれが現れている。
今年最大の敵は乱れた世情でも歪んだ社会でもなく己自身なのかもしれない。
自己に打ち勝ってこそのこの世である。
そういえば昔から自分を律するのが下手なような気がする。
それが大学受験のときに響いたわけだが、学習していないところを見ると
よほど堕落した人間のようである。やはり渦中に身を投じて
自己を厳しい方面にもって行かなければならないか…。
いい加減甘えから脱却せねばこれ以上の成長は無い。
2005年01月04日(火)

その口危険につき

親がライスボウルを見始めたので一緒に見ていると
試合前にアメフト部員が何やら踊っている
「何の踊り?」と聞かれたが知らないので
「さぁ、左翼踊りじゃない?」
と自分が行っている学校とは思えないような発言。
まぁ、今行ってる学校は左翼で有名だからというだけの偏見なだけで
実際は全共闘の時代も過ぎて民青も京大のパシリに落ちぶれてるので
アメフト部員が左翼踊り(そんなもんは絶対無いだろうが)を踊るなんて
とても考えられることではない。しかし危険なギャグである。
で、肝心の試合内容は…つまらんから途中で寝てしまって
楽しみにしていた国見対藤枝東の試合を見逃したじゃないか。
(新聞の表記が無いので放送があったのかどうかはわからないけど…)
城後と赤星の対決を楽しみにしていたのに…
それにしても今年の高校サッカーはPK戦が多すぎる。
2005年01月03日(月)

初夢の内容は…

起きた時点で忘れてしまいました。
ま、さして印象に残る夢ではなかったんでしょう。
それに夢の内容を無理に思い出そうとするのは
精神的によくないことらしいし。
それでつげ義春が病気になったんだっけ?
皆様もお気をつけください。
2005年01月02日(日)

謹賀新年

一年の計は元旦にありと言うけれど、
親子で「王の帰還」を見て泣いていた我が家は
一体どんな一年になるのだ?

さてさて、そんな与太話はさておき、
今年のカレンダーはNewtonの付録で付いてきた
土星の写真が大きくプリントされたものである。
このカレンダーを壁に貼ると遠い宇宙のかなた
ちょうど土星の軌道上で宇宙船の窓から
巨大なガスの惑星が顔を覗かせているようで
神秘的ながらも先進的な感じがして悪くない。
その昔、まだ幼い時に宇宙の図鑑を眺めては
空想した未来のことを思い出すような
ノスタルジックな気分もどことなく感じさせてくれる。
あの時は世界はもっと広くて謎に満ち溢れていると思ったけれど
成長していくたびに世界は狭くなっていった気がする。
しかし宇宙はまだまだ解明されていないフロンティアのままだ。
あの頃のような無限の可能性はもう秘めてはいないけれど
自分の持っている可能性を少しでも飛躍させられるような一年にしたい。
以上、ささやかながら年始の挨拶でした。
2005年01月01日(土)

出兵拒否

「今年はもう雪が降らないね」
なんてことを言ってたのはつい一月前。
そんな会話を気候の神様が聞いていたのか、
今年の最後に豪快に降らしてくれました。
気が付いたら積もってるじゃないですか。
景色が変わるのは趣があって良いのだけれど
何せ寒くて寒くて。案の定お腹が痛くなりました。
夏の暑さには強いのだが、寒さには滅法弱いのである。
そういえば日露戦争の主戦場は中国東北部であったが、
冬場は河川が凍りその凍った河川の上を荷車や砲車が通ったという。
川が凍るほどの寒さなのだから、氷点下は優に超えている。
そんな中、万全の防寒装備をしていたロシア軍に対して
日本軍の防寒装備はとても粗末なもので非常に厳しい行軍だったそうだ。
私がそんな戦場に放り込まれたら一たまりも無いなとふと思ってしまった。
出兵拒否で上官にビンタを喰らって、軍法会議にかけられたり
はたまた使えないやつとして戦場で倒れたまま放って置かれて凍死したり、
内地に送り返されて周囲の嘲笑を耐え忍びながら生きたりと
色々な想像が頭を駆け巡る想像力のたくましさに少し辟易してしまった。
大晦日の割りに今年のことを振り返らない不親切な日記だ…
2004年12月31日(金)

Dag Soliloquize / tsuyo